アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

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【アダルトチルドレン・不登校】自分の意思を決めることを妨げているもの

いつの間にやら、8月も終わりに近づいてきています。
既に学校が始まっている地域もあるでしょう。
不登校のお子様をお持ちのご家庭は、
子どもさんが、今学校へ行ける心の状態であるのかどうかを
見誤らず、焦らずに過ごして頂ければと思っています。

お子様の「心の状態」と「表面に出ている状態」は、違うことが多いと感じます。
お母さんの心の状態をフラットにして判断する必要がありそうです。

*あなここでは、お母さんの心をフラットにしていくお手伝いをしています。


今日のお題・・・「決める」ということについて考えてみたいと思います。

何かを選ぶ時、人は自分の基準で、物事を決定していきます。

しかし、決めるという作業の時に、選ぶという状態があるかと思います。

行くか、行かないか。アイスか、かき氷か。

牛丼か、天丼か。

電話をするかしないか。家を買うか、買うまいか。


生活のあらゆる所で、小さなことから大きなことまで

「選ぶ、決定」するということを私たちはしていますね。

その時、どっちにしようか??と迷ったり、悩んだり、苦しんだりすることを

心理学用語で「葛藤」と言います。

「葛藤」の状態にはいくつかの理論上のパターンがありますが

あなここでは、心理学用語を出来るだけ使わずに説明することを行っています。

心理学用語を使うと、あたかも分かった気分になってしまい

用語に症状を当てはめて終わってしまう(安心してしまう)ことを恐れます。

「AC」という言葉も、便宜上で使っているだけですので、
「生きづらいと感じている人」「親と上手くいかない人」
「人間関係がうまくいかないと感じている人」「子育てが難しい」などを
簡単に表す言葉だと思って下されば助かります。
自分が「ACであるのかどうか」に捉われる必要も無いと思っています。
また、実際の当人の悩みと、症状名である「AC」や「発達障害」「うつ病」「アスペ」なども、
かけ離れている場合もまた多いと感じています。
あなここでは、生身の人間としての苦しい状態を
良い方向になるよう、共に考えていくだけです。


「事件は、常に現場で起こっている」ってことです(笑)


さて「決める」に戻ります。

物事を決める際の葛藤の状態をちょっと考えてみました。


①やりたい

②やりたくない


多くの場合の葛藤のベースはこれだと思います。

しかし、このシンプルな事を「自分で決める」ということが意外に出来ない方が

多いと感じます。

出来ない・・・というより、それ以前の問題で

そもそも、自分の意思がよく分からないという状態があります。

この不可思議な現象が、一体なぜ起こるのか、

可能性として、考えてみました。


①親の過干渉によって、自分で決める練習をする機会が無かった


②自分で決めた事によって、嫌な体験をした




①の場合は、身近なところから自分の意思を決めて行く練習を地道にしていくことが必要だと感じます。
自分で決めていいんだ、という体験を積むってことですね。

例:今朝の朝食は、パンがいいか、白ご飯がいいか。
  (家族は、どっちが好みだろうという決め方ではなく
   自分はどちらを食べたいのだろう、と考えていくのがポイントです)

しかし、たったそれだけでもかなり抵抗が起こるのですね。
決められないには、決められなくなった背景というものが存在していると感じます。


それが、②という状態ではないかと感じます。
主に、幼少期の体験がベースになると思ってください。

例:習い事を始めたが、段々嫌になってきた。

子「やめたい」

母「途中で投げ出したら、ろくな人間にならない」
 「自分でやりたいと言い出したんでしょ」

子「だって、先生が厳しいんだもん」
(自分は行きたいが、先生が厳しいということで自己防衛の言い訳)

母「あなたは、何をやっても続かないのね。夏休みの宿題だって、いつもそうだわ
  あの時だって#%&#&%×△□ 」

子「・・・」

子には、やりたいという意思は持てても、

やめるという意思は存在してはいけないことになります。

そうすると、何かをやり始めることが、止められないのだという

恐怖を呼び起こすようになっていきます。


子は自分の意思を出すことを恐れるようになり、

「やめたい」という自分の意思よりも、もっと辛い状態の

母親の延々と続くお小言の針のムシロから脱出するために

「やらなければならない」という結論を得ることでしょう。


この繰り返しによって、子は、自分の「やりたい」「やりたくない」という意思に付随してくる

母親の責める、泣く、無視、怒り、から逃れるために

「ねばならない」と自分を納得させるしかなくなるのだろうと思います。


やがて、大人になっても、思考の癖として、

何かを選択したり、決める時に

主軸に「ねばならない」=「~~しないと、○○と言われる(思われる)」ということが

ベースを占めることになります。


この連続性の中で

例:「ほら、みなさい。お母さんの言った通りでしょ」

何かをやりたいと選択し、失敗した時に

このような言われ方をしたら、

自分で決めること=失敗する=ダメな自分

という流れが、自分の心に刻まれていくことでしょう。

成功体験もあったはずですが傷ついた心が深いほど

成功体験はかき消されて、ダメな自分がクローズアップするのではないかと感じます。

自分を守るために、次第に自分で決めることを恐れていくのでしょうね。



子どもがどろんこ遊びをして大きな山を作っている時に

途中で、崩れてしまって泣いてしまった時があるとします。

もし、夢中で何かをやって、失敗した時

「よしよし、頑張ったんだね、上手くいかなくて悔しいんだね」

と悲しい気持ちを存分に受け取ってくれる存在があったならば

ダメな自分も、受け入れることが出来たのではないでしょうか。



以上のことを不登校の子供の状態に重ねてみます。

学校へ行きたいのか、行きたくないのか、

それとも行けないのか、という問題が発生するとき、

自分で自分の気持ちを決められない状態であるかもしれないと

考えてみてもいいのかもしれません。

自分で決められない成育歴があったからこそ、

終わらない葛藤で苦しんでいるのではないかと感じます。


子どもたちが「学校へ行かなくちゃいけなんだ」「働かなくてはいけないんだ」

「このままじゃ、だめだ」と考えている時、

子ども自身の意思なのか、成育歴から強迫的にそう思っているのかを

分けて考えた方がいいかもしれません。

もし、子どもたちが 強迫的に思っていることであるのなら

子どもたちから奪った意思を、返していく所から

始めなければならないのではないでしょうか。

どうやって?

それはセッションでお伝えしています^^

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