アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

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●ACの回復になぜ、記憶の回想が必要なのか

前回の記事で、「私」が主体の物語を語ることをお話ししました。

しかし、一般的な世間でそれなりに行きぬく自力を付けた人たちは

借り物の「私」を語り続けてきた長年の癖があります。

誰かの意見、本で読んだ意見、セミナーでかじった意見を

あたかも自分の意見のように思い込み、

それを隠れ蓑にして表面上、自分を語るように見せかけている場合もよく見られます。

隠れ蓑は、「本当の自分を隠したい」という思いから、自分自身で作ったものなので

これは、自分で脱がなければなりません。

しかし、あまりに日常化して、意識しても隠れ蓑を脱げないほど、

強固な壁が出来ている場合が多いのですね。

それは、成育歴からきている、自分が生きている世界は安全ではないという

認識が心にストッパーをかけている状態であると感じます。




しかし、自分の中の記憶は、誰の意見でもなく

自分自身の中にあります。

記憶はウソをつきません。

しかし、やはり長い年月の中で記憶を封印してきた過去。

それは、家族を守るため。

思い出すと守り続けてきた家族が崩壊してしまう事を無意識は知っているのだろうと感じます。


たとえば、私は夜更かしが好きと自分のことを思い込んでいたのですが、

実際に夜更かしが好きなのかというと、そうでもないんです。

寝静まった深夜に、じっと息を潜めて起きている状態。

悲しみに浸る時間。

そこが、私の逃げ場所でした。


昔、夜に夫婦喧嘩が発生し、夜中までもめていることも多く、

布団の中に潜って、泣きながら耐えていた時間がありました。

いつしか、布団に潜っていながら

自分が眠ったら、お母さんがいなくなってるかもしれない

お母さんが泣いているのに、私が眠るわけにはいかない

そういう恐怖と戦いながら、じっと起きて

騒動が静かになるのを待っていました。

一旦静まったかと思えば、また激しく再発する・・・

このビクビク感が結構きつかった気がします。

そして、明け方に眠りにつくのでした。

いつしか、夜は気配の監視と私の悲しみの場になっていきました。


この経験の積み重ねが、次第に「夜生活」へシフトさせていきました。

大きくなると、夜は夜で自由な時間であることも知り、

そちらの楽しみに気持ちがシフトしていき

「夜更かしが好き」というすり替えを起こしていきました。


やがて眠れない夜の記憶のルーツが分からないまま

大人になっていきました。


「夜更かしが好き」というルーツをたどっていくと

そこには、一人ぼっちで怯えている自分と対面しなければならない。

しかし、これまで強気と怒りで生きてきた私の中に

弱い自分を認めることは、どうしても出来ず

夜更かしが好きなの! で、貫き通してきました。

分かっちゃいるけど、認められない・・・


これが、私の頑固さでした。

自分への頑固さは、人に対する頑なさでもあります。

自分の弱気を拒否していれば

他者の弱気も否定したくなります。


「私は我慢しているのだから、あなたも我慢しなさい」

これが、私と子どもたち、あるいは、他者との人間関係の壁になっていました。

当然、子どもは、苦しくなります。


この状態は、私の「夜が好き」という記憶に歪みが起こっていますね。

歪みを修正する気もない、突っ張った状態です。


そこで、登場するのが・・・

暖かい回想。

子どものころ、嬉しかったこと、楽しかったこと

具体的に言えば、

祖母が買ってくれた渦巻き状のペロペロキャンディーを

手や顔中にべたつかせて、食べていた記憶。

風船ガムを膨らませて、割れて顔にべったり張り付いて

慌てて取るのに苦労している情景。

おじさんとお馬さんごっこをして無邪気に遊んだ情景。

友達に意地悪をして居心地の悪い情景。

近所のお姉さんたちと川を溯って、探検ごっこをした情景。


こうした記憶の中に埋もれている星の欠片を取り出し、

水道水で洗って1つ1つを、宝箱に詰めていく作業。


楽しい記憶を語ること。

心の中から取りだす作業。


宝箱に少しずつ、星の欠片が貯まってくると

心に緩和が起こってきます。

心が緩むと、長年自分の壁としていた、負のつっかえ棒も緩んでくる。


人は、自分が緩んだ分だけしか、記憶がよみがえらない。

そういうものだと思います。

しかし、抱える力のない記憶は心の深い場所に閉じ込めておくのでしょう。


心が緩むということは、今まで縮こまって萎縮していた袋が

伸びて大きくなるということだろうと思うのです。

ということは、自分の人生のエピソードを取り入れることが出来るほど

心が成長したと言い換えていいのではないかと思うのです。


心に余裕ができたら、借り物の自分である必要も感じなくなります。

少しずつ、他者と自分を受け入れる力を手に入れることができます。

劇的に変わることはありませんが・・・

確実に変化をしていきます。


「私」が「私の言葉」で「私の記憶」を語ること。

最初は、あいまいでもいいのです。

思い違いでもいいのです。

白黒写真のような情景でもいいのです。

語り続けることで、

色が付き、情景が動画になり、当時感じていた生き生きとした感情が戻ってきます。

その時、一緒に時間を過ごしてくれた人たちの存在も現れはじめます。

一緒に楽しかった、一緒に嬉しかった、

悲しかった、苦しかった、辛かった、寂しかった・・・


思い出した痛みよりも、現在の気持ちと過去が繋がる時、

自分のルーツが開かれ、感情が戻ってきたことに深く安堵するのです。

歪みのない感情が戻ってくると、

さらには自分を愛しむ視線も自分の中に形成されていきます。


記憶を取り戻しに行く事が、どれほど回復の手助けになるか、

遠回りのようで、最短の近道なのではないか思うのです。

不登校の子供たちも同じような工程をたどるのではないかと感じるのです。

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