アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

<< 2012-09- | ARCHIVE-SELECT | 2012-11- >>

| PAGE-SELECT |

>> EDIT

生きること

生きるとは、


自分の人生を自分で決定していくこと。


生きるとは、


自分を自分で信じること。


何度転んでも立ち上がる力。


そうやって、ここまできたこと、


忘れない、忘れない。


自分を自分で諦めない。


軸は、私の手の内に。


風に吹かれて飛ぶような人生は、送らない。



私たちは、それほど、弱くはなかった。


志は、それぞれ違えど。


さして強くも無かったかもしれないけれど、


決して弱かったことは無かった。


これまでも、これからも。


私たちが、自分の意思で選びとってきた人生だもの。


出会えた事、心交われた事


互いに覚えていられる存在である事が、嬉しい。


(ネットを始めたばかりの頃に知り合った古い古い友人Eさんへ)

| 日々のこと | 01:23 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

お知らせ11月の予約


11月の予約を承ります。


26日までに、ご送付ください。


よろしくお願い致します。

| あなここ便り | 23:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【アダルトチルドレン】感情にウソをつき続けた結果・・・

自分の感情にうそをつく


そうしなければ、生きてこれなかった、納得できなかった幼少時代。


一生懸命ウソばかりを自分につき続けてきた結果、


もう、持ち切れない・・・


自分ひとりなら、どうにかやっていける。


しかし、結婚して一緒に生活する人を得て

子どもが出来て、ウソをつく人が増えていくと・・・

持ち切れなくなっていった。。。


もう、無理・・・


そうやって、ウソをつき続けられなくなった私は

時々、ウソを放棄した。


そして、憎しみを爆発させた。


怒りではない。


憎しみだ。


ウソをつき続けるしかなかった幼少時代・・・

ウソをつかせた、親を恨むようになっていった。


今は、ウソをつく必要もないのに

やっぱり、感情にウソをつく。


寂しくないもん

辛くないもん

苦しくなんてないもん

1人でいいもん



ウソをつきつづけながら、自分以外の世界を

破壊しつくしたくなる衝動にかられる。

まっさらの最初からやり直したくなる。

この気持ちは、5歳のころの記憶。


生まれたくなかった。

もう一度、生まれなおしたい。

そういう衝動だった。


でも、何度生まれなおしても、

何も変わらなかった。


本当は感情は、ウソをつきたくない。


それが出来たら、どんなに楽だろう。。。

感情・・・この大切なもの。


先週のセッションから、そんなことを感じました。

| AC | 05:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

●普通の人の感覚で書かれた記事を読む

長いネット生活で、すっかりどっぷりと心に問題を抱える方のサイトばかりを

読んできましたが、

ここにきて、ちょっと目先を変えて「ごく普通の感覚の方」の記事も

最近読みだしています。


すごく・・・面白いです。


例えば、奥さんが風邪をひいて熱を出しました。

そして旦那さんが、

「俺の飯はどうするの?」

「子どもにうつったら大変」

そういう言葉を言ったシーンがありました。

その方は、

誰でも、物事は自分を中心に考えるのが当たり前であることを

さらさらと、笑い話のように書かれていました。

人は、自分中心に物事を考えることがベースにあるのは

当たり前のことであり、自分もそうであるということを

書かれていました。


恐らく、心の問題を抱えている家庭ならば・・・・

恨みや、怒り、憎しみで憎悪でいっぱいになるかと(笑

あげくのはては、高熱を押してご飯を作ったり

大変な回りくどい、ご苦労のアピールをしていくことになるのでは・・・と

後の恨みを想像して、恐怖におののきました(笑


心に問題を抱えていないという状態は

しっかりと自分を客観的に見つめ、他者を自分固有の思考に巻き込まない

ということを知っているのかもしれないと感じます。


まず、自分の自己保存の欲求があって、

次に、他者を大事にすることができる


心の問題を抱えている方は、

自己保存の欲求を、よこしまな汚いものと考えている節がある。

いやしい、とか みっともないとか。

それで、いいのではないか?

それが、本能というものではないか?

そんなことを最近思います。


負の感情が、いやしい事、みっともない事と思わされた成育歴が、

思考の歪みを起こし

究極の美しいものへ、傾倒していき

汚いもの、美しくないものへの嫌悪感を募らせ、

透明なものへのあこがれの果てに

透明な存在になろうとして頑張るアピール。

自然食への傾倒や油抜き食事なども、その辺に由来するのかもしれません。


恐らく、普通の人には、わけがわからない・・・


現実問題・・・人間の本能は、よこしまなものだと思うのです。


よこしまな気持ちがあるから、人間は異性や同性から好かれたいとか、

嫌われたくないとかいう気持ちもわいてきて、その努力をするものです。

さらには、活動を広げ、もてたい、きれいになりたい、有名になりたいとか、

金持ちになりたい、あれを食べたいとか

日々研鑽の原動力とするものなのです。

好きだ、という気持ちも見方を変えたら、十分よこしまです。

その先に、信じるというレッスンがあれば

好きだというシンプルな気持ちも、また大切なこと。


別に卑しいことではありません。

いいじゃありませんか^^

(よこしま、ヽ(^。^)ノばんざ~い)


よこしまな本能を捻じ曲げて行くと

よこしまな人たちが許せなくなっちゃう。


いやいや、あなたも私も、どこをどう取っても、十分よこしまだ。

自分のことしか考えていない(私もあなたも)


それでいいんじゃないかと思うんです。

別に悪いことではない。

ただ、それをちゃんと知っていること、認めていることが大切です。

自分が認めるということが出来なくて、

他者へ色々な形で、依存するようになるのではないかと感じます。


「綺麗な私」、

バラに囲まれた永遠の処女マリアではあるまいし・・・(お下品ですみません)

よこしまと、美しさが、バランスよく配置できたら

格式高くしなくても、もっと楽になるんではないかと思うのです。

| AC | 11:54 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【アダルトチルドレン】悔しいけど好きな人

AC的な感覚では、

基本、人は嫌い、怖い、信用ならない、


言う事はきかない、


私のやり方でやっていく


そういう傾向が強いのですが、

強すぎて、世間との違和感に苦しみ

自分独自の世界観の中で通用する人しか付き合えなくなっていきます。


不登校が長じて、引きこもりになるということは

同じように、

大人たちが、上に述べた見本を見せてくれた結果

普通に人と接するということを学びそこなってしまったと

私は考えています。


その対処法は、いかに・・・

当たって砕けて、人の中に入っていくしかありません。

そして、

「こんな奴、いやだ~」と思った人が

実は、自分の憧れだったり、

そうなりたい自分だったりすることも多い。


悔しいけど、好き

そう思った時、きっと、自分が変わるチャンスがそこにあります。


あ~、むかつくけど、

しょうがない・・・

やってやろうじゃないか


そういう人間関係も悪くはない。


かつて、信用ならなくて、疑ってばかりの自分が

いつのまにか、笑いながら、悔し紛れでも、怒りながらでも、

人を好きになっている瞬間かもしれません。

気が付けば、昔の自分を手放しているのかもよ。

| AC | 18:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

お知らせ~明細送付のお知らせ~


御請求明細を本日一斉送付しました。


メールのご確認をよろしくお願い致しますm(__)m

| あなここ便り | 17:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

ブログの紹介です

先日、ブロ友申請を頂いた方のブログをご紹介します。

takuyaさんです。

「不登校から次へ行こうよ。!!」

ご自分が不登校経験者であり、今、自分の経験をブログに書かれ、

支援する側になろうと頑張っている方です。

若い人の力、未来がとても嬉しいです。

是非、読まれてください^^

私たちも、親もぼんやりしておられません。

頑張って欲しいと思います。


| 不登校 | 22:29 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【不登校ひきこもり】お風呂に入らない

お風呂に入らない・・・という話をよく聞きます。

私も経験しているので

ちょっと、昔とは違った観点で分析してみます。


「入らない」と拒絶しているわけではないのです。

気力がないのです。

頭が苦しさで一杯になってる状態なのです。


だから、わざと入らないことを選んでるわけではないのです。


明日こそ入ろうと心に決めています。

しかし、明日になれば、明日こそ、となります。

そして、いつのまにやら、一カ月たってしまっていた・・・


なぜ、そのような現象が起こるのか?


ひとつの自傷の一種ではないかと感じます。

本人には、我慢しているという感覚は全くありません。

しかし、生活の中で、自分の感情を止めていたり

意思を奪われている状態の時、

心が苦しくてしょうがないんです。

この我慢状態が連続している時、

心の苦しさが主体であり、身体を清潔にするという感覚が

次第に欠如していきます。


「自分なんて、どうでもいい」

自傷的な感覚が強いと感じます。

ここに、アピールがあるのかないのかは定かではありません。

(私の感覚では、アピールよりも我慢している状態の連続の先に
身動きできない状態が起こっていると感じます)

恐らく、自分をないがしろにしている、あるいは

ないがしろにされていると感じている時に

お風呂に入らない状態があるのではないかと感じます。

これは、私の感覚ですので、

間違っているかもしれません。

また、幼児の場合、これが当てはまるかどうか

よく分からないのですが、

思春期以降は、ひとつの要因ではないかと感じます。

| 不登校 | 12:18 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【不登校・ひきこもり】暴れる子ども(暴言・暴力・自傷)

暴れる子どもたちの気持ちを書きます。


「閉そく感」これに尽きます。


親に暴言を吐いて訴える、物を投げる、殴る、壁に穴をあける

色々な訴えを子どもたちは家庭で行います。


過干渉の場合、母親の先回りで

自分(子ども)の意思を奪います。

子「今度、カラオケ行っていい?」

母「誰と行くの?お金はどうするの?どこに行くの?宿題やったの?」

何気ない会話ですが、

母の応答の本心には、言葉の表面の意味あいは、ありません。


自分の管轄外に子どもが行くことを阻止したいための言葉です。

家で自分の監視下の中に子どもを置いておきたい。

自由にさせたくない。

子どもが自分の監視下から外れることを阻止するための言葉です。


このような事が日常、生まれてからずっと行われていると

間違いなく、家庭の中で子どもは身動きできなくなります。


身動きできなくなった子どもに残されている行動は

自分の意思を閉じ込めて、沈黙するほかありません。


その度合いによって、

独り立ちしたら、とっとと家を出て、家に近寄らないという状態になるか

意思を奪われたまま、

社会に出てから周りとの違和感に挫折し、

家から出られない状態になることも多々あります。


家から出られない状態が続いていくと

意思を奪われた子どもは、次第に怒りを親に向け始めます。

自分の力と、世間の同年代の子たちとの差にいらつきます。

自分はダメだと感じます。

ダメにしたのは、親だと憎しみを募らせていきます。

「おまえらが、俺をこんなにしたんだ。責任とれ」と迫っては暴れます。

親にとっては、今までこんなに大切に育ててきたのに

自分たちに怒りを向けられる事は、晴天の霹靂でしょう。


ここで、親子の逆転が起こります。


親は、子にあたふたと気を使い、怯えます。

今まで、自分の上に君臨していた親が、慌てふためいて

自分のことに怯えて、こそこそしている・・・


それを目のあたりにすれば・・・

子どもは、情けなくなります。


今まで、親の言う事をきいて、自分のやりたいことを阻止され

意思を奪われ続けてきた当の相手が

自分にかしずくように、気を使い始める。

そんな親を見て、子どもは自分が情けなくなります。

そして、自分を責めます。

自分を責め過ぎた子どもは、耐えきれなくなり

ついには、暴れ始めます。

一度暴力、暴言を吐いてしまえば、

親が怯えて、気を使っている間は、この逆転現象は、

定期的に起こります。


暴力は、閉そく感を壊す為だったはずですが、

自分の暴力で昨日まで王様だった親が情けない状態になっている。

自傷をすれば、「かわいそう」と憐みの目で親から見られる。


これらの対処法は、一回目が大切です。


動揺しない、おびえない、あわてない、気を使わない

暴れる子どもに対処する、大原則です。


そして、子どもの閉そく感、家庭の窮屈さに母親が気づくこと。

子どもから奪った意思を返してやること。

丁寧に、子どもの気持ちを受け取ること。



親から、怖がられるという行為は、子どもにとって

最大に悲しいことです・・・

今まで、自分の意思を捨て、良い子をしながら守ってきた大切な親から

拒絶されるのです。。。

世の中に、こんなに絶望的なことがあるでしょうか・・・


子どもは、自分のやっていることが、理不尽な行為だとも分かっています。

それでもなお、自分の意思を取り戻そうと

あがいている究極の行為が、暴力、暴言です。


しかし、残念ながら、親自身は、子どもの意思を奪ってきたものの重さを

考えることができません。


親子のズレです。


では、暴れる子どもをどうすればいいのか?という疑問。


意思を少しずつ返してやること。

大切に、丁寧に、子どもとの歴史を振り返り

親が子どもから奪ってきた重さを感じること。

私は、それだけでいいと思います。

口先だけで謝る必要はありません。

重さを感じることができるならば、

子どもには、自然に伝わっていきます。


親が上で、子どもが下?

親の方が経験があるから、親の言う事に従いなさい?(監視)

子どもが、不都合な問題を起こしたら、子どもが上で親が下?(怯え)

こんな都合のいい話はありません。

(ふざけるな!と言いたくなる子どもの気持ち、よくわかります・・・)


親と子は、人生は別物。

親子の歴史を振り返ってみてください。


とある回復ブログには、「親が上であることを示そう」など書いてありました。
私には、???でした。
力で抑えて、何になるというのだろう。
それを忠実にやって、挫折している人のブログも知っています。
なんともやるせなさを感じました。

| 不登校 | 11:54 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

同じ悩みを持つ方たちのサークルへの参加のすすめ

不登校や引きこもり、アダルトチルドレンもそうですが、

回復していった方のブログを読みながら、

その方向性を考えます。


1.自分で仲間を探す(同じ場所だけではなく、多種多様な場所をお薦めします)

2.自分で色々なコミュニティに参加してみて、気の合う人を探す

3.自分で行動してみる



この3点は、かなりポイントが高いと感じます。


そして、


4.自発的に、自分なりに考えたことを言葉や文章でこまめに表現する


ということも共通ではないかと感じます。


間違ってもいい、自分の意思を持つことが

後の色々な場所での交流につながり、自分を広げ、

変化に必ずつながっている気がします。


こんなことして、誰かに変だと言われないか・・・・

変に思われないか・・・

無難に、無難に、読み逃げだけ・・・・

もしかしたら、こちらが一番やっかいなのかもしれません。。。



どんどん、当たって砕けて欲しいと思います。

他所のコミュで知り合った方たちとオフ会、してもいいと思います。


本気で変わる気があるなら。

他力本願では、閉そく感だけが、積もっていきます。

砕けた分だけ、自由になると感じます。


(余談)

昔、ミクシーで不登校コミュに所属していたとき

近所の方と数人知りあって、何度か会っています。

たまたま、息子と同じ高校であったりしたので

ファックスのやり取りもしたことも。

入学式の時、時間が合わなくて、残念にも会えなかったり
(う~ん、会いたかったなあ、ろ●ひーさん覚えてるかな)

楽しかった思い出です^^

今度、11月に、近所の○○パークの祭りにフリマ出すって、

○○さんがブログでつぶやいていたので

懐かしい人に、会いにいくよ~と思わずコメント。

何年ぶりでしょ^^

娘さん、元気に好きな学校に入学できた様子もブログで知っていたのですが、

おめでとうを言いそびれてしまってました。

ささやかな、楽しみごと。

| 不登校とAC | 16:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【アダルトチルドレン】私の気持ちは誰にもわからない~相手の不安を受け止められない人たち~

不登校のお母さん方、アダルトチルドレンの方によく見られる傾向があります。

相手から(or子ども)から、泣いて訴えられたり、悩みを打ちあけられたりすると

相手が気持ちを十分に言い切らないうちに

「こうしたらどう?」

「私の時は、こうだった」

「あの人は、こう言ってたわ」

と、話をかっさらった経験ないでしょうか。


率直な子どもであれば

「お母さんは、私の話を聞いてない!理解しようとしていない」と

そう言うことでしょう。

あるいは、相手は、それ以上は言うことをやめて

がっかりして、「いくら言っても無駄なんだ」という無力感から

黙り込むという選択をするかもしれません。


上の言葉は、いかにも相手を思いやって

方法や解決を示そうとした結果、

相手の気持ちをないがしろにしてしまうパターンだろうと感じます。


その裏には・・・


自分自身の不安の解消のしかたが分からないという不安から、

さっさと、解決してしまいたいという

経験と知識でもって、相手をコントロールしようとする行為ではないかと感じます。


もともと、人には、「自分で感じること」「自分で行動すること」

「自分の意思を持つ事」「自分で解決策を見つける力」は備わっています。

しかし、上のような対応の連続性で、

相手をコントロールしてしまうと

元々、備わっている相手(子ども)の力を、そぎ

奪い、減退させてしまう効果が抜群にあります。



では、いったい、どうすればいいの?


自分自身が、悩みを打ち明けたり、泣いたり、怒ったりしながら

誰かに話を聞いてもらって、

安心する経験が必要なのではないかと感じます。


裏を返せば、その人の人生の中で、

そういう経験が少ないことを示していると思うのです。

「つらい時は、我慢せざるを得ない環境だった」

ということを幼少期のころに、連続して経験していった結果でしょう・・・


我慢した結果、

他者が、悩みを口にしてきたとき

無意識のレベルでは

「なんで、そのくらい我慢できないの?」という

怒りめいたものがむくむくと湧いてきます。

「好き勝手なこと言えて、いいわね」

という愛情のかけらもない気持ちが、相手の言葉を遮断する・・・

しかし、「アドバイス」「正義」という形をとることで、

無意識の怒りは、かき消され相殺される。


そこに、本当に相手を大切に思う気持ちがあるのか・・・




もし、相手の気持ち、話を最後まで十分に聞くということが苦手であれば

自分が、話をかっさらっていないか

点検する必要がありあそうです。


その状態をその瞬間に、自分で意識していくこと

「ああ、私、今、相手をコントロールしようとしてるわ」と

自覚するところから、

自分と向かい合うことができる準備ができるのではないでしょうか。


相手の話を聞けないということは、

自分の不満や訴えが成就しないようにするシステムを作っているということでもあります。

この恨み、晴らさずにはおくべきか・・・と

世代を越えて、復讐をしているのかもしれません。



先日、るろうに剣心(映画)を見ました。

恨みで人を切ると、大切な人を殺された人たちの憎しみがさらに

誰かを殺そうとする憎しみの連鎖を生むこと。

そのために、「殺さず」の剣を誓った剣心。

思わず、殺人鬼になる衝動との内的戦い。

彼の誓いを知る剣心のまわりの人の暖かさ。


誰でも心の中に鬼を飼っている。

特に・・・ACさんの場合は、鬼は檻を破ってやすやすと暴れ出る。


悪いことをしたら、怒られる

人を傷つけると、自分が傷つく

過去の憎しみを手放せない


そんな、普通の人が普通に受け入れていることを

受け入れられない・・・


鬼を飼いならすことは、鬼の存在を認め、

鬼と仲良くなるしかないのかもしれません。

と、ここは、NARUTO(少年ジャンプ掲載)が、

九尾を飼いならした時と重なったりします。

| 未分類 | 14:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【アダルトチルドレン】セッションの後が大切

セッションの中で、お互いに交わした言葉は

その時には、???という状態も多いと感じます。

取り違えて、自己流にしてしまったりも多くあると思います。


個人セッションもグループセッションも

その後が大切だと感じます。


「ああ~そっか~」

これは、頭でわかった状態です。


時間がたつにつれて、じわじわと自分の中に浸透していく・・・

こちらが、本物ではないかと感じます。


いくら、知識を得たとて、

自分の思考の癖がわかったとて、

自分の腑に落とすことをしていかなければ

意味がない・・・とまではいきませんが、

お高い料金を払っているのですから

そういう意味では、欲深くなって欲しいと思います。


「がんばります!」という言葉で終わって欲しくはありません。


じっくりと自分と向き合い、腑に落とすと言う作業は、

本当は、実に難儀な作業です。。。

私などは、1つの新しい局面を迎えたら

自分を見つめながら、結構じっくりと考えるタイプです。

長い時は、かなりスパンが長いです。


(昔と違うのは、分かったことで、自分を責めないということは

ポイントかなり大きい)


とある業績の悪い老舗のお店があったとします。

そこで業績を上げるために、コンサルタントを雇ったとします。

しかし、コンサルタントの変革を受け入れることなく

代々受け継がれた伝統を通すことにやっきになるお店側は

結局、コンサルタントの甲斐もなく、倒産してしまうでしょう。

不登校なども、老舗のお店を家庭としてみたら、

わかるのではないでしょうか。

結局、代々受け継がれてきたものを壊すことが出来ない・・・

余計なプライドは、自分を変革することを拒みます。


かつて、日産が外国から社長を迎え、根本から戦略を変えて

売り上げを伸ばしたことを思えば、

過去のプライドは捨てなければならないこと、

今自分が、変わるところはどこだろうと

常にアンテナを張っていくことは、大事だろうと思います。

旧来のものを破壊せずして、新しいものは作れないと感じます。



話は、それましたが、


セッションの後は言葉、心、自分の中の湧いてくるイメージに

耳をしっかりと傾けて欲しいと思います。


特に、わいてくるイメージには、注意深くして欲しいと思います。

湧き上がってくるものは、キラキラしたものだけではありませんから・・・

どちらかというと、心が重くなるようなものの方が多いと思います。

「次から、がんばります!」と言えるほど

自分と対峙するのは生易しくはありません。


じっくりと、ゆっくりと。

あまりに苦しい時は、プチセッションを使って欲しいと思いますが・・・

基本、不登校の親御さんは、

子どもが不登校になってからの、自分探索ですので、

悩み方もよく分からないことも多く、

苦しい状態の耐性が低いという方もあるように感じます。

だから、頑固なほどに、すぐに楽になる方法を求めていこうとされます。。。

みんながみんな、そうではありませんよ。

そういう傾向があるのではないかと感じるだけです。


もしかしたら、ACを古くから自覚して、

ずっと、「死にたい」「私なんかいない方がいい」と

思いつめてきた方の方が、

真剣さと、耐性は強いのかもしれない・・・

これは、私の個人的な考えですが、そう感じます。


でも、どちらにしても、自分を見つめ、越える時の苦しい時の状態の痛みに、

どちらが苦しいというものはありません。

同じように、苦しいものは苦しい。


カウンセリングや、セッションは、自分に取り組む1つのアイテムでしかありません。

持ち帰ったあとが、本当はとても苦しく、

もがく時間であり、腑に落とす時間なのだと思いますが・・・


皆さんは、どうでしょうか・・・


一回で、すっきり、キラキラというカウンセリングは

もろく、崩れやすいことを痛感しています。


| AC | 18:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT |