アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

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【アダルトチルドレン】料理AC

あなここは、不登校相談サイトなのですが、

不登校やひきこもりなどには、お母さんのAC度合いが、

かなり家族に影を落としていると感じる昨今です。

子どもを回復させるには、まずは、お母さんの捻じれを修正することが

先だと感じています。

ということで、不登校、ACと区分けすることなく、

家族関係や対人関係、子育てなど、

生きづらさを抱えた方の相談をお受けしています。

そんなこんなで、段々、AC関連の記事が多くなってきてます^^;


今日の話題です。


クライエントさんは、ご存知ですが


私は、料理音痴、味音痴です。

音痴の域は飛び越えて・・・障害に近いかもしれません。

私的には、「料理AC」と自分のことを呼んでいます。


最近では、訓練のたまもので、

味覚障害は、かなり回復してきましたヾ(≧▽≦)ノ

大人になっても、年食っても、

どうにかしたいと思ったら、

克服しようとしたら、出来るんだということを

お伝えしたいと思って

今日の記事になりました。


なぜ、私が味音痴になったのかは、こちらからどうぞ→《ニュアンスが分からない》


で、ここ数年、料理に関して色々体験したり、作ったり、聞いたり

やってきたわけですが・・・


とある日に、カレーを作りながら考えていたのです。

先に玉ねぎだけを炒めておくと

香ばしくなる、甘味が出る、味がしまる、かさばりが減る、などあります。

肉を炒めるのは、肉のうまみを素材に閉じ込める役割があること。

ルーを入れる前に、時間をかけてじっくりと煮込むと

素材どうしが主張しなくなり、

融合することで、トゲがなくなる。


何度も失敗を繰り返しながら、プロセスの意味を
(失敗といっても、市販のルーで作るカレー自体を
 どう失敗するんだと思われるかもしれませんが、
 最初は、子どもたちが、がっついて食べるか食べないかで
 判断していました)

こうして、理解、納得してきたことでした^^;



意味やプロセスというものは、

聞いただけでは、頭で分かってるだけの状態なので

なかなか、脳が行動化の指令を出しません。

なじみの行動の方を、脳は選択しようとします。

人間の脳の仕組み的に、聞いただけでは行動変容は起こりません。


人は、心に落ちたことしか行動化しないので、

これは、何度も体験していくしかないことだと感じます。
(話す、書く、伝える、やってみる)



ACに例えると、

カレーを作るということが、ひとつの方向性だとします。

私の場合、

カレーというものが美味しいのかよく分からないところから

出発しているので、

まずは、外食してカレーをあちこちで食べてみました。
(いくら自分で作っても、枠が狭いので広がりませんし
 本を見ても、香りや味までは分かりませんね(T-T ))

*いろんな人と接していく過程と似ています。

そして、自分で作ってみる。

この繰り返し・・・無意味な感じもしましたが

違いがわかりたいと熱中していきました。

当然ながら、三日坊主になりやすい、途中放棄しやすいのも

人間というものです。

何かを始めようとして、三日坊主になる理由は、

そこに、仲間や人がいないから、そうなりやすいのではないかと感じます。

人と接すると、励ます、励まされる、支える、支えられる、

刺激を受ける、焦る、比較というものが生じますね。

プラスの部分もマイナスの部分もありますが、

連帯感や共感や「見てくれてる感覚」が人を外に押し出していくのではないかと感じます。



私も、正確に言えば「わかりたい」と思ってやっていたわけではなく

後ろから押しだす人の存在がありました。

「悔しかったら、やってみろ」という生暖かいまなざしの人の存在がいまして、

「やらされ感」でなくて、どちらかというと「むきっ」という思いで

突き動かされていた時期もありました(笑)

それも、また信頼の形なのだろうと思います。


この工程はACの回復と一致するところが多いと感じます。

①味の違いを感じることからのスタート。
(違和感を感じる練習)

そして、

②どのカレーが美味しいと感じるのか
美味しいとまずいの基準を明確にしていく。
(好きか嫌いかの決定を自分でする)
    ↑
これは、間違っててもいいし
後に変化してもOKです。

③自分の好みと、家族の好みのすり合わせ。
(他者と一致するところを探す)


④もう一回、食べたい!
(もっと一致したい、この人と話したいという本能的欲求の発露)


⑤もっと美味しいものを食べたい
(アンテナが広がる・自分の枠が広がる)


こうしていくうちに、

幼い頃から、自分が勝手に解釈していた、

カレーに対する狭いイメージが、天と地ほどに変わっていきました。

そのイメージが変わる途中に、自然と癖を修正したり

ねじれを修正していくことが

行われていくのだろうと感じます。



料理とACの回復の関係は、

AC回復のプロセスとそっくりな気がしています。


反対に、料理が得意な方ならば、

それが、自分の一方的解釈によって、おしつけになっていないかの点検が

必要かもしれません。

いずれにせよ、変わろうとする時、

人の存在は大切だと感じるのです。


| AC | 16:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ご連絡

業務連絡です。

私用の為、15日丸1日~16日昼間のプチセッションを

お休みします。

外出していますので、メールが滞りがちかもしれません。

ご迷惑おかけして申し訳ありませんが、

よろしくお願い致します。

(りんりん)

| あなここ便り | 02:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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本当の願い

誰もが隠し持ってる、自分の本当の願い

一体どんなものなのでしょう。

そんなもの無い?

いえいえ、気づかないだけだと思うのよ。


幼い頃に見た夢。

そして、いつしか形を変えて

かなわない夢になってしまっているのかもしれません。


自分の思考や、行動、意外と「本当の願い」に繋がっているのかもしません。




「私がなぜ、不安や不幸が好きなのか」・・・

それは、もしかしたら、

頑張ることと、苦しむことをまぜこぜにしているのかもしれません。


もっとさかのぼれば、

がんばって、お母さんに褒めてもらいたい

ただ、それだけのことだったのかもしれません。


でも、頑張ることと、悲壮感と不幸を背負いこむことが

同じ意味になってしまったのかもしれません。


いつまでたっても、誰にも褒めてもらえなかったので

もっと、もっと


もっと、もっと、もっと、


も~~~~っと、




どこまで頑張ればいいのかも分からなくなっちゃって

頑張ってることが、我慢になっちゃったのかもしれません。


途中で投げ出すたびに、「私はダメだ」と

自分に言い続けてきたのかもしれません。

こんなに、頑張っているのに・・・

そう思ってきたのかもしれません。



本来は、頑張るって、楽しいことなんだよ^^


誰もが持っている、自分の本当の願い、

見つけてみませんか^^


| 日々のこと | 22:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【アダルトチルドレン】人から諭されるのが嫌い

ACの人の心の流れとして、

過干渉されて育てられた場合、放置された場合もそうですが、

自覚があろうとなかろうと

母親に失望した回数の多さは、はんぱなくあるのではないでしょうか。


その回数に比例して、

「わかってもらいたい」を、あまりにも長く待ち過ぎた・・・


人は失望の時期が長いほど、自分が傷つくことを知っています。

次第に自分を傷つけないよう、悔しさを感じたくないよう

自分の残されたプライドを守るために

「わかって欲しい」気持ちを自分から拒絶していきます。


やがて「わかるわけがない」


と変えていくのだろうと感じます。

(この工程は、本人は全く無意識です)



「分かって欲しい」から「分かってもらえない」という悲しみを隠し、

*一般人に混ざって平気なふりをし続けると「分かるわけがない」という

たった1つの意思が、ある一定の方向へ自分の思考を向けることになります。

*一般の人は私のブログのようなメンタル系ブログはまず読みません。
無意識の一般の人たちと、AC・依存的な人との間には思考回路に距離がありすぎるのですね。


《補完図》
図1


ACの私たちが、無意識な一般的な人を理解しようとすれば、
母親の不可思議さに気づかされ、母を憎まなければならない。

母親を理解しようとしたら(守る)自分を我慢させ
自分の思考を捻じ曲げていくしかないのだろうと思います。

次第に母親を守る行為と一般的な人たちとの思考に挟まれ、
人とコミュニケーションがスムーズに出来なくなります。

捻じ曲げてどっちにも動けない状態が、「諭されるのが嫌い」
「教えられるのが嫌い」「どうせ分からないでしょ」という
自分でもどうしようもない状態を作りだしているのではないかと感じます。

(真中に、支援団体のくくりをいれましたが、ここでリハビリをしていく必要が
あるのかもしれないということで、入れてみました)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

この状態を継続していくと、次第に自分しかわからない独特の世界観を構築していきます。

人を「拒絶」するということになっていくのだろうと思うのです。


拒絶して人と決して交われない悲しみ埋めるために

わざと一般的な人が選ばない奇抜な事をやってみるのもその表現の1つかもしれません。


たとえば、たまに、改造バイクで公道を大音量でぶんぶん吹かしてみたり

蛇行して運転したりする若者を見かけたりしたことがあると思います。

(最近は、少人数化している感じがします)

あの行為自体をダメと否定するものではないのですが

注目して欲しいのは、一般の人から見ると「ハタ迷惑」「滑稽」に見える事です。

しかし、「若者」「未熟」というところで、

「そういう時期もあるよね」と許容されている部分もあるんではないかと思います。

しかし熱中している時期に、「迷惑だからやめなさい!」と親や学校、警察に諭されても

ほとんど効果は無いのではないでしょうか。

本人にはやりたい理由とポリシー、あるいは自分なりの正義や

訴えたいことがあるのですから「おまえらに俺の気持ちなんか分かるわけがない」と

拒絶されるのが関の山だろうと思います。

自分が満足し、やめようと思わない限り止まることはないと感じます。


さて、この「滑稽さ」は、ACの持つ滑稽さとよく似た部分があります。



昔、若い頃、ボーリングが流行った時期があります。(年がばれる・・・)

学生時代、ボーリングが苦手で、大勢で行くといつもびりっけつ。

あまりの酷さに、みんなが気を使って、

「こう投げたらいい」とアドバイスをくれるのですが

そのアドバイスをもらう自分が酷く惨めでしたし、プライドを傷つけられる行為でした。

「出来たら苦労しない!」

という怒りの拒絶のもとに、自分のスタイルを変えようとしない私がいました。

次第に、みんなが「やれやれ」という目線で自分を見ている。

私は、ふてくされる、黙り込む、怒りオーラを出す。


こんな時代がありました(笑)


今考えると、人からアドバイスや指摘をされる事に対して

「全否定」された感覚に陥っていたのですね。

そして、怒りで返す。


この思考回路は、「分かって欲しい(怒)」→「分かってくれない(悲)」

→「分かるわけがない(いじけ・拒絶)」

→「分かってくれないくせに私を変えようとしないで!!(失望したくない抵抗)」という

親との関係から学んだ、「いじけ思考」を対人関係でひねくれて発展をさせていき

人とうまく交われない自分を守っていく方法であったと思うのです。

当時の学生時代の友達にしたら、えらく迷惑な話で

かつ滑稽に見えていたことだろうと感じます┐( -"-)┌ヤレヤレ...


この状態は、私のベースにずっとありました。

自分独自の狭い場所に、居続けることを選んだ私は、

人と気持ちを交わらせるということを拒絶していきながら

拒絶を正当化するために、犬の介護、子育てサークルや宗教・スピリチュアル・理論に傾倒していきました。


拒絶の大義が、外部から持ってきた

さも、すがすがしくも、竹を割ったような

「私は正しい」と言い切れる

誰にも文句を言わせないものとして利用していきました。

犬の介護を例にとると、ペットを大切にしている心優しい人になれます。

子育てサークルにすると、子どもの成長を願う全うな母親に酔えます。

宗教であれば「愛を伝える」という、「分かってくれない母親」とは違う

美しい自分でいられます。

スピリチュアルでいえば、自分の空虚を「見えないもの」「運命」「前世」「来世」でご満悦。

自分で見つけ出したものと有頂天、鳥骨鶏。

ただ、はまって自分と向き合うことを拒絶していただけですね。

滑稽なことでした^^;


その滑稽なことをやりながら「一生懸命やってるね」と周りの人から言われ

悦に浸っていたニュアンスの分からなさ・・Σ(_(工)_;)ゴン!!

実は、あきれられていたというのが、本当のところです。

いやはや、私のどうしようも救いようが無かった長い長い時代です。


お恥ずかしい・・・。


諭されること、教えてもらうことを受け入れること

人に触れることを拒絶した結果の出来ごとでした。



誰も悪くは無かったのですが、一番の犠牲は

道連れにされた子どもたちだったと思います。


母親の方向性が、家族の行くえを決めているということもあるのではないか?

そう思ったりします。

私は、かなり遠回りをしましたが、

もし、子どもさんが不登校で人と交われない状態があるのなら

身近で率直にアドバイスをくれる人の言葉を振り返ってみたり

自分の思考の方向性(癖)が、子どもや家族を巻き込んでいるかもしれない

と振り返ってみることが回復の近道であるかもしれません。


1人では、回復はできない。

このことは、私が痛感することです。

誰かの仲間や存在があなたの近くにあるのなら

助けを求めたり、甘えたりして、力を借りて自分を広げていくことをお勧めします。

| AC | 14:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校とACの解決のために】自分の感情の段階をはかりましょう

子どもが不登校になる家庭では、家族全体が感情を封鎖している状態がよく見られます。

まずは、お母さんが感情を解放しましょう

しかし、今自分の段階がどこであるのかを知っておく必要もあります。

感情の段階を大まかに書き記しておきます。参考にしてみてくださいね



幼い頃、感情を出す事を禁止された状態が連続して続く

次第に感情を出す事を諦めていく

我慢することが「普通」の状態になる

我慢した感情は・・・
問題行動・不安・空虚感・離人感・腸過敏・心身症など
形を変えて表されます

それらを抱えつつ、社会で経験値から導き出される
とりあえずの対処法(逃し)を作っていきます

結婚し子どもが生まれ、「感情の塊である子ども」にどう対処していいか分からず
不安、恐怖で、パニック、おろおろ、自虐、他虐などが起こります

感情の塊である子どもの感情を封鎖しようと無視・怒り・虐待となります

子どもの感情も封鎖されていきます

封鎖された感情は、どこかで出そうとするのが自然なことです
子どもに問題行動が起こり始めます
(この段階が落ち着きが無い、集中力が無い、友達とうまく遊べない)

やがて不登校や、家庭内で暴れたりすることになります



*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*



次に閉じ込めている感情解放の段階を書いておきます。


①自分が我慢していることに気づく
(我慢していることが普通の状態であることに気づくためには
人との密接なかかわりが必要になります)

②自分と相手の違和感に気づく

③自分の違和感を表現していく

④自分の怒り・悲しみに気がつく

⑤感情を表現する練習

 *最初は、「訴え」「泣く」「怒り」の状態が多いです。

この状態が出てくる時、かなり安心度が高まっていると感じます。
「出してもいいんだ」という安心感が、一気に今まで我慢していた感情を
噴出させていきます。
まだ、主観が強い状態です。

⑥上手に表現する練習

 ⑤を一般的な社会で行うと、人との関係がうまくいきません。
 そこで、一旦吐き出した感情を、私たちと一緒に整理して
 客観的に感じる練習をします
 

⑦自分の本当の気持ちを伝える

主観的思考と、客観的思考のバランスをとりながら
他者を受け入れる準備をしていきます。
そして、自分の気持ちを穏やかに相手に伝える練習をしていきます。


(。・_・。)o*――゚+.――゚+.――゚+.――゚+.――*o(*^_^*)


感情を出すプロセスを簡単に書いてみましたが、
禁じられていた感情を出すことは、本人にとっては、かなりの勇気が必要です。
感情を抑圧し、すり替えたり、逃したりしてきた人たちは
自分の本当の気持ちが分からなくなってしまっています。
分からないことが、普通の状態であるから、常に自分が空虚なのですね。
実は、禁じられた封印を解くよりも、空虚であることを選んでいるのです。
それらを誤魔化すために、アディクションという行為が起こるのだろうと思います。

守り続けてきた封印を解放する時、
それは、地球が壊れるくらいの気持ちになります。
(ちなみに、文句や訴えと感情は違うものです)

感情解放は、人と人の信頼の中で時間をかけて行われなければなりません。
経験上、本を読んで、出来るものではありません。

人によって傷つき閉じた心の扉は、人によって癒され開けられる

さて、あなたは今、どの段階でしょうか。
 
 

関係ブログ記事:喪失感を意識しなければならない理由(壊れた心を取り戻すより)

回復の過程~感情の表現方法~歩いていこうより

| 不登校とAC | 18:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】不登校の現状とあなここの指針

恐らく、このブログを読んで下さる方は、
「なんでうちの子が不登校になっちゃったの?どうすればいいの?」
という方が大半だろうと思います。

不登校の情報は、今やあふれるほどありますが、
長年、不登校に関わってきて時代の変化を感じています。
昨今の流れとして、表面だけを整える
あるいは、方法論、理論が中心であることが伺えます。

しかし、不登校の人数は数年前は13万人と言われ、今や16万人とも言われています。
クラスに2~3人は不登校が発生している換算です。
また、方法論の普及や指導教室・フリースクール等の配置によって、
かすかですが16万から減少しつつあるようです。

その反対に引きこもり人口が2007年のデータで推定180万人。
2010年のデータでその2倍の360万人とも言われます。
もちろん、データに上がらない引きこもり数を考えると
もっと倍増するのではないかと感じます。

もしかしたら、不登校から復学(?)したのち、
社会に出て、再度とん挫している可能性が多いのかもしれない事も想像できますし
または、学校はとりあえず出たものの、自立できない子どもたちが
増えていることを示すのかもしれませんね。

また、不登校16万といえど、子どもの数が減少していることを思えば
むしろ増えているか横ばい状態が続いているのではないかと考えられます。

恐らく、小手先のやり方で、一旦復帰したように見えて
子どもたち自身の「自力」がつくまで至らないのが現状ではないかと
そんな気がします。


不登校、引きこもりの現状を考えると
今の方法、やり方では、何かが、おかしいのではないか?と
そんな気がしています。
誰も、不登校の根本にあるものを分かっていないのではないのか・・・


私の息子もかつて不登校でしたが
母親としての私の変化、
今の仕事を一番近くで見て、私がどういう事をしているのかを
じっと見ている感じを受けます。

1年前ほどでしたけど、息子が私に言った言葉があります。


「お母さんたち(私ときんたろうさん)のやってる事って

 時代のすごく先を行っている気がする。
 
 同時に、人間が元々持っていたはずの 失ったものを取り戻そうとしているように見える。

 だから、あなここのセッションは、一番新しくて、一番原始的なんだと思う」


その言葉を聞いた時に、鳥肌がたちました。
20歳やそこらの子どもが、セッションの方向性を
感じているということにびっくりでした。
「なんで分かったん!?」思わず息子にそう聞いた私がいました。


あなここのセッションは、カウンセリングとは違う面をもちながら

クライエントが持っている可能性を最大限生かし、

枠を広げていこうとするものです。

その中で、クライエント自身が、自然と人間らしい暖かさを身につけ

さらに身近な人に、暖かさのバトンを伝えていくことができるようになること・・・

その連鎖が起こった時に、「私も幸せ、あなたも幸せ」「私もOK あなたもOK」という

人と人の絆が深められ、笑顔の輪が広がること

そのプロセスの中で、子どもたちの問題、家族の問題が自然に解決していく

そんなセッションです。


もちろん、私たち自身も10年、20年先の時代を先取りしたセッションだという自覚があります。

方法論にどっぷりつかってしまった新規のクライエントさんの思考の転換を図るのに、

みっちりやって半年かかります^^;

それくらい、方法論が根強く浸透しているということを示します。

そして、今の時代的にも、方法論が優勢であることを示します。


今後、先取りした10年、20年をいかに短縮していくか、

これからの課題であると思っています。



傾聴だけのカウンセラーなら、山ほどいます。

恐らく、聞いて欲しいだけの方には不向きでしょう。

困っていない人にも不向きでしょう。


私の不登校経験の華々しい?経験やカウンセラーとしての知識を

押し付ける気もありません。

私の経験と皆さんの経験は違うので、セッションとは別の話です。



しかし、どちらにしても痛みのない成長は、どこにもありません。

本を読んで、「なるほど~!」と知識を知ったからといって、

それを実践できるかというと、そんなことは無いのと同じです。


だから、あなここでは、徹底的に聞いていきます。

笑いあり、涙あり、怒りあり、様々なドラマをクライエント様と共に感じ

私たちも、また同じイメージングの中で深く疑似体験していきます。


「私は、あなたの本当の気持ちを知りたいのです」

表面で誤魔化し続けた人生ではなく、自分が何者なのか分からない人生でなく

空虚な人生から自分の人生を生きたい、それを子どもたちに伝えたい

必死でそう願っている人があなここを訪ねてきます。

そして、少しでも 心から本当の自分を取り戻して欲しいと

今日も、最先端でありながら^^;全力で活動しています。


珍しくおまけがあります。

あなここ秘話です。興味がある方は、どうぞ左下の >>「Read more」のリンクをポチっとね。

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| 不登校とAC | 16:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【AC】「大丈夫」という言葉

旧ブログ記事「春」より


大丈夫だよと言った言葉の真意は

いつかそれが分かるから

そんな意味を込めて贈るのです

*:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *


私が、まだ無意識であった頃、

まだスピリチュアルにはまっていた頃

人を拒絶していた頃


「大丈夫」と言われることで

大丈夫でない自分に瞬時にワープしていたものでした。

そして、「分かってもらえない」と変換していました。



言い換えれば、

大丈夫な自分であってはならなかったのです。

被害者であり、

誰にも私の気持ちなど分かるはずがない、

分かってたまるものか!

くらいに思っていました。


誰にも分からなくしたのは、自分だったのですが


それでも、本心の本心は、隠された自分を探してくれる人を

探し続けていたのでした。


分かってほしい(傷ついたピュアな幼心)、

でも、分かってたまるものか(大人になって失望した数)

この両極の気持ちが

人を拒絶していたのだろうと思います。


「大丈夫だよ」とあの時言って欲しかった

でも、言ってもらえなかった・・・

それが、両極に心が離れていった理由だと感じます。


*私たちの多くは、忘れていますが、
大丈夫だよと、誰かに言って欲しかったという気持ちは
幼い頃のどこかの時点で、誰かの「大丈夫」という暖かい気持ちに
ほんの少しでも触れた経験があると、思っていいかと思います。
だから、もう一度、「大丈夫」な感覚に触れたい、求めたい
そう切望するのではないかと感じるのです。
しかし、誰かの大丈夫な暖かさに触れれば触れるほど、
現実は、どんどん自分を否定してくる環境の苦しさが大きい・・・
だから、触れたほんの少しの暖かさを忘れてしまう必要が
あったのだろうと思います。




大人になって、今だけの表面を見て、「大丈夫だよ、どうにかなるよ」と言われても

傷ついた幼心が、「あの時、助けてくれなかったじゃない!」と

時を越えて、怒りをぶつけている状態が、

人への拒絶として表現されていたのかもしれません。

八つ当たり状態とも言います。

しかし、この両極に分離した心の状態を、一般の人には分かってもらえるはずもなく

自分でさえも分別することも出来ないまま

諦め、憤り、怒り、荒ぶる心として内包されていったのでしょう。


しかし、幼心は怒りながら分かってくれる人を探し続けた。

分かってくれる人をじっと膝を抱えて待ち続けた。


幼心を見つけ出し、面とむかって、

「大丈夫だよ」と言ってくれる人を。


ただ、ひたすらに待ち続けた。


もし、今、批判的であり、世の中を斜に眺めていたり、

社会のせい、日本の政治家のせい、アメリカのせい、お金のせい

地域のせい、学校のせい、夫のせい、子どものせい

そう思っている人は、

怒りを転移させながら、本心から漏れ聞こえる

傷ついた幼心が「ここから、助けて」という声に

無意識に突き動かされて、点移動をしているのだろうと思います。



それもまた、大切な経験なのかもしれません。。。


しかし、いつかそれには、終止符を打たねばならないこと。

探してる間に、決着がつけられないまま、人生は終わってしまう。

迷いの森で、迷子になったまま、朽ちてしまう。

それが、ACである本人かもしれないし、

ACの親たちなのかもしれません。


少なくとも、私はそうならなかっただけで、

本当に自分が奇蹟の道を歩んだと感じるのです。

巻き添えにした子どもたちの軌道修正ができたということも

奇蹟的な確立ではないかと感じています。



「大丈夫だよ」


かつて、私が手を差し出されたように、

あなたの幼心に手を差し出したい

そんな気持ちの芽生えが、この文章だったのだろうと感じます。

| AC | 13:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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●7月分の請求明細を送付しました(業務)


【業務連絡です】

先月分のご請求明細を本日付けで発送しました。


8月13日(月)までに、入金をお済ませくださいませ。

(お盆も入りますので、忘れないうちに お早めがいいかもです)

よろしくお願い致します<(_ _)>

りんりん

| あなここ便り | 19:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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