アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

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【アダルトチルドレン】人から諭されるのが嫌い

ACの人の心の流れとして、

過干渉されて育てられた場合、放置された場合もそうですが、

自覚があろうとなかろうと

母親に失望した回数の多さは、はんぱなくあるのではないでしょうか。


その回数に比例して、

「わかってもらいたい」を、あまりにも長く待ち過ぎた・・・


人は失望の時期が長いほど、自分が傷つくことを知っています。

次第に自分を傷つけないよう、悔しさを感じたくないよう

自分の残されたプライドを守るために

「わかって欲しい」気持ちを自分から拒絶していきます。


やがて「わかるわけがない」


と変えていくのだろうと感じます。

(この工程は、本人は全く無意識です)



「分かって欲しい」から「分かってもらえない」という悲しみを隠し、

*一般人に混ざって平気なふりをし続けると「分かるわけがない」という

たった1つの意思が、ある一定の方向へ自分の思考を向けることになります。

*一般の人は私のブログのようなメンタル系ブログはまず読みません。
無意識の一般の人たちと、AC・依存的な人との間には思考回路に距離がありすぎるのですね。


《補完図》
図1


ACの私たちが、無意識な一般的な人を理解しようとすれば、
母親の不可思議さに気づかされ、母を憎まなければならない。

母親を理解しようとしたら(守る)自分を我慢させ
自分の思考を捻じ曲げていくしかないのだろうと思います。

次第に母親を守る行為と一般的な人たちとの思考に挟まれ、
人とコミュニケーションがスムーズに出来なくなります。

捻じ曲げてどっちにも動けない状態が、「諭されるのが嫌い」
「教えられるのが嫌い」「どうせ分からないでしょ」という
自分でもどうしようもない状態を作りだしているのではないかと感じます。

(真中に、支援団体のくくりをいれましたが、ここでリハビリをしていく必要が
あるのかもしれないということで、入れてみました)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

この状態を継続していくと、次第に自分しかわからない独特の世界観を構築していきます。

人を「拒絶」するということになっていくのだろうと思うのです。


拒絶して人と決して交われない悲しみ埋めるために

わざと一般的な人が選ばない奇抜な事をやってみるのもその表現の1つかもしれません。


たとえば、たまに、改造バイクで公道を大音量でぶんぶん吹かしてみたり

蛇行して運転したりする若者を見かけたりしたことがあると思います。

(最近は、少人数化している感じがします)

あの行為自体をダメと否定するものではないのですが

注目して欲しいのは、一般の人から見ると「ハタ迷惑」「滑稽」に見える事です。

しかし、「若者」「未熟」というところで、

「そういう時期もあるよね」と許容されている部分もあるんではないかと思います。

しかし熱中している時期に、「迷惑だからやめなさい!」と親や学校、警察に諭されても

ほとんど効果は無いのではないでしょうか。

本人にはやりたい理由とポリシー、あるいは自分なりの正義や

訴えたいことがあるのですから「おまえらに俺の気持ちなんか分かるわけがない」と

拒絶されるのが関の山だろうと思います。

自分が満足し、やめようと思わない限り止まることはないと感じます。


さて、この「滑稽さ」は、ACの持つ滑稽さとよく似た部分があります。



昔、若い頃、ボーリングが流行った時期があります。(年がばれる・・・)

学生時代、ボーリングが苦手で、大勢で行くといつもびりっけつ。

あまりの酷さに、みんなが気を使って、

「こう投げたらいい」とアドバイスをくれるのですが

そのアドバイスをもらう自分が酷く惨めでしたし、プライドを傷つけられる行為でした。

「出来たら苦労しない!」

という怒りの拒絶のもとに、自分のスタイルを変えようとしない私がいました。

次第に、みんなが「やれやれ」という目線で自分を見ている。

私は、ふてくされる、黙り込む、怒りオーラを出す。


こんな時代がありました(笑)


今考えると、人からアドバイスや指摘をされる事に対して

「全否定」された感覚に陥っていたのですね。

そして、怒りで返す。


この思考回路は、「分かって欲しい(怒)」→「分かってくれない(悲)」

→「分かるわけがない(いじけ・拒絶)」

→「分かってくれないくせに私を変えようとしないで!!(失望したくない抵抗)」という

親との関係から学んだ、「いじけ思考」を対人関係でひねくれて発展をさせていき

人とうまく交われない自分を守っていく方法であったと思うのです。

当時の学生時代の友達にしたら、えらく迷惑な話で

かつ滑稽に見えていたことだろうと感じます┐( -"-)┌ヤレヤレ...


この状態は、私のベースにずっとありました。

自分独自の狭い場所に、居続けることを選んだ私は、

人と気持ちを交わらせるということを拒絶していきながら

拒絶を正当化するために、犬の介護、子育てサークルや宗教・スピリチュアル・理論に傾倒していきました。


拒絶の大義が、外部から持ってきた

さも、すがすがしくも、竹を割ったような

「私は正しい」と言い切れる

誰にも文句を言わせないものとして利用していきました。

犬の介護を例にとると、ペットを大切にしている心優しい人になれます。

子育てサークルにすると、子どもの成長を願う全うな母親に酔えます。

宗教であれば「愛を伝える」という、「分かってくれない母親」とは違う

美しい自分でいられます。

スピリチュアルでいえば、自分の空虚を「見えないもの」「運命」「前世」「来世」でご満悦。

自分で見つけ出したものと有頂天、鳥骨鶏。

ただ、はまって自分と向き合うことを拒絶していただけですね。

滑稽なことでした^^;


その滑稽なことをやりながら「一生懸命やってるね」と周りの人から言われ

悦に浸っていたニュアンスの分からなさ・・Σ(_(工)_;)ゴン!!

実は、あきれられていたというのが、本当のところです。

いやはや、私のどうしようも救いようが無かった長い長い時代です。


お恥ずかしい・・・。


諭されること、教えてもらうことを受け入れること

人に触れることを拒絶した結果の出来ごとでした。



誰も悪くは無かったのですが、一番の犠牲は

道連れにされた子どもたちだったと思います。


母親の方向性が、家族の行くえを決めているということもあるのではないか?

そう思ったりします。

私は、かなり遠回りをしましたが、

もし、子どもさんが不登校で人と交われない状態があるのなら

身近で率直にアドバイスをくれる人の言葉を振り返ってみたり

自分の思考の方向性(癖)が、子どもや家族を巻き込んでいるかもしれない

と振り返ってみることが回復の近道であるかもしれません。


1人では、回復はできない。

このことは、私が痛感することです。

誰かの仲間や存在があなたの近くにあるのなら

助けを求めたり、甘えたりして、力を借りて自分を広げていくことをお勧めします。
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