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アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

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【不登校】不登校解決のために(2)~大切にすること~

子どもを大切にすること・・・

どんなイメージを抱きますか?


言いなりになること?

何でも買い与えること?

何でも、手助けすること?

我慢を覚えさせること?

勉強を教えること?


ちゃいます(笑)



大切にされた感覚をまず、体験しなければ

この感覚は分からないのではないかと思うのですよ。


先日、私、生まれて初めてフェイスマッサージに行きました。

(急に話が変わってすみません。つなげます~)


プロの方のマッサージは、とても丁寧で優しく感動しました。

危うく寝てしまうほどの心地よさ。


「寝てしまう」と表現したのは

「ここは、安全な場所だ」と施術者が与えてくれた空間と技術

大切にしてもらっている感覚が、

私と施術者と一致していたということを意味します。

金額とは関係ないところの話しです。

「お金を払っているのだから当然」と思えばそうなのですが

自分がないがしろにされていない感覚が

伝わってくるのです。


最近、美容院を変えました。

以前の美容院は、一致してくれるお兄さんがいたのですが

独立して遠いところに行ってしまい

そのまま、新しいお姉さんとお付き合いしていましたが

どうも一致しない感じがずっと違和感としてありながら

「まあいいか」と満足したふりを続けていたのですが

ここのとこ「まあ、いいか」というのも おかしい!?と気づき

ジプシーをしながら、やっといい所をみつけました。


自分の気持ちと施術者が一致することが心地よさとなり

しっかり見ようとしてくれている感覚が満足となること。


自分を大切にしようという意識が私自身の中にしっかりと根付き始めたことが

大切にしてくれる人とリンクしていくのではないかとそんな気がします。


自分を大切にしない思考は、

自分を大切にしない状況を引き寄せてしまうのではないかと

そんなことさえ感じています。


自分が自分を大切にする

丁寧に扱う

自分をないがしろにしない



甘やかすことと、わがまま、それらとは全く違う次元のことです。


寄り添うってことは、その先にあるものなのだろうと感じます。

自分を大切にせずして、人を大切にはできません。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*


余談
 

言葉のトレーニングというサイトをよくみて
いるんですが(笑)

こんな設問がありました。パクリです。


大切なのはどれだけ与えるか、ではなく
与える時にどれだけ(    )です。



与えるっていっても、コイに餌を与える感覚じゃないんですね。

子どもや人と接する時に大切なことです。

自分のイメージを膨らませて(  )に入る言葉を考えて

コメントしてみてね^^

コメントがあったら、最後に答えを書くよ~。

気になるでしょヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆

でも、格言集ではないので正しい言葉が大事なんじゃないです。

知ってる人は「こんな言葉をいれたいな~」と想像してみてね。


会員さんも書いてくれたらうれしいです。

| 不登校 | 13:11 | comments:16 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】不登校解決のために(1)

久しぶりの不登校記事です。


お母様方、ご自分を大切にしていますか?


「自分が嫌いです」

「う~ん、わからない」

「過去を消し去って、新しい自分になりたい」

「どうせ、人生こんなものよ」

「どうせ私には、無理」

「普通、こんなもんじゃないの?」


なんて、思っていませんか?

カウンセリングを行っていると、自分では気づかないくらいに

無意識レベルで自然に自己否定されている方が多いと感じます。


また、それが「自分にとっての普通の感覚」になっていることが多いのですね。


人には、それぞれの個性があり、個々の大変な事情で、

自己肯定感が低くなっているということは致し方ないことですが

その思考回路が、子どもたちや家族に与える影響は

ご本人が思っている以上にダメージを与えます。


子どもは本来、希望に満ち、躍動しながら幼少時代を送るもの。

しかし自己否定感が強い「どうせ、だめでしょ」という思考回路を

一番身近な人から学んでいきます。

それは、何気ない言葉の中に自然に含まれていくのですね。

「どうせ○○だから」「あなたはどうしてそうなの?」

の言葉の後に続くものは、

「無理だから」「やっても無駄だから」

という思いが含まれていたりします。


養育者の潜在的な「無理」という思考回路は、幼少期の早い時期から

何をやっても無駄なんだと思わざるを得ない出来ごとが多発したことを示します。

『容認されていない』心元ない状態が長かったことを示す気がします。


この状態で子どもたちに対して

「あなたは、あなたのままでいいのよ」

という、どこかに転がっている便利な言葉をひっぱってきて

子どもに伝えたとしても

言ってることと、やってることが真逆ではないでしょうか。


子どもたちの感性は鋭く言葉のうそを見抜きます。

「あなたは、あなたのままでいいのよ、私は無理だけど」

と伝えているようなものですね。

そんな言葉が、人に感動を与え心を打つほどの行動を促す言葉になるとは到底思えません。

せいぜい「また、どっかから持ってきたの?」と疑心を深めさせるだけです。


人の気持ちは、言葉のみで動くものではありません。

言葉と体験と自分の思考が一致したときに

言葉は力を持ちます。

養育者側が出した言葉と自分の本当の気持ちを一致させていくことが

大切だと感じます。


まずは、ご自分の思考のベースが

「無理」でできていて

「誰か、やってくれないかな」

「なにか、いい方法がないかな」

と材料探しをしていて

「私はできないけど、あなたやって」と

矛盾だらけの思考を子どもに教えているのは

紛れもなく養育者側であることに気づくことが、

小さな1つのスタート地点かもしれません。



セッションでは子どもとうまくいかない養育者側の

思考の癖をばっちり、理解して頂いています^^

| 不登校 | 12:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】子どもの気持ち

あなここでは、不登校のお母さん方、ACの大人の方との

スカイプ相談が9割なのですが

これまで、なりゆき上、子どもさんと直接関わることもありました。

知り合いを通じて関わるようになったYちゃん。

出会った頃、不登校初期の頃でした。

寂しげで、うつむいて、人と目を合わせられない・・・

そんな状態でした。

時々、ピグでおしゃべりしたり、ヘルプのメールが来たら

文字チャットでお話したりしていました。

そして、ピグでお友達をどんどん作っていってるのが

手に取るようにわかりました。

ピグ部屋を訪問すると、いつも誰かとおしゃべりしていました。

活発に動いているのが感じられました。

それと連動するように、私の出番は激減していきました。

Yちゃんと私が話している時に

たまたま、ピグに入っていたメンバーさんに、

Yちゃんの苦しかった時の気持ちを話してもらいました。

不登校をする子どもの気持ちと、不登校の親の気持ちのズレを

感じて欲しかったのです。

Yちゃんも、自分のお母さんに言えなかった気持ちを

ぽつぽつと語ってくれました。


そして、新しい学校を受けなおし合格し

今年の4月から学校に通い出し、バイトを始めました。

メールの文章からも、生き生き感が伝わってきました。

それっきり、私たちのつながりは無くなってしまいましたが

リアル充実してくれるYちゃんのこと

いつも、心で応援しています。


最近、あなここセッションでも、

子どもさんと話すことも増えてきました。

子どもたちと話す時は、私ときんたろうさんの二人参加で行います。


子どもたちは、決して多くは語りません。

出来れば言いたくない・・・


「別にどうも思わない」

「わからない」

「ふつう~」


こんな言葉の連発です。

が、その言葉の中に

「言えないんだ。察して欲しい」という親を守る気持ちを感じます。




とても。。。切ないんです。。


でも・・・短い言葉のちょっとした雰囲気から

今まで、がまん強く抑え込んできた

悲しみ、怒り、あきらめ、辛さが、こぼれてくるのも感じます。




誰にも言えなかった気持ち


守ってきた気持ち


伝わらない想い


言葉にならない悲しみ


ただただ、伝わってくる感情に、切なくて切なくて

表面は互いに笑いながらも、泣けてきます。



「待ってて」

かつて、Yちゃんが苦しかった頃、そう伝えたことがあります。

Yちゃんは、待ちながらも自分でも頑張ってくれました。

親ごさんも、頑張ってくれたと思います。



同じ言葉を、子どもたちに伝えたい衝動にかられます。

それは、私の思い、私の子どもたちへの思い。

そして、相棒のきんたろうさんの思い。


待っててくれるか?


この問いに、

スカイプの向こうで、かすかにうなずく気配を感じる時

子どもたちの待ち続けているピュアな姿に心を打ち抜かれます。




もし、できるのなら


自分のできる範囲でいい


伝えて


誰かに伝えて欲しい


もらった愛情を・・・


命の言葉を・・・自分以外の誰かに渡して欲しい



そんな人が1人でも、2人でも増えていくことが

私たちのセッションの目標です。

| 不登校 | 14:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】ゴールデンウィーク

すっかり、ゴールデンウィーク疲れをもよおしている私です。

非日常というのは、結構疲れます。

今の我が家は、家族2人しかいません^^;

それでも、あちらこちらの新規オープンのお店なんか

ちょこちょこのぞいて、食べ歩きしてましたが

普段はヒッキーの私なので、人ごみが結構ストレス。


脳みそがすっかり、疲れてしまいました


不登校中の子どもさんのおうちも、

あちらこちらとイベントで盛りだくさんってこともあるかと思います。

目新しいもの、楽しいもの、非日常は、気分を高揚させてくれて

疲れを自覚しにくい状態にもなります。

非日常は、結構な疲れが起こるということ心にとめておいてくださいね。


ゴールデンウィークが終わると、学校が始まります。

行き渋りなどが、始まるのがこの頃に集中しています。

行き始めたら、春の体育祭などが重なると、すぐに過酷な練習が始まります。

心のスイッチを切り替えにくい不登校中のお子様が、

新学期を契機にぼちぼちと行き出して

息切れしはじめる時期でもあります。


がっかりしたり、焦ったり、親の側も揺さぶられる時期ですね。


家族が日常を取り戻すために、

ゴールデンウィーク中のケアを忘れないようにね


月曜日には、お父さんたちは、会社へいきます。

子どもたちが、学校へ行き始めます。

ああ、やれやれ、やっと1人の時間が持てる~なんて思っていませんか(笑)

GW明けの月曜日の行き渋りには、お母さんと子どもゆっくりと

脳の休憩と気持ちの整理をつけるクールダウンが必要かもしれませんね。

休みの期間はあんなに元気だったのに・・・どうして行けないの?

なんて、思わないでくださいね。

行けなくて、当たり前くらいでいいと思います。

自力がない不登校の子供たちには、ゆっくり助走の時間が必要。

お母さんが、不安になって、プッシュしすぎて、

その後、ぱたんと行かなくなっちゃう分かれ目の時期なのだろうと思います。


| 不登校 | 19:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】子どもの発達障害及び起立性調節障害を考える(注:追記あり)

下の方に、記事を追加しました。読んでね^^

一度、書いてみたかったテーマです。

が、確信はあったのですが、公言するには

はばかられるテーマでもあって書けずにいましたが、

そろそろ提示してもいいかなと思い書いてみます。


私の子どもが不登校の時期に流行していたのは(7~8年前くらい)

「起立性調節障害」という病名でした。

簡単に説明すれば、精神的ストレスの為に、自律神経の機能が狂い、

血圧が安定せず、昼夜逆転、あるいは朝起きれないという症状が出ることで

学校へ行けない状態になるものです。

当時、「起立性調節障害」は、不登校のお母さんたちの

救世主的役割を果たしていたかと思います。

たくさんのサイトが立ち上がっていたと思います。

「なぜ不登校になったのか?」という問いに

「この病気だったから、学校へ行けなくなったんだ」という答えが提示されたことで

お母さんたちは、自分を否定されず、安堵の気持ちを持たれていた気がします。


私の子どもも当初「起立性調節障害」と病院で言われ

リアルの身近にもそういう方がいらしたので、

いったん納得してはみたものの、

分かったところで何も変わらないというのが現実でした。


元々、好奇心が旺盛な性分の私は、色々調べたのですが

「自律神経の乱れによって引き起こされる」という点に引っかかり続けました。

自立神経の乱れによって引き起こされる病気は

過敏性腸炎、不眠、動悸、めまい、不整脈、過呼吸などありますが、

その中に、血圧の不安定さが含まれているだけで

「自律神経の乱れ」を引き起こしたものを考えて行くことが

大事なのではないかと自分の中で決着をつけました。


で、今は、「発達障害」という実にあいまいなものが横行する時代になりました。

私の妹と甥っ子も、発達障害からくる「うつ病」という病名を

現在付けられています。

妹と甥っ子は、発達障害という一言で、

「てんかん」「過呼吸」「錯乱」「うつ病」「自傷」が全部入れこまれて

まるで、ごった煮の煮物のような様子を呈してします。


しかし、親側は、「なぜこの子は、扱いにくい子なのだ?」という長年のイライラが

その病名で「なるほど!」となり、

障害があったことで、妹とその子は、世間並みに生きられないんだと

そんな結論で納得しているようです。

しかし、妹は自分の空虚さの苦しみを親に激しくぶつけただけであって

私は、親にぶつけることなく、実家を去ったというだけの違いなんですね。

妹が発達障害と言うなら、同じ成育歴を持つ姉妹でしたら、

私もそうだろうと感じます。


しかし、私から実家の家族関係を客観的に見たら

親が、子どもの気持ちを踏みにじらず、親側の不安を押し付けたり、

力で抑え込んだり、抑圧したりしないで、気持ちを受け取り理解しようとしてくれていたら

病名を付ける必要もなく、かなり良い方に変わっていくのではないかと

そんな事を思います。


私たち姉妹を考えると

発達障害というよりも、

・感情の欠損・・・親の暖かい愛情の欠損

・抑   圧・・・親から「してはいけない」で育ったために
         心の容量の枠の狭さ

・自力のなさ・・・親から言われるがままに生きることを強いられ
         ある時は過干渉、ある時は放任一貫性のない極のぶれの為に
         「自分でやる」という思考を奪われ続けた         
         指示がないと動けない     
          
・コミュニケーション力の欠如・・・親からの一方的な否定や干渉にさらされ
                 自分で感じる力を奪われ、人の気持ちがわからない


あと、感情のコントロール不全、自己肯定感の低さ、

感情の認知力の低さなどなど、

これらは、すべて家庭や家庭を取り巻く関係で培われるものではないかと感じるのです。


そのことを自分で深く理解して

もう一度、親子で子ども時代をやり直し、失ったものを取り戻すプロセスが

回復へ繋がっていくのではないかと感じます。


以上の経験から、

発達障害・・・それが、何か?と、

一度言ってみたかった言葉です。



これが言いたくて、記事をせっせと書いてみました(・ω・)ノ

ひとくくりに、あれもこれも「発達障害」は、やめて頂きたいなあと・・・

そんなことを思っています。

それであるなら、心理テストを受けたら、きっと大半の方が

大なり小なり、発達障害かもしれませんよ(汗;


↓↓(ここから、追記記事)3月31日↓↓

*:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:.


きんたろうさんの参考記事の追加をしておきます。

力関係によって、

・本心とは別に、意に沿う事で生き残ってきた人間(サバイバー)

・人を封じる事で、生き残ってきた人間(独裁者・サバイバー)

を念頭に置いて記事、コメント等を読んで頂けたら幸いです。

★ 二つの共依存【二つの安全な場所】

終わり【アダルトチルドレン二つの安全な場所】

| 不登校 | 10:02 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】子どもからの伝言~ゲームをする理由~

となりのあいつ こと、となりんに、伝言を頼まれました。

自分の記事を不登校のお母さん方に読んで欲しいと。

「理由を知っても、理由ができた根拠って知らないことが多いよね」


となりんは、現在20歳になる元不登校の私の息子です。
かつて、中学二年の6月に不登校になり、自傷まで追いこんでしまいました。
一番、多感で、一番楽しいはずの中学時代を、
私は、彼から奪ってしまいました。

ここまで回復するのに、親子ともに、長い長い時間がかかりました。
*それでも、昨年の今頃、この5年でここまで回復したのは、
 非常に珍しい事例だと主治医のお医者さんに驚かれました。
 それほど、不登校という問題は、こじらせたら、短期間での
 修復は難しい問題だということを知っておいてください。
 

私は、彼から愛情を奪うばかりでしたが、
彼はいつも与えるばかりだったことを、改めて痛感します。
そして、今も、誰かに自分の経験を与えながら自分を満たそうとする姿は、
我が子ながら、敬服しています。

私が「普通」の暖かい家庭で育ち、
子どもたちも、普通に育っていれば、人生はもっと違っていただろうか?
時々、そんなことも思います。
が、今、私たちが、ここにいられるのは、長い長い連鎖の旅をしてきて
終結をむかえた結果であるのは確かです。

子どもたちを見ていて思うのは、
子どもは、本能的に 「自分を満たすことは、人に与えること」だと
わかっているような気がします。
今、不登校や引きこもりである子どもたちでさえ
惜しみなく親に愛情を伝え続けているのだろうと感じます。
暴れている子どもさえ
親に感情を取り戻させようと、身体を張って親に挑んでいるのだと思います。

本来、人は、他者と心を共有し、繋がり、たくさんの感情を
経験するように作られているのではないかと思います。
しかし、私たちは「個」というものを重視しすぎてきました。
「個」を重視しすぎるあまり、
世代に受け継がれてきた美しい流れを断ち切り(人と人との分断)
細切れにして、「自分だけのもの」にし過ぎたのでしょう。

「自分だけのもの」は、やがて「家族の閉塞感」、1人1人の「心の閉塞」となり
人の本能や感情を閉じ込めることになってしまったのでしょう。


私たち大人には、次世代の子どもたちに、
失わせてしまった本能、感情を再度伝えなおさなければならない義務があります。
そして、子どもたちには、本能と感情を取り戻す、権利があります。
それらを子どもたちに取り戻す事が出来るのは、
「お母さん」と呼ばれる人がキーマンだと息子は、知っているようです。

彼の文章に、「自分が可哀そう」とか恨みがましい訴えはありません。
自分が失った時間を後悔している姿も無いと感じます。
彼が苦しんできた20年は、これから出会う誰かと分かち合う20年に変えていける。

これからも、そんな人生を歩いてくれる気がします。
たとえ、今の彼女に振られる日がくるとも(笑)

  


子どもたちは、こんなに真剣で、一生懸命なのに、
大人たち「~された」「~してくれない」ばっかりで、恥ずかしくないのって
そんなことも、ちょっとだけ思ってくだされば、記事を上げた意味もあるってもんです。

| 不登校 | 05:08 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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予告(^^)

元不登校経験者、となりん(息子)が、どや記事を書いているので

次回、ご紹介しながら、

リレー記事を親子で書いてみたいと思います。



お楽しみにね。

| 不登校 | 18:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【不登校】困っていない人は、助けられない

不登校の問題とACの問題に関わり続けて数年が過ぎました。

いろいろな観点から、不登校問題について語られていますし、

たくさんのアドバイスも氾濫しています。

しかし、不登校もACも一向に減る気配はありません。


時代の流れなんてこと言う援助者もいたり

「黙る」を推奨する援助者もいたり。。。


が・・今まで、セッションでみっちりと不登校のお母さん方と

お話をさせて頂きわかったことがあります。

不登校は、100人いれば、100通りの対応と

よく言われるのですが、

もっと、深く掘り下げたら、根っこは1つだと確信することができました。

元々、私自身の不登校経験からその感覚は分かってはいたのですが、

より確信を強めたことがあります。


学校へ行く、行かないという表面の問題ではなく、

親子の「信頼関係」「自己肯定感」の構築が急務と、

これらを構築するためには、お母さん自身がコミュニケーション力を

修正、またはアップしていかなければならないということです。

しかし、これは、残念ながら1人ではできないのです。


だからこそ、私たちのような、援助者が必要なのかもしれませんが

それでも、よく感じる事は

「困っていない人に、援助は出来ない」

ということを痛感させられます。


●子どもが不登校だから、困った子どもをどうにかして欲しい(他人事)

●困ったふり(つもり)をしているだけで、実は困っていない(つもり)

●カウンセリングを受けていると、どうにかなるかもしれない(他力本願)

●自分は、変わるつもりはない
(抵抗を示す・逆切れ・カウンセラーに対する苦情・不満)←自分の本質と向き合いたくない


などなど・・・非常に辛辣なことを書き連ねましたが、

これらの状態は

「私は変わりたくないし、変わる必要も感じない。

子どもさえ復活してくれれば家族みんながハッピーなんです。

だから時間さえあれば、きっと子どもは復活できると思うし、

前ほど、望みさえ大きく持たなければ、バイトでもしていけるでしょう」


ということを、言葉や態度で示しているのと同じことなのですね。


このようなお母さんを子どもたちは、黙って、引きこもることで

必死で許そうとしてくれているのが、不登校の状態から、引きこもりへと

長引かせる要因なのかもしれませんね。


これらの思考は、

自分の子どもさんが、不登校から抜け出してくれたら

私(親)は幸せになれるんだと


ま逆に思い込んでおられる方が大半ではないかと思うのです。

この思考は、物質主義の日本に

非常に根強く巣食っているような気がしています。

たとえば、

「あの人が変わってくれたら、私は安心して暮らせるのに」

「あの人がもっと、やさしく接してくれたら、私も許せるのに」

あなたの身近に、そういう人はいませんか?

姑、親戚関係、友人関係、会社・・・たくさんはびこっていると思うのです。


これは、自分が困っているのではなく、

相手の存在が、困った存在(迷惑な存在)なだけです。

心の矢印が、外に向いているのですね。

このような状態で、いくら本を読み、どんな偉い人の講演会を

聞きに行ったとしても、悲しい現実ではあるのですが、

本当に困っていない人に

力を尽くしても尽くしても、そのエネルギーは空にむなしく消えていきます。

おそらく、まだその方の時が満ちていないのかもしれませんね。


困っていない人は、誰も助けられない

溺れているふりをしている人も助けられない




回復というものは「本気」に、引き寄せられるのだと思います。

タナボタは、あり得ないのではないかと、そう思うのよ。


| 不登校 | 18:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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