アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

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【不登校】不登校の子どもさんを持つ親のケア

不登校の子供さんを持つお母さん方とお話をしていくと

次第に不登校の問題よりも親側の癒されない心の傷が

クローズアップされてきます。

親の側の癒されていない心の傷が、

親が子どもに対して日ごろから行っている言葉、態度、表情などに

影響を及ぼすことで、親子のコミュニケーションのズレを

起こしているのではないか・・・そんなことを感じます。


私の子どもが不登校になったのは、もう7年前になります。

月日のたつのは、早いものですね。

7年前は、ネットやブログも、今ほど普及しておらず

情報収集に、やっきだったことを思い出します。

たった7年前のことであるのに、

このネットコミュニケーションの環境の違いは、すごいと改めて感じます。


今や、不登校に関する情報量がすごいですね。

気軽に、不登校のことを書ける環境、

ネットでのつながりが形成できることは良くもあり、悪くもあり。

良い点としては、地域では孤独になりがちな親ごさんたちが

ネットの中では、同じ悩みを共有できるという点でしょうか。


反対に、悪い点は、

情報の分派が起こっている気がします。

たとえば、「小児うつ」なら、小児うつのネットワーク。

「起立性」なら起立性のネットワーク。

あるいは、「発達関係」なら、そのネットワーク。

「睡眠障害」「IBS」などもそうかもしれません。

そして、それぞれの主義主張で、お互いに相入れない感じを受けます。

情報が広がっているようで、意外と狭義の中の情報しか入れない、

そんな感じがするのです。


不登校は、家族全体のトータルなものとして考えていく方が、

全体像が見えやすく、問題点も見つけやすい感じがしますが、

このやり方であれば、じっくりと親が自分と取り組まなければならない難点があります。


対して、狭義のシステムの中であれば、

この方法、こういうやり方、治療、薬、あるいは、理論など、

割に手軽にまとまったが情報情報交換の中で手に入ります。


私自身も、私の子どもが不登校になった頃、

「小児うつ病」「起立性調節障害」という大義の診断名があったこともあり

小児うつ、起立性関連のネットワークにどっぷりとはまりました。

理論的なものも、暗記できるほど読んだと思います。

(今はすっかり忘れてしまいました・・・^^;)

しかし・・・


「おうちでゆっくり過ごさせてください」という方法論を手に入れたとして

どのくらいゆっくりなのか、感覚的にさっぱり分からない。

その上、ちょっと元気にゲームなどをし始めたら

学校へ行きなさいという空気を、ガンガン醸し出す。

自分の衝動が止められない、やめられない。

あげく「学校へ行ってみる?」と声かけして、

その夜、子どもが落ち込んで、リストカットする・・・

慌てて、「行かないでいいよ~」と言いなおす。

あげて、落として、子どもをがっかりさせてしまう。

一体、私は、どうすりゃいいんだ??という焦りの状態。


ある所では、「子どもさんを見守ってください」と言われる。

見守り方がわからない。

見守るって、何? じ~~っと見てることなの?

それとも、逐一、行動を監視していることなの?

はたまた、ほっといておくことなのだろうか?

見守るという感覚が、見守られた経験がないので分からない。


「病院へ連れていきなさい」と言われ

病院ジプシー・・・

あっちの小児精神科が良いと聞けば、下調べし

こっちがいいと聞けば、連れていく。

入院までさせてしまい、薬もどんどん増えて5種類以上。

私「いつ治るんですか?」

(子どもを治すという主観的感覚しか分からない)

先生「もう、学校へ行ける状態ですけど」

先生、子どもの方を向いて、「行けるのだから、行きなさい」

ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ

私「朝、起きれないんですけど」

先生「早く寝て、早く起きるように」


そんなことは、分かってます・・・先生・・・

出来ないから困っているんです。。。


という感じで

子どもの外側や形、事象、起こる表面ばかりを修正、

治療しようとしていた時期の約1年間。

少しも、自分の内面に目を向けることが出来なくて

自分の主観的な感覚(病院で治す)が主観的であることさえ分からず、

自分の生き方を修正しようとする感覚が分からなかったのでした。




このように、「情報」というものは、

感覚が主体で、方法や理論はおまけのようなものだ感じ始めたのは

子どもが不登校になって3年目くらいからでした。


今は、親の感情が動くことで自由な感覚を取り戻すことがとても大切だと感じます。

親が自由な感覚を手に入れると同時に、偏った思考を幅広くしていく

フラットで、楽な感覚ですね。

更に、親が楽になれば、子どもも自由になり、自分の意思を取り戻していく

ごくシンプルで簡単な仕組みは、次の世代の子どもたちにも

親たちが、感覚として伝えることができると感じています。

そうすれば、今の子どもたちが、また誰かに伝えていくことができる。

そんな夢のようなことを思ったりします。


しかし、不自由な思考を当たり前のように何十年もやってきてるので

不自由な状態が普通の状態であることを疑わない。

客観的にみたら、「そりゃ、きついだろう」ということも

平気で我慢できていたりするんですね。


不自由なことが当たり前の状態で、家庭で子どもにとって理不尽な不自由さを

子どもに押しつけているのは、割に不登校家庭でよく見られる気がします。

経験上、心のフラットな感覚を、理論だけで取り戻すというのは、

至難の業だと思います。


「自分を大切にしましょう」という標語がありますが

これもまた、大切にされた経験が記憶の底に埋もれてわからない。

大切にするということと、甘えるということと、わがままということが

分別されていない状態もよくあることです。


では、何が人を変えるのか・・・

何が、親側の癒されない心の傷を回復に導いていくのだろうか?

同時に子どもたちの心を生き生きとさせるものは、何なのだろう?


次は、このことを書いてみたいと思います。


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