アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

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【アダルトチルドレン】最後のピース

人と一緒に食事をすることが苦手・・・

家族関係の中で培われた「味がわからない」のその後の、またその後のお話しです。


今回の題材は、お弁当。

私は、小中学校時代は給食だったのですが高校はお弁当でした。


朝から晩まで働き通しだった母は、早起きして毎日お弁当を作ってくれました。

お弁当の中身には、定番の卵焼きとウインナーに加えて、

前日の残りの煮物が、よく入っていたんですね。

煮物が入っていると全体的に、お弁当が茶系になります^^;


数人の友達と一緒にお弁当を食べるわけですが、

友達のお弁当の中身を見ると、緑がいっぱい、プチトマト、

つま楊枝が色つきプラスティックでオシャレ。

お弁当の中身がキラキラと輝いて、ダンスしているように眩しい。
(そう見えていたんです(^▽^;))

お弁当箱も、お弁当の包みも、それぞれに可愛らしい。

もっとオシャレな子は、キャラクター付きのお箸やフォークなどを持参してくる。

それに比べて、私のお弁当箱は、タッパーもどきの大きなお弁当箱。

大人が持つようなエンジと黒のチェック柄のお箸箱。

お年頃の思春期の娘としては、恥ずかしかった・・・そんな記憶があります。


当時、お弁当箱を自分で選ぶ、買うという発想もありませんでした。

かと言って、母からお弁当を作ってもらえるだけ、ありがたいと思うこともなく

ただ、与えられたものを与えられた分だけ、右から左へ持っていく状態でした。

たまには、お昼に購買部でパンとジュースを買って食べてみたい、

そういう気持ちもありましたが、それも叶わず^^;

母が早起きして毎日欠かさずお弁当を作ってくれるのに、とても言いだせない。

多分、普通の感覚の人がこの文章を読めば「なんで?」と思われるだろうと感じます。


与えられていることは、とても幸せなことだったかもしれません。

しかし、子育てに過干渉と放置の真逆の両極があるとすれば、

子どもにとって、どちらも意思を持つ事を許されないのには

変わりがないのではないかと感じます。


やがて、子どもたちが幼稚園に行き始めたころから

自然にお弁当箱に興味を持つようになりました。

と言っても、最初は好きなキャラクターというのが想像付かず、

サンリオシリーズで手堅く固めました^^;

お弁当作りは、毎日のことで面倒臭かったけれど

次第にお弁当箱をショップで眺めるのが面白くなっていきました。

「このお弁当箱に、どう詰めたらきれいになるだろう」

「このお弁当箱を持っていってる子どもたち」

を妄想しながら買いもしないのにお弁当箱コーナーを

夢中で眺めているんですね^^;


また、かつて茶系のお弁当で懲りていた私は、お弁当の中身に限り

全体の彩色とバランスに、こだわっていました。

ミニトマト(赤)、レタス(緑)、卵焼き(黄色)

色付きのスティックにウインナーやハム、ウズラの卵を通す。

色が足りなければ、ゼリーや果物で代用。


お弁当を開けた時の子どもの顔を想像しながら楽しんでいました^^

本当は子どもたちをだしに使って、かつての自分が心残りだった事を

やり直していたんですね。


最近は、大学生の娘がお弁当を週一回、自作して持っていくようになりました。

先日、珍しく朝に起きた時間が同じで(笑)お弁当作りを手伝ってみました。

それが思いの他楽しくて、自分でも意外\(◎o◎)/


味がわからない・・・

料理が、嫌い・・・


まるっきり拒絶していたわけでは無かったこと。

そう自分に思い込ませてきた過去があっただけのこと。

本来、子ども時代に経験し成長するべき所を、閉じ込めて生きることしか出来なかった・・・

高校時代に一緒にお弁当を食べた友達のお弁当への憧れが脳裏を離れず、

子ども時代に失ったものをお弁当という形で、

どうにかして自分で取り戻そうとしていた無意識があった事・・・



自分の事を、自分で言うのもなんですが、

「がんばってきたんだな、自分・・・」と深く深く安堵しました。


そして、その日の夕食からお弁当を作っている時の和んだ気持ちで

ご飯を作っている自分を感じていました。

より愛情深く、より優しい眼差しで、自分を見つめている自分がいました。


やっと、残りのピースが繋がった。。。




3年前、きんたろうさんとの対話の中から出てきた「天丼好き」からスタートした、

りんりん最大の謎(ノω・、) ウゥ・・・、スピ系に侵された食への超無関心(-。-;克服クエスト。

3度破門を言い渡され、1度クビにされヾ(≧▽≦)ノ☆ドンダケ・・・

美味しいもの探しで、街を放浪し←半分ウソ、半分ホント

この店が美味しいと情報を仕入れたら、行ってみる、食べてみるの連続でした。

最初は「美味しいのか不味いのかさえ分からず」で、しょぼぼぼ~~~ん。

こんなのやめてやる~oU`X´Uノ"彡☆ ガルルルゥー!!

って、やけくそになることもシバシバでした。




人は、失ったものを自分で取り戻そうとする力を持っている。

幼い心を痛めた人たちは、心の底では、失ってきたものを取り戻したいと

心底願っていることも知っている。

それを諦めさせているのは、

「ずっと諦め続けてきた過去の幻」

おまえには出来ない、おまえなんかが出来るはずはないと囁く声。

幻の声に怯え、萎縮してしまった心。


凍りついた心を解かしてくれるのは、人とのふれあい

もし、回復に導くカギが、この世にあるとすれば 見つめ続ける愛情

それ以上のものは、無いのではないかと私は思っています。

方法や理論は、その後のことではないかと感じます。


☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:..


長い記事を読んで頂いて、ありがとうございました。

およそ、巷のカウンセラーらしくない記事が続いていますが
果たしてどのように受け止められるか自分では、よく分かりません。

旧ブログ「歩いていこう」から、ずっと自分の体験を書きつづってきましたが、
私の心の体験に心惹かれて読んで下さり、共感してくださり、応援して下さる・・・
そう感じています。
奇蹟的な癒し系・美しい記事、無理な思い込み記事は、心の回復を遠ざけると感じています。
今後も、私が体験してきた事をフラットな感覚を持って伝えていきたいと思っています。




| AC | 09:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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私にとってのブログ

カウンセラーという仕事をやっていると

そういう職業の人は、冷静で、落ち着いてて、傷つかないのか・・・と

思われがちだけれど、

人として当たり前の事だけど、

落ち込んだり、自信がなくなったり

職業柄、過敏な所もあるので、

密かに傷ついていることも多いのですよ(笑


ただ、方向性をしっかり持っているので

瞬時に自分に修正をかけているだけのこと。

別に私が、ACあがりだからというわけでもなく

普通の人も、そんなものだろうと思います。

ただし、不快を即座に識別し、

意識的にやってるかどうかの違いはあります。


前回の記事から、少しテンション下がっていたりします。

自分を語るってことは、やっぱりエネルギーが要ること。

記事として出していいのか?

割に葛藤があった記事です。


だから、コメントをもらえば、嬉しかったりします。

そんなものなんですよ^^

記事を発信していくってことは、孤独な作業。

どう受け取られるだろうか

どのくらい通じているのか

そんなことを考えながら書いています。


記事の内容が伝わった反応があったりすると

かな~~り嬉しいのですよ。

もともと、コメントを期待して書いてはいないけれど

それでもね・・・

ブログで、誰かと語り合いたいと思うものなんです。

私にとって、ブログは記録ではなく

誰かと語り、話したくて書いているのかもしれません。

皆さんにとっての、ブログって、どんなものなのだろうなあ。

(教えて、ダーリン(*´▽`))

| 日々のこと | 02:58 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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【アダルトチルドレン】食べ物の話 後日談

「ニュアンスが分からない」

の、具体的な私の体験談を書いた後

食べ物に全く思考が行かない私がいました。

(今、思い返せばですが)

食べ物の味への拒絶感・・・

過去の味と、味覚を取り戻しつつある現在との

葛藤だろうとなんとなくは、感じていました。


過去=母=変わったらいけない(意思をもつな)

現在=変わっていこう=自分の意思



食べ物へのニュアンスを感じないことで

私の中の母親の存在をずっと守っていたと感じます。


私は、いったい何を食べたいのだろう?

ここ数日、そんな状態でした。

ふと、思いついて、魚の煮物を食べたいと

魚を買いに行きました。

干物ではなく、塩焼きでもなく、魚の煮物

買ってきてから、ふと一致するところがありました。

これは、母の味でした。

無意識の過去が、現在を押しとどめるように

煮魚を提示してきたのだと、冷蔵庫の前でちょっと呆然。


ある光景が鮮やかに浮かびました。

3歳のころ

父親の父(祖父)が私の家に来た時

私に大きなスルメをくれた。

私は、それを食べていた。

それを見つけた母親が、スルメを取り上げて

「こんなもの、おじいちゃんは食べさせて!」とひどく憤慨している。

がっかりした私。

(当時私は、母によるとスグにお腹を壊すタイプだったようです)

  ↑

恐らく作られたもの、偽造されたもののような気がします。


祖父のことを恨んでいた母は、鬼の首を取ったように叫ぶ。


食べた私・・・母親を裏切った

差し出された祖父の愛情を受けてしまった罪悪感。

祖父からの愛情を遮断された悲しさと祖父と母への両方への申し訳なさ。

3歳のころの私は祖父が好きでした。

好きを好きと言えないまま。

抱っこしてくれた人だったかもしれない。


両方への申し訳なさを作りだしていたのは、母。

そして、私は生きる居場所が分からなくなった。

よるべなき、心の放浪者。


酒飲みでDVで、素面の時は本が好きな寡黙な祖父でした。
(こうして書いてみると、DV一家~^^;)

「変わったらいけない」と呪縛をかける無意識が呼びかけた

「煮物が食べたい」

それは、母の味の呪縛。

私(母)を忘れることなかれ。

私(母)の屈辱を思い知れ。
(この屈辱に正当性があったとは、とても思えない・・・)



母が私にしかけた洗脳は、50年すぎてやっと

ほどけ、ゆるみ、放出~。



「食べたいものを食べよう。

食べてもいいんだよ。りんちゃん」

小さな子に言い聞かせる。

こくんとうなずく、女の子。

スルメを取り上げられたあの日から、

時が動き出す。




今夜は、魚のから揚げにしよ^^


ちょっと、ほろほろと泣いてからね。

| AC | 18:14 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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7月の予約受け付けます

7月の予約受け付け開始します。

●希望回数

●都合の悪い日など

●トリプルの希望お相手


できるだけ、25日までにご連絡下されば助かります。


予約連絡先:anakoko@hotmail.co.jp


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆

なお、ワンステップカウンセリングと

わいわい座談会も、引き続き参加者募集しています。

一度話せば、「ええ~、そんなことだったのか!」と

衝撃と納得に変わりますよ。

そんな心に残るセッションを目指しています♪

| あなここ便り | 11:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【AC・不登校】ニュアンスが分からない

先日セッションの中で、画期的発見がありました。

その一部だけでも、書き記しておこうと、ちょっと体験を交えて

書いてみようかと思います。


私は、社会人になって、人とランチしたり

一緒に食べるっていうのが、すご~~~~く苦手だったのです。

出来るだけ避けたい・・・

その理由が、ちょっとだけ解き明かされたセッションでした。


その源流のプロセスの一部に

社会人になり、九州の一番の都市にド田舎から出てきた頃、

友達に連れられて、生まれて初めて「ピザ」というものを

食した時のとまどいを思い出します。


「どうやって食べるのだ??」←心の声

そうして生まれて初めて、その・・・ピザカッターを使って

慣れた手つきで切り分ける友達に

猛烈に劣等感を感じたものでした。

ここに気持ちの大半を奪われつつ

また食べた所でこれが果たして、美味しいものなのかどうかも、

味がよくわからない・・・ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー

残念な状態でした。


このように全く自分の守備範囲外のことでは、AC的エスパー能力激減

味よりも苦手意識だけが残り、

これが繰り返されることで、友達と食事することに、

劣等感だけがつきまとう状態。

食事・・・まじで苦痛でした。


これは、恐らく、幼い頃の食卓に関する記憶と連動しています。

幼い頃の食卓は、修羅場であるか、いつ修羅場になるかどうか

そこに100%の感を研ぎ澄ませていなければならなくて

「味わう」という人として当然の事が欠損していったのだろうと感じます。


皆さんも経験あると思いますが、

テストの点数を怒られると、今まで美味しいと口に運んでいたものが

急に、ざらざらしたまずい感覚になるってことないでしょうか。

ただでさえ人は、悩み事があると食欲が落ちたりもしますね。

それが、幼少時代、24時間幼い頃続いていた状態であったと考えて下されば

いいかと思います。


人の顔色や、物事の予想、修羅場の感は、良くも悪くも

すごく肥大してしまったのですが
(AC的な察する力技)

食事に関しては、とんと欠損・・・。

感を働かせようとしても、人の顔色を見てても、

食べ物の味は、自分で感じなければ、わかるはずもありません。


「これ、おいしいね」と友達に言われても・・・すごく、困惑する。

「うん」ととりあえず同調しながらも

自分の分からなさに劣等感~~~。(T_T)ううっ

AC的感が通用しない場所は、できるだけ避けたい。

今更「おいしいって、どんなところがどういう風に美味しいの?」

なんて恥ずかしくて聞けない。

それに対して

「甘みが、ほんのりあってね、1%苦味を感じて、触感が5割くらいとろとろして

噛めば、~~~~」と延々と説明をしてくれる人は一般的には、おりません。


んでまた、「とろとろってどれくらいなんですか?」

となると・・・

それは、1人1人、違う感覚ですので、説明しても意味がない。

「自分で感じなさ~い」と言わざるおえなくなります。

大人だと非常にめんどうくさいことになっちゃいます。


たぶん、小さな子であれば3~4歳のころ

「それって美味しいの?」と一生懸命、説明を求めてくる時期がありますね。

本当なら、ニュアンスを感じる力は、その時期から急激に発達して

自然に得られる感覚なのではないかと感じます。



私の場合は、そういう段階もなく、

大人になって分からないのに、美味しいふりをするのが、非常に辛くてですね。

場を壊してる気がして、苦手だったのではないかと

先日のセッションの中で、気づかされたことでした。



幼い頃から、人の気持ちは、裏の裏まで読みつくす、微妙なニュアンスも

取り込むくらいに敏感だったのですが、

こと食事になると「鈍感力」が働いて、味のニュアンスがさっぱり分からず。

くそ親父のアル中と母の「強烈な私は可哀想」攻撃で

家庭内が日々戦場であったため、すっかり欠損してしまったのでしょうね。


私自身のことを例にとって書いてみましたが、

この、「ニュアンス」を捉える力は、「察する力」とも言えます。

食事の時に、ホウレンソウのビタミン成分から説明しなければ

ならないくらいに、「美味しい」が分からない味音痴な私が、

他者の「おいしい」という感覚を察することは、かなり無理なことでした。
(ホウレンソウの成分でも、思い当たることがあります。
味や美味しさ、まずさが分からないから、成分や無農薬という
付加価値のついたものに飛びつくという状態もあった気がします)

食べなければならない=残さない=お腹を満たす=おいしい という構図がありました。

これでは、そもそも食べる事は、胃が満たればいいってことになります。


「美味しいってなに?」から考え直す必要がありました。

なんてこったい(;´-`).。oO(ぇ・・・・)

次第に人と食事をすると「美味しい」を知らない、

一緒に楽しめないということが

あからさまになるのではないか、バレてしまうのではないかという恐怖から

苦行、難行になっていったのではないかと感じるのです。

これが、人とのズレを生み、

人を遠ざける一因になりやすいのではないかと感じます。



こうして書いてみると、ニュアンスを捉える力の欠損は

多くの子どもたちにも見られますし

大人にも、みられるのではないかと感じます。

私は、食べ物に顕著に表れましたが、

コミュニケーションに現れる人もいますし

ファッションに現れる人もいるでしょう。

自分の欠損箇所に気づくと、面白いものが見えてくるかもしれませんよ。

ちなみに、不登校家庭に、有機野菜、無農薬、栄養にこだわる家庭が多いのにも、

なんらかの関連性があるのかもしれないと感じます。


| 不登校とAC | 16:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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コミュニティ「あなたの心をまもりたい」を閲覧可能にしました

お知らせです。

昨夜、ボスの突然の思いつきで┐( -"-)┌ヤレヤレ...

閉鎖していたコミュニティ「あなたの心をまもりたい」を

どなたでも読めるように設定変更致しましたので

↓↓↓↓こちらからどうぞ。↓↓


http://blog.fc2.com/community/member_list/15025/

特に、2期生、3期生の方は、あなここの歴史を振り返るいい機会になると思います。

参考にしてくださいね。

1期生の方は、「あ~私、こんなこと書いてる」(*・・*)ポッと赤面したり

今の自分と昔の自分を比べて、今の自分との違いを感じる機会になりますね。

数人でスカイプしながら、読み合いながら昔語りをするのもいいかもです。

共に歩んできた道を振り返り、思い出を共有しましょ。


| 未分類 | 08:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】子どもの気持ち

あなここでは、不登校のお母さん方、ACの大人の方との

スカイプ相談が9割なのですが

これまで、なりゆき上、子どもさんと直接関わることもありました。

知り合いを通じて関わるようになったYちゃん。

出会った頃、不登校初期の頃でした。

寂しげで、うつむいて、人と目を合わせられない・・・

そんな状態でした。

時々、ピグでおしゃべりしたり、ヘルプのメールが来たら

文字チャットでお話したりしていました。

そして、ピグでお友達をどんどん作っていってるのが

手に取るようにわかりました。

ピグ部屋を訪問すると、いつも誰かとおしゃべりしていました。

活発に動いているのが感じられました。

それと連動するように、私の出番は激減していきました。

Yちゃんと私が話している時に

たまたま、ピグに入っていたメンバーさんに、

Yちゃんの苦しかった時の気持ちを話してもらいました。

不登校をする子どもの気持ちと、不登校の親の気持ちのズレを

感じて欲しかったのです。

Yちゃんも、自分のお母さんに言えなかった気持ちを

ぽつぽつと語ってくれました。


そして、新しい学校を受けなおし合格し

今年の4月から学校に通い出し、バイトを始めました。

メールの文章からも、生き生き感が伝わってきました。

それっきり、私たちのつながりは無くなってしまいましたが

リアル充実してくれるYちゃんのこと

いつも、心で応援しています。


最近、あなここセッションでも、

子どもさんと話すことも増えてきました。

子どもたちと話す時は、私ときんたろうさんの二人参加で行います。


子どもたちは、決して多くは語りません。

出来れば言いたくない・・・


「別にどうも思わない」

「わからない」

「ふつう~」


こんな言葉の連発です。

が、その言葉の中に

「言えないんだ。察して欲しい」という親を守る気持ちを感じます。




とても。。。切ないんです。。


でも・・・短い言葉のちょっとした雰囲気から

今まで、がまん強く抑え込んできた

悲しみ、怒り、あきらめ、辛さが、こぼれてくるのも感じます。




誰にも言えなかった気持ち


守ってきた気持ち


伝わらない想い


言葉にならない悲しみ


ただただ、伝わってくる感情に、切なくて切なくて

表面は互いに笑いながらも、泣けてきます。



「待ってて」

かつて、Yちゃんが苦しかった頃、そう伝えたことがあります。

Yちゃんは、待ちながらも自分でも頑張ってくれました。

親ごさんも、頑張ってくれたと思います。



同じ言葉を、子どもたちに伝えたい衝動にかられます。

それは、私の思い、私の子どもたちへの思い。

そして、相棒のきんたろうさんの思い。


待っててくれるか?


この問いに、

スカイプの向こうで、かすかにうなずく気配を感じる時

子どもたちの待ち続けているピュアな姿に心を打ち抜かれます。




もし、できるのなら


自分のできる範囲でいい


伝えて


誰かに伝えて欲しい


もらった愛情を・・・


命の言葉を・・・自分以外の誰かに渡して欲しい



そんな人が1人でも、2人でも増えていくことが

私たちのセッションの目標です。

| 不登校 | 14:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【人間関係】ジョハリの窓 

20110610123732a36.png



上の図は、「歩いていこう」~グループ・エンカウンターのすすめ~の記事で使った図です。

この図の説明は、以前の記事を読んで頂いたら分かると思いますので

今回は、ちょっと具体的に書いてみたいと思います。


京都オフ会の中で、人間関係の中ですれ違いが起こりましたね。

良くも悪くも、自分の無意識の感情を知る

という点では、オフ会という密な人間関係は

絶好の機会だったと思います。


図からいくと・・・

①自分も周りも知っている

自分自身の「私はこういう人だ」という感覚と

他者が感じる「あなたは、こんな感じの人」という感覚が

大まかに一致している時の事ですね。

互いにオープンな心地よさがあります。

全く一致するってことは、別々の人間である限りあり得ない話ですが

一致している部分が多いと、コミュニケーションのズレは少ないものです。

ズレても、早めに気づくことができますし、

相手と一緒になって、互いに修正をかけあうことができます。

さらに、ズレをじっとりと監視するのではなく、

笑いとばせる関係です。

良好で楽な人間関係(親子関係)です。



オフ会では、② ③ ④ が、多発したと考えていいかと思います。

②は、自分を閉じた状態。二つ目の安全な場所。

③は、相手のこっけいさ、不可思議さ、理解に苦しむという状態に陥ります。
でも、相手にそれを言うのもはばかれるというジレンマが現れやすい状態。

④は、全くの無意識に表面だけで付き合ってる状態


これらは、全く完全に分けられたタイプ分けではなく

自分の中に、相手との親密度により、複合して存在するのではないかと感じます。


問題が起こりやすいのは、③ ④・・・

特に③の場合でしょうか。

③のパターンをちょっと分解してみましょ^^



③周りだけが知っている

(イ)自分を意識的に見る事が出来てる人から見た周りとのズレ違和感

   @ 自分の心のコップの容量と大いに関係してきます。
     
     自分を意識的に、客観的に見ることができる力が、

     後の行動の違いに繋がっていきます。 

     もし、意識的・客観的に自分を見つめる力があれば

     自分のズレは、自分で修正できます。

     そして、相手の問題は、相手の問題として分別して考えることができます。
      
          


(ロ)自分が全くの無意識である人から見た、周りとのズレ違和感 

   1.「わかってくれない」という訴えになりやすく、
   
     相手のアラ探しをしていく

   2.いじけて距離をとっていく

     (* _ω_)...アヒョ



あなここでは、③を解消するために、

何度も、オフ会に関する率直な話し合いを持ちました。


その中で、④自分も周りも知らなかった という無意識が

互いにあぶり出されてきた方も多かったのではないかと思います。



トラブルが起こることで、自分を知ることは

マニュアル本に書いてあるような「うけいれましょう」的な簡単な話しではなく

非常~~~~に苦しいことなのです。

産みの苦しみと同じくらいに辛い・・・

誰でも、隠したい、守り続けたい無意識を持っているのですから

つい・・・「そんなことないもん!私だって!がんばったもん」「あなただって!」と

責めたくなるし、怒りの放出、威嚇などにより、自己防衛したくなるんです・・・


経験者、大いに語る・・・(笑



しかし、周りの人間関係・・・特に子どもとの関係の中で

子どもを責めても何も改善しないというのは、皆さんも経験済みなはず。
 
誰を責めてもいいのですが、

結局は、自分の問題として自分に目をむけた方が、

今後、楽な生き方ができるのではないかと思うのです。


コミュニケーション力をつけて、互いに意思疎通・一致する力を

磨いていくことが、①自分も周りも知っている 

楽な関係への一歩ね^^


ちょっとした、ボタンの掛け違いは、

自分の思い込みのベースの違いから起こることも

知っておいてくださいね。


「自分の常識、相手の非常識」

ってこともありますし、

自己思い込み妄想力がありすぎて、とんでもない思い違いになってるということも(汗;


自分のベースはどこにあるのかをしっかり自覚すること

「かわいそう」

「わたしなんて」

「どうせ」

「でも」

ヒントは、意外と、自分の口癖の中にあります^^


例えば、自己肯定感が低いベースを持ってる人と、

まあまあ高めな人との会話はすれ違いが起こりやすい。

まあまあの自己肯定感が有る人は、

相手が低目であることを意識しながら、判断、修正をしていくことが

必要になってきます。

その反対もありですが・・・

親密度によって「気の使い方」の大きさにも差が出てきます。

それは、相手のオープンさによって左右されることになるでしょう。

自分がオープンであるかどうか、率直に言ってもらえる存在なのか、

他者を受け入れる力もコミュニケーションの力(容量)であると感じます。

自分の癖、相手の癖を照らし合わせて、

よりフラットな妄想力で、人間関係を円滑にしていく経験を

体験していって欲しいなと思います。

| AC | 12:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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