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【AC・不登校】安全な場所 ~母親の聖域を壊すことが回復につながる~

安全な場所・・・セッションを受けたことのある方には

なじみの言葉だと思います。

が、何度聞いてもピンとこない、自分と重ねられないというのも

正直なところなのかもしれません。


おさらいとして、記事をアップしておこうと思います。


人は、それぞれに自分の心を守るために「安全な場所」を持っています。

たとえば、子どもであれば、数人の仲良しグループであったり

気の合う友人と共に過ごす時間だったり、家庭であったりします。

時にはケンカをしたり、言い争ったりもしますが、

本来は、そのような場所は、安心して自分をさらけ出しても受け入れてもらえる場所、

そのままの自分でいることを許可される場所です。

そこを1つ目の安全な場所と表現します。


しかし、心に重荷を抱える子どもであるならば、

1つ目の安全な場所が安全ではないように感じるということが多く見られます。


このように、大多数の子たちが安全な場所だと思える場所を安全ではないと感じる仕組みは

もっと幼い頃の家庭をベースとする心の仕組みから波及している場合が多いのではないかと感じます。


もし、親が過干渉すぎるとしたら・・・

過干渉の状態で幼少期を過ごし、自分の心を小さく制限されていき

自分の意思を自分で決められない子どもにとって

制限されることが少なく自由な意思を持つ子どもの集団は、とても脅威になります。


反対に、もし親が無関心ならば

親の関心を得ようとすることで、必死になりますが、それでも関心を得られないことで

自分独特の納得しかたを作らねばならなくなります。


過干渉でも、無関心でも子どもにとっては、親を責めることも出来ず

親を憎むことも出来ず、それでも親を守るために、

「自分が悪かったから」

「自分がダメな子だから」

と自分を傷つけることで、納得できない環境を乗り切ろうとします。

きっと、生まれてから何万回も、自分を傷つけて

親を守ってきたことだろうと思います。

子どもは、「あんな親、いない方がいい」と口にしながらも

親に愛する力がないという究極の悲劇を避け続けてきたと言ってもいいかと思います。

無力な子どもにとって、親という存在は自分に愛情を向けてくれるに違いない

唯一信じていたい人なのです。

そして、どんなにがっかりしてもその愛情を信じ続けようとするのです。


愛する人を守るために、
自分の持つ愛情のともし火を消さない為に。。。。

自分を傷つける事で心を逃して来た場所が
不遇の環境の連続で出来上がってしまっていたのです。

この小さな小さな場所は、不遇の連続により
沢山の手法を使わなければ、その場所に逃げ込む事ができなくなったのだろうと思います。


≪壊れた心を取り戻す≫より参照(byきんたろうさん)


上の文章の意味を、私の文章と照らし合わせて、よくよく感じて欲しいと思います。

さらに続きます。

その為に、言い訳や違和感を誤魔化し、その場所に無理やり逃げ込もうとする行為が
心の法律や、記憶の操作、納得と相殺などより複雑な手法を作り出す事に
なったのだろうと推測しています



こうして大人になった私たちは、

この複雑な仕組みをさらに複雑に使いながら、成長させながら

自分を守る手段として心の癖を生みだしていきます。


この思考の回路を広げていきますと

たとえば「他虐的怒り」で説明していくとすれば

誰かと話していて、何気ない言葉や行動を怒るために記憶にインプットし

そこに怒りを感じるシステムを作るのではないかと感じます。

ターゲットになった相手は、かつて自分を威圧的に抑え込んだ母親の記憶の投影だとすれば

母親を守るために、代償行為で他者に怒りをぶつけるという行為なのかもしれません。

しかし本人にはこの自覚がありません。

なぜなら母親を守るために 記憶の操作、消去が生じているために

怒りの爆発は母親に直接は向かず、無意識の状態でなされます。


他虐的があれば、反対に自虐的な場合もあります。


「私はどうせ、ダメな人だから」と

寂しく孤独なかわいそうな自分をせっせと作るということもあります。

泣くことで、相手から責められない防御壁を作るということもあります。

嘆いているから泣くのではないのですね。

本当は「かわいそうな私」を一番見せたいのは、お母さんなのです。

しかし前述したように母親を守るための心の仕組みを作っているので

「かわいそうな私」が、母親に向けられることはありません。

そして、「かわいそうな私」は、誰も踏み込めない特殊な 聖域と化します。

よく言われる虚無的な空虚な感覚も、ある特別な人だけが

強く感じる感覚であるかのように感じがちですが、

そこにあるのは「どうせあなたには私の気持ちは分からない」という

拒絶感が占められている気がします。

絶望的な思考回路でありながら、同時に自分を特別化する万能感を与え

生きる意味を与えるという奇妙なねじれ現象を起こさせます。

(人間にそれほどの違いはないと思うのですよ)

愛情を諦めきれない気持ちの残骸なのかもしれません。

このように、「2つ目の安全な場所」は、色々なパターンで

本人の実像を見せることを拒む手法として使われていきます。


入りきれない大きな出来事(虐待・過干渉)を変換し圧縮する事によって詰め込んでゆく・・・
やがて、入りきらなくなった時、心に障害が現れ・・・・・
心を吐き出す場所を探す事になったのです。



自虐的であろうと、他虐的であろうと、

自分が逃げ込む安全な場所であることには変わりがないのです。

それは、恐ろしい事に、違う感覚を持った他者への拒絶を意味しています。

隔離された安全な場所。特殊な世界です。

しかし安全な場所は個々の心の中にとても巧妙に作られているので

一般的にはとても分かりづらいものだろうと思います。

一見、正当性をもっているように見えるので、普通の人たちは戸惑ってしまいます。



子どもたちは、このような家庭環境において次第に他者とのズレを感じていきます。

そして、無意識のまま世代間の連鎖がくりかえされることになります。

子育てをするうえで、親が思うのは

「どこにいても自分の意思を出せて、のびのびと自由であって欲しい」

ということではないでしょうか。

そう願いながらも、知らず知らずのうちに自由を奪い取り、意思を奪う家庭であるならば

家族の誰もが苦しいのではないかと感じます。



手を変え。品を変え。場所を変え。人を変え。
どこまで行っても、同じ事を繰り返している事にさえ気づかない。。
これが自ら作り出した安全な場所の最も恐ろしいところだと考えています。

どんなに心の勉強をして、知識を高め、認識を変えても
自らが作った、安全な場所に逃げ込む瞬間を捉える事が出来なければ・・
他者が提供する安全な場所を、どこがで拒否し認める事が出来ず。。
自分と本当に向き合う事が出来ないのではないでしょうか?



自分が作り、自分の愛情を守り続けた「2つ目の安全な場所」に気づくことは、

ある意味、非常に残酷なことで悲しいことでもあります。

しかし、この2つ目の安全な場所が自覚されない限り、

1つ目の安全な場所を拒絶し続けなければならないという現実もあります。


子どもたちに自由な人生を歩んで欲しいと願うならば、

2つ目に逃げ込むことを伝えるのではなく

1つ目の安全な場所を伝えていきたいものだと思うのです。


            【まとめ】
●1つ目の安全な場所・・・他者と気楽に交流できる場所
            
      家庭、近所、学校、地域、社会などが含まれます。

      人間関係の中で生まれる自然なコミュニティ

      制限が少ない場所

●2つ目の安全な場所・・・自分の心を守るために作りだした自分独自の安全な場所

      制限が多く、その場所でしか通用しない心の法律のシェアが大きい場所
      制限が多いということは、他者もその制限の中で生きなければ許されない世界

自分が作った安全な場所を壊せるのは、自分だけです。


*青文字・・・壊れた心を取り戻すより参照
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