アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

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【アダルトチルドレン】立体と平面で感情をイメージしてみる(追記)

この記事は、私個人の感情に関する実験的な考察なので

正しいのか間違っているのかわかりません。

そこのところ、了承して読まれて下さい。



正当な場所(主に親対する)に怒り(感情)を向けられない成育歴があったとする場合

(機能不全家庭など、思考方向をねじ曲げて納得せざるを得なかった経験が多い)

自分の感情を閉じ込めて大人になります。


「いや、嬉しい、悲しい、むかつく」ありますよと

そうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

私も、自分の20代~40代にかけて、

確かに、そう思いこんでいました。


今、思い起こせば・・・その感情は、社会に出てから

他者の感情の発露の方法を学習的に学び、取り入れ、

単に真似をした状態ではなかったかと思います。

「こんな時は、こう表現するものなんだろう」

というルールを自分で構築していった時期。


確かに、行動と気持ちが一致しない、気持ち悪い感覚を覚えています。

「ここは、喜ぶところだ」「ここは、楽しそうにするところだ」

「ありがとうと言うところだ」「大丈夫?と心配そうに言うところだ」


こうして、一致しない表現を取り入れた頃の名残りで

「ありがとう」「だいじょうぶ?」と他者から言われた時

「そんなことは思っていないはずだ、建前で言ってるだけだ」と

自分の思考と一致させて、人の言葉を受け取っていたので

「ありがとう」は欺瞞にあふれた言葉だと不快キーワードとして、感覚的に入ってきていました。


この感情の状態を形でイメージしてみると

『平面的』だと感じます。

  ↑
  │
  │
  │
  │
  │
  │_________⇒




縦が経験値  横が知識 


これが、永遠に広がり続けていくイメージがあります。

人は不慮の出来事のために、あらゆる想定をしておかねばなりません。

が、大方起こる不慮の出来事というものは、

年を経るごとに、どんどん増えていきます。

想定外ということは、経験にも知識にも存在しないので

それはそれは、大変なパニックになります。

そうしながら、新しく得た方法や知識は無限に増え続けます。


恐らく、「どういう方法でやればいいのでしょう?」という問いは

この平面的な経験から出てくるのではないかと感じます。(平面思考)


また、年齢が上がり大人になると、想定外のことを避けようとします。

既に平面は目いっぱい広がっている状態です。

想定外の事を受け入れるためには、

新しい区画を作って広げなければならないか、

過去の経験を塗りつぶすかのどちらかの選択になります。

(過去に学んだことを平面的に広げていってる状態)



この状態を続けていけば・・・もう記憶倉庫が、いっぱいいっぱいになっていきます。

頭の中が散らかって、どうにも収集つかなくなった状態ともいえます。

広げすぎた頭の中は、バラバラで整理されなくて、

情報も混乱したり、どこになおしたか分からなくなる。

疲れ果ててしまいます。

人との付き合いが、苦痛にさえなります。


しかし、同時にバラバラの点在する思考を、今の状態によりふさわしい状態に合わせて、

作り直すこともできます(記憶の操作)

時に、整理がちぐはぐで、とんちんかんさ、矛盾が平気で起こります。

当の本人も、その矛盾に気づくことはありません。

他人が聞けば、とても不可思議なことが起こっているように見えるのですが

私も当時は、大真面目で正当性の自信さえ持っています。

しかし、常に心が乾き、飢えている状態が続いていました。

この状態が閉じ込められた感情の叫びだったのだろうと思います。

当然、大人でもそうですが、経験値の浅い子どもたちは、繋ぎミスが起こります。
繋ぎミスが起これば、まわりの同年代の子たちから
「変な子・・・」と不思議がられる状態が起こります。(違和感の初段階のスタート)
ここで、2つの選択がなされます。
「変な子」を貫き通すか、
「変な子」を認めて打ちひしがれるか・・・。
不登校の場合、貫き通し続けて、やがて力尽きて、打ちひしがれる流れがあるのかもしれません。



「もう、無理!」

こうして、発動するのがなじみの思考回路。

相手の粗を探し、そこから離れる選択をしようと準備をしはじめます。

そのためには、相手が自分を嫌うように仕向けなければならなくなります。

わざと、威嚇したり、仕事が忙しい、引っ越し等を使って、

相手との距離をとろうとします。

おおまかな、平面的思考回路の流れです。


*これは、私の中の流れを追っていますので、
誰にもあてはまるとは限りません。
もし、当てはまるかもと思われたらラッキー、くらいで読んでください。



次に行きます。


私は、回復という状態は、経験と知識に、感情が付いている状態だと思っています。


縦、横に、「高さ」が付いて、立体構造になるということだと考えます。

「高さ」は、人それぞれ違うと思います。

が、高さがあれば、縦と横は、それほど無限に広がる必要はないと感じます。

なぜなら、「感情」は自分の意思の発露であり、思考をする時の軸になります。

それほど、たくさんのパターンを知識として入れなくても

自然に応用が効きます。


「どうすればいいんだろう」アタフタヾ(▽ ̄;ヾ) )))...((( (/; ̄▽)/ アタフタ

という状態は平面の時だけより、かなりソフトに入ってきます。

自分で判断する基準があるので、

経験や知識は、あまり必要とされないのです。

その時に、自分がどう感じたのか、どうしたいのか

そこが「高さ」として平面を支えているので、

自分がどうしたいのかが分かっています。



こうして、考えてみると

感情封鎖というものは、平面的な思考。

感情解放は、立体的になる方向性を示していると感じます。


包容力がある人を「厚みがある人」という言い方をしますが、

実に、言い得て妙。


平面部分は、練習次第でいくらでも立体的に出来ると感じます。

感情鈍麻、感情喪失、空気読めない、

そんな子どもたちが多いこともまた、

大人の立体構造化がなされていないのではないかと考えています。

平面的な生き方は、砂漠をさまよい続けていく状態に似ている

あるいは、宇宙をさまよっている・・・

そんなイメージが、私にはあります。


~ひとりごと~

いろいろな人の「自分が正当であると思い込んでいる怒り」にふれるたびに、
自分もそうだったことを思えば、責める気持ちにもなりません。
しかし、私は、傷つかないのか?といえば、それは違います。
人の根源の怒りに触れる時の消耗は、深く泥沼に沈みこむように
自分をえぐられる感覚があります。
怖いとか、そういうものではなく・・・
回復には、その段階を通ることも必須だと知っています。
私自身も、そうやって待ってもらって回復へ向かいましたので
その必要性も十分に感じます。

幸いにして、今現在は、怒りに対してのフラッシュバックは
もう起こらないのは救いです。

成育歴により、究極の修羅の怒りしか知らないことも知っています。
そうせざるを得ない感情の暴走も、経験上わかります。
わかっているからこそ、私の感情は抑えなければならない。

時々、自分の中の小さな子どもが悲しんでいるのを感じます。
元ACがカウンセリングをするということの難しい面だと感じます。
先を行く者として、この感覚をどう処理していくのか・・・
ぼんやりと今後の課題として考えているところです。


【お願い】月末処理とシフト作成とで、しばし私の方は、携帯メールは
返せません。ごめんなさい。
緊急メールには、お返事しますm(__)m


【さらにお願い】
ピグをやっているのですが、可能ならば
あなここの会員さんのお手伝い、水やりの御訪問はご遠慮くだされば助かります。
外部との接触に使っていくので、どうぞ、ご協力ください。
わがまま言ってすみません。

| AC | 13:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【アダルトチルドレン】あの人が怖い

あの人が怖い、よく、そう言う言い方をします。

熊が怖いとか、犬が怖いとか、そういう直接的な

「きゃあ~怖い!」というものとは、ちょっと違う。


りんりんの経験上、

「あの人が怖い」は


「あの人によって、触発される

私の中のダークなドロドロな怒りが引き出されるのが怖い」

と翻訳してもいいと9割方感じます。

これはもう理論なんかで説明できるものではなく体験的に感じます。

だから「あの人が怖い」と嫌悪感ですり替えてしまいがち。


最近のスピリチュアルブームで

すっかり、華々しく、美しい言葉に目がいく私たちですが

自分の中のダークに目を向けることを忘れてしまっている気がします。


恐ろしきは、我(汝)が心なりと思いますヾ(≧▽≦)ノギャハハ


ぶりっこも、過ぎたるは及ばざるごとし。

「良い子」は、卒業しましょう。

良い子なんて、いない。



誰の中にも、光もあれば暗黒もある。

光だけでは生きてはいけない。

暗黒もまた、大切な自分の一部だと思います。

どちらも大切にすることが、自分を大切にすることだと感じます。


スピリチュアルを卒業した私の今の思いです。

| AC | 22:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】不登校解決のために(3)~私が変わりたい~

◆「私が変わりたい」と


★「私が変わらなくてはいけないんでしょ!」


上の二つの言葉のニュアンスの違いを感じてください。



どちらが、自立的思考でしょうか。

被害者意識、しぶしぶ感、やらされ感があるのはどちらでしょう。



子どもが不登校になった時、親は自分が講演会に足を運んだり

本を読んだり、ネットで交流したりして

次第に親自身の生き方の問題が、子どもと不登校と関係していることを

ぼんやりと分かり始めます。

しかし、長年の自分の生き方の癖を本当は崩したくない。

今までの私の人生は、一体なんだったのだと

被害者意識の強さから、

「変わらなくちゃいけないんでしょ!」と表現されるのではないかと感じます。

その気持ちもすごくわかります。。。


不登校の家庭は多かれ少なかれ潜在的な被害者意識の比重が大きいので

渋々状態になるのも分かります。

(私もそうでした)

強制的に山を登らされている感覚もあるのだろうと思います。

しかし、潜在的被害者意識を気づき、認め、修正していく作業は

家庭の機能を回復させるには、必要不可欠なことなのです。


また、自分は崖の下にいて、登っていく人を見て

「そうやって登るのね~」と

頭でわかっても、一時の知識としてだけで終わってしまい

自分は一歩も動いていない状態が多発している気がしています。

そうなると、

何か事が起こるたびに、あたふたして、

根本的に何も解決されることなく、ぐるぐる状態が続きます。

多くの1回~数回の相談で終わってしまうカウンセリングも

その瞬間は、わかったつもりで心地よくなり

問題は一旦解決されたに見えます。

しかし、次に何か起こると同じところで行き詰まり

根本は何も解決されていないということが

あからさまになったりします。


付け焼刃では、不登校から、引きこもり、あるいは、

社会に出てからの子どもたちの精神的苦しみは、

解決されないのではないかと思っています。


実際、ACの回復は、5~10年単位と私は思っています。

それでも5年なら、かなり早いほうだと思います。

が、10年カウンセリングに通っても、回復する保証もないと思います。

それほど、子どもも待ってくれません・・・

待っている子どもがいることを思えば

悠長なことを言っておられないのが現実です。

もし、自分が子どもの立場だったら・・・

変われるなら、親が一刻も早く変わってくれるにこしたことはないと

考えると思うのですが、いかがでしょう。

しかし、回復というものは

知識だけではどうしても出来ない部分があります。

実際に、自分の手と足と体を使って登ってみないと

崖を登るという感覚も体力も身につくことはありません。

崖を登る大変さ、苦しさをもがきながら

自分で感情の痛みを体験してはじめて、

心を閉じた子どもの心に触れることができるのではないかと感じるのです。

受け身でカウンセリングに漫然と通い続けても根本回復は難しい。。。

この部分だけは、カウンセラーに心の熟知、許容量が必要とされるところだと感じます。



自分の中にあるのは、「させられ感」なのか「しているつもり」なのかを

確認する1つの方法として

「もし・・・子どもが不登校にならなければ、こんな思い悩む必要はなかったのに」

「子どもが学校に通ってくれさえすればいい」と

昔を懐かしむ思考や、相手の状態に気を取られている思考があれば

「つもり」かもしれません。

これはまだ、崖の下にいる状態ですね。


もし、「よし、自分が変わろう」と決意して、

崖に登り始めたら当初は、自分が何をやっていて、

どの方向に登っているのか、よくわからない状態があります。

それでも、心の羅針盤だけは上を示している。

がむしゃらに登ろうとする。

体はきつい、心もめげそうになる。

そんな時もあるでしょう。

そんな時、ナビゲーターや、先に登っていった人のロープをたよりに

愚直に登り続けることが大事だと感じます。


そして、ある時、ふと体が軽くなっていることを感じる時がきます。

振り返ってみたら、

「ああ、こんなに登ったんだ。そうだったんだ。そうなのか~」と

理論と心が一致し、

自分が、がむしゃらにやってきたことの意味とロープの意味が

分かる時がくるのですね。


ひとつひとつの意味が、面白いように、つながってくる。

同時に、こっけいな姿で登ってきた自分の姿も見えます。

しかし、がむしゃらでこっけいな自分も、愛おしく思えてきます。


回復は、ここまででいいと思ってもいいと思いますし

ここから先も登って行きたいと思ってもいいと思います。

その人の選択ですね。

途中で、休んでもいいし

回り道を選んでもいい。

しかし、羅針盤を手放さないでおいて欲しいと思います。



羅針盤は「私が、変わりたい」を指していること。

これまでの思考を手放すということですから

かなりな抵抗が心に湧きあがります。
(怒りや憎しみ、八つ当たりとして出る事が多いです)

きっと、この抵抗に打ち勝つことが、崖を登る、登らないの

分岐点になるのでしょう。

「変わらなくちゃいけないんでしょ」という選択も自分で選択していることになります。


誰もあなたに選ばせていません。

あなたは、どんな選択をしてもいいのです。

ただし、自分の選択の責任は、

選んだ自分自身にあることを知っておいてください。



選ぶのは、自分そう思うのですよ。



| 不登校 | 12:54 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】不登校解決のために(2)~大切にすること~

子どもを大切にすること・・・

どんなイメージを抱きますか?


言いなりになること?

何でも買い与えること?

何でも、手助けすること?

我慢を覚えさせること?

勉強を教えること?


ちゃいます(笑)



大切にされた感覚をまず、体験しなければ

この感覚は分からないのではないかと思うのですよ。


先日、私、生まれて初めてフェイスマッサージに行きました。

(急に話が変わってすみません。つなげます~)


プロの方のマッサージは、とても丁寧で優しく感動しました。

危うく寝てしまうほどの心地よさ。


「寝てしまう」と表現したのは

「ここは、安全な場所だ」と施術者が与えてくれた空間と技術

大切にしてもらっている感覚が、

私と施術者と一致していたということを意味します。

金額とは関係ないところの話しです。

「お金を払っているのだから当然」と思えばそうなのですが

自分がないがしろにされていない感覚が

伝わってくるのです。


最近、美容院を変えました。

以前の美容院は、一致してくれるお兄さんがいたのですが

独立して遠いところに行ってしまい

そのまま、新しいお姉さんとお付き合いしていましたが

どうも一致しない感じがずっと違和感としてありながら

「まあいいか」と満足したふりを続けていたのですが

ここのとこ「まあ、いいか」というのも おかしい!?と気づき

ジプシーをしながら、やっといい所をみつけました。


自分の気持ちと施術者が一致することが心地よさとなり

しっかり見ようとしてくれている感覚が満足となること。


自分を大切にしようという意識が私自身の中にしっかりと根付き始めたことが

大切にしてくれる人とリンクしていくのではないかとそんな気がします。


自分を大切にしない思考は、

自分を大切にしない状況を引き寄せてしまうのではないかと

そんなことさえ感じています。


自分が自分を大切にする

丁寧に扱う

自分をないがしろにしない



甘やかすことと、わがまま、それらとは全く違う次元のことです。


寄り添うってことは、その先にあるものなのだろうと感じます。

自分を大切にせずして、人を大切にはできません。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*


余談
 

言葉のトレーニングというサイトをよくみて
いるんですが(笑)

こんな設問がありました。パクリです。


大切なのはどれだけ与えるか、ではなく
与える時にどれだけ(    )です。



与えるっていっても、コイに餌を与える感覚じゃないんですね。

子どもや人と接する時に大切なことです。

自分のイメージを膨らませて(  )に入る言葉を考えて

コメントしてみてね^^

コメントがあったら、最後に答えを書くよ~。

気になるでしょヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆

でも、格言集ではないので正しい言葉が大事なんじゃないです。

知ってる人は「こんな言葉をいれたいな~」と想像してみてね。


会員さんも書いてくれたらうれしいです。

| 不登校 | 13:11 | comments:16 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】不登校解決のために(1)

久しぶりの不登校記事です。


お母様方、ご自分を大切にしていますか?


「自分が嫌いです」

「う~ん、わからない」

「過去を消し去って、新しい自分になりたい」

「どうせ、人生こんなものよ」

「どうせ私には、無理」

「普通、こんなもんじゃないの?」


なんて、思っていませんか?

カウンセリングを行っていると、自分では気づかないくらいに

無意識レベルで自然に自己否定されている方が多いと感じます。


また、それが「自分にとっての普通の感覚」になっていることが多いのですね。


人には、それぞれの個性があり、個々の大変な事情で、

自己肯定感が低くなっているということは致し方ないことですが

その思考回路が、子どもたちや家族に与える影響は

ご本人が思っている以上にダメージを与えます。


子どもは本来、希望に満ち、躍動しながら幼少時代を送るもの。

しかし自己否定感が強い「どうせ、だめでしょ」という思考回路を

一番身近な人から学んでいきます。

それは、何気ない言葉の中に自然に含まれていくのですね。

「どうせ○○だから」「あなたはどうしてそうなの?」

の言葉の後に続くものは、

「無理だから」「やっても無駄だから」

という思いが含まれていたりします。


養育者の潜在的な「無理」という思考回路は、幼少期の早い時期から

何をやっても無駄なんだと思わざるを得ない出来ごとが多発したことを示します。

『容認されていない』心元ない状態が長かったことを示す気がします。


この状態で子どもたちに対して

「あなたは、あなたのままでいいのよ」

という、どこかに転がっている便利な言葉をひっぱってきて

子どもに伝えたとしても

言ってることと、やってることが真逆ではないでしょうか。


子どもたちの感性は鋭く言葉のうそを見抜きます。

「あなたは、あなたのままでいいのよ、私は無理だけど」

と伝えているようなものですね。

そんな言葉が、人に感動を与え心を打つほどの行動を促す言葉になるとは到底思えません。

せいぜい「また、どっかから持ってきたの?」と疑心を深めさせるだけです。


人の気持ちは、言葉のみで動くものではありません。

言葉と体験と自分の思考が一致したときに

言葉は力を持ちます。

養育者側が出した言葉と自分の本当の気持ちを一致させていくことが

大切だと感じます。


まずは、ご自分の思考のベースが

「無理」でできていて

「誰か、やってくれないかな」

「なにか、いい方法がないかな」

と材料探しをしていて

「私はできないけど、あなたやって」と

矛盾だらけの思考を子どもに教えているのは

紛れもなく養育者側であることに気づくことが、

小さな1つのスタート地点かもしれません。



セッションでは子どもとうまくいかない養育者側の

思考の癖をばっちり、理解して頂いています^^

| 不登校 | 12:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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スカイプ無料相談会のお知らせ

online.png
こんにちは、りんりんです。


突然ですが^^;

”あなここ”スカイプボランティア相談会を実施します。


・不登校でお悩みのお母さん方、ACの方対象です。

例:子どもが部屋から出てこないんです、

  ゲームばかりしています

  昼夜逆転しています等々

どこに相談していいのか分からない、

誰にも分かってもらえない・・・色々あると思います。


無料のチャンスを生かしてみませんか?

何かヒントが見つかるかも知れませんよ。

話すのが苦手な方でもかまいません^^


次回は、いつになるかわかりません~^^;


+*゚。*。゚*+―+*゚。*。゚*+―+*゚。*。゚*+―+*゚。*―+*゚。*。




      ボランティア相談会日程詳細




日にち: 9月24日(月)

時間: 21:00~0:00

 (時間内は、いつでも入れて、抜けられます)

  
募集人員:3名(1名から受け付けます)


相談形態:スカイプによるグループ座談会


MC:きんたろう・りんりん



申し込み方法:anakoko@hotmail.co.jp

こちらにメールを送付ください。

追って、こちらから詳細メールを送付致します。

| あなここ便り | 01:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【アダルトチルドレン】怒りの暴走~中国の反日運動に見る~

連日、中国の半日運動が報道されています。

と言っても、あまり、詳しくは見ていないのですが・・・


元々、かの国は束縛や規制が多い国だと思われます。

思想の方向性を決めるのは、ほんの一部の権力をもった方々。


暴徒化する市民は、野田総理の写真に落書きしたり燃やしたり

日系スーパー乱入したり、大使館に石を投げたり^^;

そんな映像が流れています。


が・・きっかけは何でもいいんだと感じます。


機能不全の家庭で、監視されて育った人は

時々、とんでもない怒りを放出しますが、

機能不全家庭=中国と考えてみました。


中国政府は、過去に日本が中国を侵略した過去から

反日的な思想をベースに子どものころから、

憎しみを日本に向けられるように教えられます。

残虐非道な植民地化を図った過去の事実はあるのですが、

この連綿と連鎖を続ける「憎しみ」「怒り」は

「日本」へ向けやすい基盤があると感じます。


機能不全家庭でも、「世間は怖い」「人を信じてはいけない」という統制が敷かれています。

家庭は安全な場所で、世間は恐ろしいところなのだと、

怒りの矛先が地域、学校、国家などに向けられやすい地盤が作られるのかもしれません。

モンスターペアレンツなどは、その代表的なものかもしれません。


中国ではネットなどの情報は検閲されるので

自由に発言ができません。当局の気に入るようなことしか言えません。


機能不全家庭では、親による家族の禁止令が敷かれ

親を喜ばす言葉しか言えない、

家庭内のことを外に漏らすべからずというところは似通っている気がします。




そして、子どもたち(国民)は、本当の感情を抑えつけられ

親(国)に反抗することもできず、

抑圧感を高めていくのではないだろうか。


あるきっかけさえあれば、

日ごろから、抑圧されていた怒りや憎しみの感情は

家庭外で噴出しやすくなるのだと感じます。


買い物をしていて、店員の対応が悪かった、

商品が気に入らなかった

電話の応対が悪かった・・・理由は、なんでもいいんです。

これらに過剰に反応し、怒りを放出する。


中国の尖閣諸島問題が、上の例と重なり、同列ではないかと感じます。

日ごろから、集会の自由や言論の自由を監視されていたはずの中国が

やすやすと、今回の反日デモを許しているのは

貯まった怒りの放出を、正当と思われる方向性をつけて

出させているのではないかとさえ感じます。


親に支配され自由を許されない子どもたちが

家庭外のちょっとしたことで

切れていく姿と重なってしまいました^^;


本当に、怒りたい相手は、

もっといるのではないでしょうか・・・。

中国は、怒りさえも向ける方向をそらされているのだろう。

機能不全家庭があるなら、機能不全国家もあるのかもしれません。

怒りは、正当な場所へ向けましょう。

それにしても、不登校の子供に暴れられて

対応に困った親の対応と、中国に反日デモをされた日本という国の対応は

非常に酷似している気がしてなりません。


なんとなく、そんなことを思う昨今です。



| AC | 22:44 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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◆AAAの福岡ツアー参戦記

AAA(トリプルエー)と読みます。

昨日、福岡ツアーの第一日目に行ってきました。
昨年あたりから、AAAに娘がはまって、そのまんま私も洗脳され
ついには、娘がファンクラブまで入り
その恩恵でコンサートチケットの初日をゲット

AAAは、小室さん率いるダンスと歌の7人編成チーム。
女子2名、男子5名

初のツアー参戦となりました^^

いや~、イスってあっても意味ないというコンサートは初めてでした^^;

まずは、参戦(まさにこの言葉がふさわしい)のための
AAAのペンライト×2、AAAのオリジナルタオル×2を事前に用意し
娘はTシャツをツアーTシャツに着替え
待ちに待ったツアー参戦へいざ!

生、なまですよ\(◎o◎)/!
だっちゃんの登場シーンは、もう感動ものでした。
千秋ちゃん、5メートル以内で見ましたが、まるでアンドロイドのように美しい^^;

踊りも歌もコンサートの模様もかなり私も動画で見てきたので
どこでどんな風にコンサートで盛り上げるかおおよそわかる状態でしたが
独特の掛け声などちと付いていけなかったのは御愛嬌でつ。


最初から最後まで、娘は夢中で「きゃ~、にっし~~~」と叫んでいました。

感情をずっと閉じ込めてきた娘が、
こんな風に自分を解放できるようになれてたんだなあと
感慨もひとしおです^^

待ちに待ってのコンサートが終わったあと、
まるで夢の世界にいるようだったと感想。

「だっちゃん、私を見て笑ってくれた!にっしーは、こっち向いて笑ってくれたけど
ちょっと視線が違ったけど、私に笑いかけてくれたと思う!!」

興奮気味に語る娘^^
主観的であろうとなんであろうと素晴らしい(≧∀≦*)

我を忘れて感情解放することは、
出来るなら、早い時期がいい。

大人になっての感情解放は、泣く→怒り→爆発→人間関係の失敗→自己肯定感が下がる
となりやすいので、
出来れば若いうちに、笑う、泣く、嬉しい、怒る、憎むをまんべんなく
小出しに解放する練習をしたほうがいいというのは、私の思うところです。


理屈はこれくらいで^^;

少しでも目が合うこと、笑いかけてもらえることが
女の子のファンとしては、たまらない。
見て欲しいというのは、女の子の特権ですね。

実は、1階席の5列目で見ていたのですが
目の前で実物を見るのはやっぱり圧巻です~。
みなさん、実に美しいです、まじで。



メンバーの1人語りのシーンで、
「この会場で会うことができるのは、今日だけの人もいるだろう。
そして、もしかしたら、一年後会えない人もいるかもしれません。
一生会えない人もいるでしょう。
それでも、今ここで集い会えたことを大切にして今夜は盛り上がっていきましょう」
というような言葉に、ちょっとジーンときてしまった。


今、ここで精一杯楽しむことは、
明日会えなくなっても、楽しんだ事実は残っていく
そして、幸せな時間は、過ぎ去ってしまっても
明日を生きる糧になる・・・
そんな風に脳内変換して聞いていました。

若いのにさすがプロだな~、
いいこと言うじゃんと思いながら、おばさんは聞いていました。


とにかく、楽しい一日でした☆

会場のペンライト、きれいでした^^
定番のMusic!、ボストンマリーも聞けたので
ぶんぶんタオルまわしてきました~♪(つω`*)テヘ

意外に、福岡地元より県外から来ている人多かったです。
熊本、長崎、鹿児島、山口、広島、大阪からもいましたね。

みんなこの日に合わせて、きっと衣装も作ってきたんだろうなと
思う人も、たくさんいました。

今日の二日目参戦の方、
AAAの8周年ということで、ファンイベントがあるらしく
またまた、楽しいだろうなあ~。

ダメ元で、二日ともチケットゲットすればよかったねえと
娘と言いながら帰ってきました~。

AAAツアー参戦記でした。

しかし・・・腰と足が~よれよれです~。

| 日々のこと | 04:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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懐かしいものを見つけました

ずっと以前、削除したブログを見る方法を

どこかで見た気がして、楽天ブログをちょっと検索してみました。


ありました~ワーイ♪ゝ(▽`*ゝ)(ノ*´▽)ノワーイ♪

といっても、全部は見れず^^;

どこかの回線のキャッシュに残っていたのを探してくれるのだろうと思います。

すごいなあ・・・

でも、コメントは読めないのがほとんどでした。

リンク欄に懐かしいお名前があり、これもまた懐かしいです^^

文章も未熟で、内容も拙いものばかりですが、一生懸命でした。


http://web.archive.org/web/20060905142148/http://plaza.rakuten.co.jp/soratokai2005/

http://web.archive.org/web/20061107080845/http://plaza.rakuten.co.jp/soratokai2005/diary/

http://web.archive.org/web/20060530025328/http://plaza.rakuten.co.jp/soratokai2005/diary/200602170000/

この3つしか探せませんでした。

最後の壁紙となった街の風景、割とお気に入りでした。

ほんと、懐かしいです。。。

記念にとっておこうと思います。


参考にしたところ:復元する方法について

| 日々のこと | 05:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【アダルトチルドレン】ACメモ ~人と違うことを選ぶ~

私の気持ちは、誰にも見せられない

私の気持ちは、誰にもわからない

だから、私の気持ちは、人が理解できるわけがないの

こんな複雑で高度な思考を私は手に入れたのだから

難解で高度な思考は、いくらでも作りだせるわ

あなたたちとは、違う存在なのよ

あんな下賤な人たちと一緒に笑って過ごせる人の気がしれないわ



このような思考は、自分が「特別」な存在であることを示しています。

自意識過剰な状態ですね。

幼い頃から持ち続けた、人と違うという違和感の時期が長すぎたのかもしれません。



誰も、私の違和感に気づいてくれなかった

お母さんさえも・・・

悲しみ、恥ずかしさ、そして、怒り

それらを塗りつぶすために、

私は、誰よりもうまくやってると

見せていく、人生を選んだの

だから、誰にも心を許さないの


でも、時々苦しくてたまらないの

いや、ちょっぴり苦しいだけよ

本当の私?

そんなもの、私は特別なのだから、

私の高度さは、叡智を越えた存在にしか分からないのよ

怖い?

冗談じゃないわ

悩めば悩むほど私の価値は、深くなるのよ

一緒にしないで


大丈夫・・・嵐が過ぎたらこの気持ちも、すぐにおさまる

じっと、耐えたらいいの


私は、選ばれた、たった1人の美しい存在なのだから

こんなにも辛いことを耐えられる私なのだから




人と違うという思考回路は、

人と共感しにくいという状態をつくるのかもしれません。

人と違うという無意識があれば

いくらでも、無意識が人と繋がれない言い訳を作りだします。

しかし・・・・


共感されないということは・・・

どれほど寂しい生き方でしょう。

ひとりぼっちで嵐をじっと耐えたとて、

それが誰と心を交わらせることになるのでしょう。


その場所から、出ておいで

| AC | 13:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【アダルトチルドレン】アダルトチルドレン家庭の不登校

ややこしい題名です。

アダルトチルドレン、元々の正式名は「子どもの頃にアルコール依存症の家庭で育った大人」

という意味で、昨今では、家庭内で子供らしい感情を出せなくて、

大人になって生きづらさを抱えている人 という捉えられるようになってきました。

総じて、ACと言われますが、

誤解されやすいのは、「AC」はその人そのものを表すものではなく、

生きづらいと感じるように育った幼少期の環境があったという事実を

示しているだけなのではないかと思っています。


ややこしい話です^^;


医療用語ではなく、自分がACだと感じれば、そうだという

超あいまいなものです。


たまたま、私の場合は、不登校以前の20歳くらいから生きづらさがあり

子どもを産んでから、非常に緊迫した精神状態が長く続き、

30代前半で、AC自覚をしたのですが・・・

アファメーションや回復ノートなどをやってはみたものの

さっぱり手ごたえを感じることがなく、苦しい氷河期がずいぶん長い間続きました。

思えば、すごい精神力・・・耐久力だったのでは・・・^^;;


不登校になって、子どもを治そうとする中で

同時に自分への疑惑もかなりありながら

同時並行の手探りで、やったところもあります。


そして、ネットが定額制になった頃

(昔は、定額制などなくて、使った分だけご請求という時代だったのです
油断すると恐ろしい金額になってしまうので、あまり長時間出来なかった)

ネット情報が、爆発的に普及し始め、

同じように、AC的な生きづらさで苦しみ、

子育てに行き詰ったお母さんたちとの交流が始まり

本当に救われる思いでした。


そこで分かったことは、私たち母親が十分に気持ちを受け取ってもらっていなかった幼少期が

子育てや家庭、対人関係に影を落としていることをお互いに学びあった気がします。

そんな歴史から、ACと不登校の関係を考え始めたわけです。

恐らく当時、40代後半の方がほとんどで、

自分に対して深い問題意識を持っていた方が多かった気がします。


最近の不登校の家庭の傾向としては、

先に不登校があり、それから自分の生きづらさに行きつくまで、

かなり時間がかかるか・・・

あるいは、気がつかないまま、子どもだけの不登校に取り組まれているか・・・

というパターンが多い気がします。(あくまで私見です)


これは、恐らくスクールカウンセラーの配備というのも

影響しているのかもしれません。

スクールカウンセラーに子どもを任せたら、大丈夫、みたいな感じでしょうか。

スクールカウンセラーが、親にまで入り込んで

カウンセリングが出来るか?というと役割上、難しいところだと思います。

スクールカウンセラーの役割は、

学校や医療機関と子どもをつなぎ、子どもを復学させるという位置づけです。

その役割を越えて、なかなか親の内面には手を出せないということもある気がします。

また、親の方も「任せているから」という課外授業的な気持ちもあり
(実際、SCを受けると、出席扱いになります)

お任せ的な気持ちを余計長引かせてしまうという一面もあるかもしれません。
(SCには、SCの役割があるので、良いとか悪いとかを言っているのではありません)


不登校問題が発生した時に、母親の内面まで行きつかれた方は

ほんとに、勇気ある方たちだと感じます。


SCから、医療機関に繋がれ、困った医療機関は、

色々な症状名を付けざるをえないという

てんやわんやの状態の過去10年の間に

OD、小児うつ、睡眠障害等、適応障害、などなど

病名をどんどん作りだしてしまったのではないかと感じます。

そして、病名別に特殊な世界を作り上げる。

宗教化しているのではないか・・・とさえ感じています。


私の言ってることは、ある意味

精神医療への冒涜なのかもしれません。

間違っているのかもしれません。

しかし、誰かが口にしなければ、また新しい流行り病名が作られていく

危うさを感じています。

また、数は非常に少ないのですが、

同じような危機感を持っていらっしゃる存在に出会ったら

安堵する思いがしたりします。

大切なのは、病名なのか、それとも人の心の本質なのか・・・

問いをなげかけていきたいと思っています。


しかし、医療への挑戦は、誰もが納得する心の的確な理論の構築が必要だと思います。

ネット全体を見渡せば、それは今、始まったばかりのような気がします。

そして、私たちもまた、100年先に通用する

誰にでもわかる心の仕組みを探し続けていっているところです。

| 不登校とAC | 15:53 | comments:9 | trackbacks(-) | TOP↑

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