アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

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【アダルトチルドレン】立体と平面で感情をイメージしてみる(追記)

この記事は、私個人の感情に関する実験的な考察なので

正しいのか間違っているのかわかりません。

そこのところ、了承して読まれて下さい。



正当な場所(主に親対する)に怒り(感情)を向けられない成育歴があったとする場合

(機能不全家庭など、思考方向をねじ曲げて納得せざるを得なかった経験が多い)

自分の感情を閉じ込めて大人になります。


「いや、嬉しい、悲しい、むかつく」ありますよと

そうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

私も、自分の20代~40代にかけて、

確かに、そう思いこんでいました。


今、思い起こせば・・・その感情は、社会に出てから

他者の感情の発露の方法を学習的に学び、取り入れ、

単に真似をした状態ではなかったかと思います。

「こんな時は、こう表現するものなんだろう」

というルールを自分で構築していった時期。


確かに、行動と気持ちが一致しない、気持ち悪い感覚を覚えています。

「ここは、喜ぶところだ」「ここは、楽しそうにするところだ」

「ありがとうと言うところだ」「大丈夫?と心配そうに言うところだ」


こうして、一致しない表現を取り入れた頃の名残りで

「ありがとう」「だいじょうぶ?」と他者から言われた時

「そんなことは思っていないはずだ、建前で言ってるだけだ」と

自分の思考と一致させて、人の言葉を受け取っていたので

「ありがとう」は欺瞞にあふれた言葉だと不快キーワードとして、感覚的に入ってきていました。


この感情の状態を形でイメージしてみると

『平面的』だと感じます。

  ↑
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縦が経験値  横が知識 


これが、永遠に広がり続けていくイメージがあります。

人は不慮の出来事のために、あらゆる想定をしておかねばなりません。

が、大方起こる不慮の出来事というものは、

年を経るごとに、どんどん増えていきます。

想定外ということは、経験にも知識にも存在しないので

それはそれは、大変なパニックになります。

そうしながら、新しく得た方法や知識は無限に増え続けます。


恐らく、「どういう方法でやればいいのでしょう?」という問いは

この平面的な経験から出てくるのではないかと感じます。(平面思考)


また、年齢が上がり大人になると、想定外のことを避けようとします。

既に平面は目いっぱい広がっている状態です。

想定外の事を受け入れるためには、

新しい区画を作って広げなければならないか、

過去の経験を塗りつぶすかのどちらかの選択になります。

(過去に学んだことを平面的に広げていってる状態)



この状態を続けていけば・・・もう記憶倉庫が、いっぱいいっぱいになっていきます。

頭の中が散らかって、どうにも収集つかなくなった状態ともいえます。

広げすぎた頭の中は、バラバラで整理されなくて、

情報も混乱したり、どこになおしたか分からなくなる。

疲れ果ててしまいます。

人との付き合いが、苦痛にさえなります。


しかし、同時にバラバラの点在する思考を、今の状態によりふさわしい状態に合わせて、

作り直すこともできます(記憶の操作)

時に、整理がちぐはぐで、とんちんかんさ、矛盾が平気で起こります。

当の本人も、その矛盾に気づくことはありません。

他人が聞けば、とても不可思議なことが起こっているように見えるのですが

私も当時は、大真面目で正当性の自信さえ持っています。

しかし、常に心が乾き、飢えている状態が続いていました。

この状態が閉じ込められた感情の叫びだったのだろうと思います。

当然、大人でもそうですが、経験値の浅い子どもたちは、繋ぎミスが起こります。
繋ぎミスが起これば、まわりの同年代の子たちから
「変な子・・・」と不思議がられる状態が起こります。(違和感の初段階のスタート)
ここで、2つの選択がなされます。
「変な子」を貫き通すか、
「変な子」を認めて打ちひしがれるか・・・。
不登校の場合、貫き通し続けて、やがて力尽きて、打ちひしがれる流れがあるのかもしれません。



「もう、無理!」

こうして、発動するのがなじみの思考回路。

相手の粗を探し、そこから離れる選択をしようと準備をしはじめます。

そのためには、相手が自分を嫌うように仕向けなければならなくなります。

わざと、威嚇したり、仕事が忙しい、引っ越し等を使って、

相手との距離をとろうとします。

おおまかな、平面的思考回路の流れです。


*これは、私の中の流れを追っていますので、
誰にもあてはまるとは限りません。
もし、当てはまるかもと思われたらラッキー、くらいで読んでください。



次に行きます。


私は、回復という状態は、経験と知識に、感情が付いている状態だと思っています。


縦、横に、「高さ」が付いて、立体構造になるということだと考えます。

「高さ」は、人それぞれ違うと思います。

が、高さがあれば、縦と横は、それほど無限に広がる必要はないと感じます。

なぜなら、「感情」は自分の意思の発露であり、思考をする時の軸になります。

それほど、たくさんのパターンを知識として入れなくても

自然に応用が効きます。


「どうすればいいんだろう」アタフタヾ(▽ ̄;ヾ) )))...((( (/; ̄▽)/ アタフタ

という状態は平面の時だけより、かなりソフトに入ってきます。

自分で判断する基準があるので、

経験や知識は、あまり必要とされないのです。

その時に、自分がどう感じたのか、どうしたいのか

そこが「高さ」として平面を支えているので、

自分がどうしたいのかが分かっています。



こうして、考えてみると

感情封鎖というものは、平面的な思考。

感情解放は、立体的になる方向性を示していると感じます。


包容力がある人を「厚みがある人」という言い方をしますが、

実に、言い得て妙。


平面部分は、練習次第でいくらでも立体的に出来ると感じます。

感情鈍麻、感情喪失、空気読めない、

そんな子どもたちが多いこともまた、

大人の立体構造化がなされていないのではないかと考えています。

平面的な生き方は、砂漠をさまよい続けていく状態に似ている

あるいは、宇宙をさまよっている・・・

そんなイメージが、私にはあります。


~ひとりごと~

いろいろな人の「自分が正当であると思い込んでいる怒り」にふれるたびに、
自分もそうだったことを思えば、責める気持ちにもなりません。
しかし、私は、傷つかないのか?といえば、それは違います。
人の根源の怒りに触れる時の消耗は、深く泥沼に沈みこむように
自分をえぐられる感覚があります。
怖いとか、そういうものではなく・・・
回復には、その段階を通ることも必須だと知っています。
私自身も、そうやって待ってもらって回復へ向かいましたので
その必要性も十分に感じます。

幸いにして、今現在は、怒りに対してのフラッシュバックは
もう起こらないのは救いです。

成育歴により、究極の修羅の怒りしか知らないことも知っています。
そうせざるを得ない感情の暴走も、経験上わかります。
わかっているからこそ、私の感情は抑えなければならない。

時々、自分の中の小さな子どもが悲しんでいるのを感じます。
元ACがカウンセリングをするということの難しい面だと感じます。
先を行く者として、この感覚をどう処理していくのか・・・
ぼんやりと今後の課題として考えているところです。


【お願い】月末処理とシフト作成とで、しばし私の方は、携帯メールは
返せません。ごめんなさい。
緊急メールには、お返事しますm(__)m


【さらにお願い】
ピグをやっているのですが、可能ならば
あなここの会員さんのお手伝い、水やりの御訪問はご遠慮くだされば助かります。
外部との接触に使っていくので、どうぞ、ご協力ください。
わがまま言ってすみません。
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