アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

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【AC・不登校】ニュアンスが分からない

先日セッションの中で、画期的発見がありました。

その一部だけでも、書き記しておこうと、ちょっと体験を交えて

書いてみようかと思います。


私は、社会人になって、人とランチしたり

一緒に食べるっていうのが、すご~~~~く苦手だったのです。

出来るだけ避けたい・・・

その理由が、ちょっとだけ解き明かされたセッションでした。


その源流のプロセスの一部に

社会人になり、九州の一番の都市にド田舎から出てきた頃、

友達に連れられて、生まれて初めて「ピザ」というものを

食した時のとまどいを思い出します。


「どうやって食べるのだ??」←心の声

そうして生まれて初めて、その・・・ピザカッターを使って

慣れた手つきで切り分ける友達に

猛烈に劣等感を感じたものでした。

ここに気持ちの大半を奪われつつ

また食べた所でこれが果たして、美味しいものなのかどうかも、

味がよくわからない・・・ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー

残念な状態でした。


このように全く自分の守備範囲外のことでは、AC的エスパー能力激減

味よりも苦手意識だけが残り、

これが繰り返されることで、友達と食事することに、

劣等感だけがつきまとう状態。

食事・・・まじで苦痛でした。


これは、恐らく、幼い頃の食卓に関する記憶と連動しています。

幼い頃の食卓は、修羅場であるか、いつ修羅場になるかどうか

そこに100%の感を研ぎ澄ませていなければならなくて

「味わう」という人として当然の事が欠損していったのだろうと感じます。


皆さんも経験あると思いますが、

テストの点数を怒られると、今まで美味しいと口に運んでいたものが

急に、ざらざらしたまずい感覚になるってことないでしょうか。

ただでさえ人は、悩み事があると食欲が落ちたりもしますね。

それが、幼少時代、24時間幼い頃続いていた状態であったと考えて下されば

いいかと思います。


人の顔色や、物事の予想、修羅場の感は、良くも悪くも

すごく肥大してしまったのですが
(AC的な察する力技)

食事に関しては、とんと欠損・・・。

感を働かせようとしても、人の顔色を見てても、

食べ物の味は、自分で感じなければ、わかるはずもありません。


「これ、おいしいね」と友達に言われても・・・すごく、困惑する。

「うん」ととりあえず同調しながらも

自分の分からなさに劣等感~~~。(T_T)ううっ

AC的感が通用しない場所は、できるだけ避けたい。

今更「おいしいって、どんなところがどういう風に美味しいの?」

なんて恥ずかしくて聞けない。

それに対して

「甘みが、ほんのりあってね、1%苦味を感じて、触感が5割くらいとろとろして

噛めば、~~~~」と延々と説明をしてくれる人は一般的には、おりません。


んでまた、「とろとろってどれくらいなんですか?」

となると・・・

それは、1人1人、違う感覚ですので、説明しても意味がない。

「自分で感じなさ~い」と言わざるおえなくなります。

大人だと非常にめんどうくさいことになっちゃいます。


たぶん、小さな子であれば3~4歳のころ

「それって美味しいの?」と一生懸命、説明を求めてくる時期がありますね。

本当なら、ニュアンスを感じる力は、その時期から急激に発達して

自然に得られる感覚なのではないかと感じます。



私の場合は、そういう段階もなく、

大人になって分からないのに、美味しいふりをするのが、非常に辛くてですね。

場を壊してる気がして、苦手だったのではないかと

先日のセッションの中で、気づかされたことでした。



幼い頃から、人の気持ちは、裏の裏まで読みつくす、微妙なニュアンスも

取り込むくらいに敏感だったのですが、

こと食事になると「鈍感力」が働いて、味のニュアンスがさっぱり分からず。

くそ親父のアル中と母の「強烈な私は可哀想」攻撃で

家庭内が日々戦場であったため、すっかり欠損してしまったのでしょうね。


私自身のことを例にとって書いてみましたが、

この、「ニュアンス」を捉える力は、「察する力」とも言えます。

食事の時に、ホウレンソウのビタミン成分から説明しなければ

ならないくらいに、「美味しい」が分からない味音痴な私が、

他者の「おいしい」という感覚を察することは、かなり無理なことでした。
(ホウレンソウの成分でも、思い当たることがあります。
味や美味しさ、まずさが分からないから、成分や無農薬という
付加価値のついたものに飛びつくという状態もあった気がします)

食べなければならない=残さない=お腹を満たす=おいしい という構図がありました。

これでは、そもそも食べる事は、胃が満たればいいってことになります。


「美味しいってなに?」から考え直す必要がありました。

なんてこったい(;´-`).。oO(ぇ・・・・)

次第に人と食事をすると「美味しい」を知らない、

一緒に楽しめないということが

あからさまになるのではないか、バレてしまうのではないかという恐怖から

苦行、難行になっていったのではないかと感じるのです。

これが、人とのズレを生み、

人を遠ざける一因になりやすいのではないかと感じます。



こうして書いてみると、ニュアンスを捉える力の欠損は

多くの子どもたちにも見られますし

大人にも、みられるのではないかと感じます。

私は、食べ物に顕著に表れましたが、

コミュニケーションに現れる人もいますし

ファッションに現れる人もいるでしょう。

自分の欠損箇所に気づくと、面白いものが見えてくるかもしれませんよ。

ちなみに、不登校家庭に、有機野菜、無農薬、栄養にこだわる家庭が多いのにも、

なんらかの関連性があるのかもしれないと感じます。


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| 不登校とAC | 16:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑















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