アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

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【不登校】子どもの発達障害及び起立性調節障害を考える(注:追記あり)

下の方に、記事を追加しました。読んでね^^

一度、書いてみたかったテーマです。

が、確信はあったのですが、公言するには

はばかられるテーマでもあって書けずにいましたが、

そろそろ提示してもいいかなと思い書いてみます。


私の子どもが不登校の時期に流行していたのは(7~8年前くらい)

「起立性調節障害」という病名でした。

簡単に説明すれば、精神的ストレスの為に、自律神経の機能が狂い、

血圧が安定せず、昼夜逆転、あるいは朝起きれないという症状が出ることで

学校へ行けない状態になるものです。

当時、「起立性調節障害」は、不登校のお母さんたちの

救世主的役割を果たしていたかと思います。

たくさんのサイトが立ち上がっていたと思います。

「なぜ不登校になったのか?」という問いに

「この病気だったから、学校へ行けなくなったんだ」という答えが提示されたことで

お母さんたちは、自分を否定されず、安堵の気持ちを持たれていた気がします。


私の子どもも当初「起立性調節障害」と病院で言われ

リアルの身近にもそういう方がいらしたので、

いったん納得してはみたものの、

分かったところで何も変わらないというのが現実でした。


元々、好奇心が旺盛な性分の私は、色々調べたのですが

「自律神経の乱れによって引き起こされる」という点に引っかかり続けました。

自立神経の乱れによって引き起こされる病気は

過敏性腸炎、不眠、動悸、めまい、不整脈、過呼吸などありますが、

その中に、血圧の不安定さが含まれているだけで

「自律神経の乱れ」を引き起こしたものを考えて行くことが

大事なのではないかと自分の中で決着をつけました。


で、今は、「発達障害」という実にあいまいなものが横行する時代になりました。

私の妹と甥っ子も、発達障害からくる「うつ病」という病名を

現在付けられています。

妹と甥っ子は、発達障害という一言で、

「てんかん」「過呼吸」「錯乱」「うつ病」「自傷」が全部入れこまれて

まるで、ごった煮の煮物のような様子を呈してします。


しかし、親側は、「なぜこの子は、扱いにくい子なのだ?」という長年のイライラが

その病名で「なるほど!」となり、

障害があったことで、妹とその子は、世間並みに生きられないんだと

そんな結論で納得しているようです。

しかし、妹は自分の空虚さの苦しみを親に激しくぶつけただけであって

私は、親にぶつけることなく、実家を去ったというだけの違いなんですね。

妹が発達障害と言うなら、同じ成育歴を持つ姉妹でしたら、

私もそうだろうと感じます。


しかし、私から実家の家族関係を客観的に見たら

親が、子どもの気持ちを踏みにじらず、親側の不安を押し付けたり、

力で抑え込んだり、抑圧したりしないで、気持ちを受け取り理解しようとしてくれていたら

病名を付ける必要もなく、かなり良い方に変わっていくのではないかと

そんな事を思います。


私たち姉妹を考えると

発達障害というよりも、

・感情の欠損・・・親の暖かい愛情の欠損

・抑   圧・・・親から「してはいけない」で育ったために
         心の容量の枠の狭さ

・自力のなさ・・・親から言われるがままに生きることを強いられ
         ある時は過干渉、ある時は放任一貫性のない極のぶれの為に
         「自分でやる」という思考を奪われ続けた         
         指示がないと動けない     
          
・コミュニケーション力の欠如・・・親からの一方的な否定や干渉にさらされ
                 自分で感じる力を奪われ、人の気持ちがわからない


あと、感情のコントロール不全、自己肯定感の低さ、

感情の認知力の低さなどなど、

これらは、すべて家庭や家庭を取り巻く関係で培われるものではないかと感じるのです。


そのことを自分で深く理解して

もう一度、親子で子ども時代をやり直し、失ったものを取り戻すプロセスが

回復へ繋がっていくのではないかと感じます。


以上の経験から、

発達障害・・・それが、何か?と、

一度言ってみたかった言葉です。



これが言いたくて、記事をせっせと書いてみました(・ω・)ノ

ひとくくりに、あれもこれも「発達障害」は、やめて頂きたいなあと・・・

そんなことを思っています。

それであるなら、心理テストを受けたら、きっと大半の方が

大なり小なり、発達障害かもしれませんよ(汗;


↓↓(ここから、追記記事)3月31日↓↓

*:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:..。o○☆ *:.


きんたろうさんの参考記事の追加をしておきます。

力関係によって、

・本心とは別に、意に沿う事で生き残ってきた人間(サバイバー)

・人を封じる事で、生き残ってきた人間(独裁者・サバイバー)

を念頭に置いて記事、コメント等を読んで頂けたら幸いです。

★ 二つの共依存【二つの安全な場所】

終わり【アダルトチルドレン二つの安全な場所】

| 不登校 | 10:02 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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慈しみ

ファイ~1


今感じている、底なしの悲しみは、


やがて深い慈しみへと繋がっていく しるし


過去の恐怖、憎しみ、怒り、悲しみ、ねたみ、は、


大切な人を知ることで


いつか 溢れだす愛情に変わる 布石



汚い自分を卑下することはない


今感じている負の感情こそ


慈愛へ向かう鍵になるだろう


今、そうならないからと落ち込むことはないよ


未来へ繋がる 今を 丁寧に 大切に


| 日々のこと | 12:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校とAC】子どもが動き出そうとする時の親の心理

進学や進級の季節ですね。

不登校やひきこもりの子どもたちは、

時期的に気持ちが動きやすい時期でもあります。


子どもが動き始めようとする時に、親は複雑な気持ちになります。

はらはら、ドキドキ、不安、恐怖・・・

先のことを思って、気持ちは上がったり下がったりではないでしょうか。

ちょっと、パターン別に書きだしてみたいと思います。


①子どもが元気になりだすと怒りが湧いてくる親(共依存系)

子どもが活動的になったり、友達の輪を広げ出すと

物足りなさや、ぽっかりと空洞を感じる傾向の強い方たちがいます。

誤魔化しても、なんだか、気力がわかない・・・

なんだか、自分が我慢して、「子どもの為に」とすごく苦労してきたことが

あほらしくなってくる。

ぽっかりと満たされない思いが湧いてくる。

次第に自由にしている子どもが、とても羨ましくなり

「私の気持ちをわかってよ」

という親側のかまってちゃんが発動してきます。

「私は、あなたのように自由には出来なかった。なのにあなたは・・・」

何か怒るようなことを仕掛けたり、証拠探しをしたり

怒る理由を作りだそうとします。

これは、満たされなかった幼い頃の残り火が、再燃してくる状態を示します。

こうして、子どもを自分の手の内に戻したいという衝動が噴火して

子どもに八つ当たり・・・

「いつまで、ゲームやってんの!」

「早くねなさい!」

といつもは言わないような事を口走って

子どもは、がっかりして、エネルギーをお母さんから奪われてしまいます。

そうしたら、子どもたちは、しょんぼりします。

子どものしょんぼりした姿を見て*思い知らせることに「ざまーみろ」という満足したお母さんの幼心は

エネルギーを子どもから貰ってやっと満足します。

同時に「またやってしまった」というかすかな気持ち。

お母さんの幼心の傷が深ければ深いほど、満足>罪悪感 となり、

罪悪感を「だって、あの子がちゃんとしないんだもん」という正当な理由で

かき消してしまっていきます。



*「思い知らせる」・・・幼い頃に感情を抑圧され、
 いい子を演じてきた子どもたちは本当の感情を閉じ込めています。
 しかし、閉じ込められた感情は、生活の中でじんわりと無意識に行動や言葉に
 漏れてきます。
 無意識に抑圧されてきた「私は親にこんなにひどいことをされた」という
 これらの負の感情を自分の子どもに分かって欲しいという無意識の欲求になっていきます。
 子どもへの精神的虐待・身体的な虐待は、
 このように、母親自身の「悲しみ・怒り・憎しみ」を子どもで再現し
 子どもに自分の辛さを分かって欲しいという一体化を求めた行為です。



②不安を上乗せする親たち(過干渉系)

子どもが動けるのだろうか、どうせまた失敗するのではないだろうか?

期待のあまり、自分が傷つくことを恐れ

不安のクッションを入れて、

子どものエネルギーを奪っていくタイプの親もいます。

学校に行く子どもを支えるのは、親です。

親の不安は、子どもに必ず伝わります。

そして、不安による先読み過干渉が発動し、母子一体化に戻そうとします。

不安を抱えることで「変わるな」というメッセージを

離脱しようとする子どもに伝えているのですね。

そして、その根本には、

やはり・・・

「思い知らせる」という無意識が作用していると感じます。



③変化するのが怖い親たち(放任系)

これも、割に多いかと思います。

子どもが動き出すと生活に変化が起こります。

喜ばしいことなのに、自分のことしか目に入ってない・・・

自分が寂しい

変化することは、今まで自分が守ってきた

「抑圧」を壊されることに繋がります。

自分の人生を否定される感覚にもなります。

そして、上の①と同じく、

「思い知らせたい」という対象物を失うという予測が無意識に発動します。

思い知らせたい対象物がいなくなるという事は

自分と向き合い、自分を見つめなければならなくなります。


今まで、対象物があったゆえに、苦しくても

本当の気持ちを逃すことができた。

しかし、それが出来なくなる恐怖を本能的に悟ります。

これは、これで、とても苦しいことだと感じます。

子どもをいつまでも自分の「思い知らせる」、「満足」の道具に

してはいけないことも分かっているのです。

しかし、つい・・・

子どもが進学することを、まるでそこに存在しないように

放置し、見ないようにし、

子どもが再度、動けないように、エネルギーを奪おうとします。



以上、ざっくりと3つのパターンを書きましたが、

表面に出ている形は全く違いますね。

実際は、①②③が入り混じっていると考えていいかと思います。


しかし、根本は「思い知らせたい」という幼い頃に閉じ込めたお母さんの感情。


こうした子どもを自分の身代りにしようとする力は

なかなか、自分では自覚できないものです。

自分をみつめる事の大切さを少しでも感じて頂きたいと思っています。

         
色々な不登校対策の場所がありますが、

私たちは、長引いた不登校・ひきこもりは、

子どもへの表面上の方法や小手先の言葉でのアプローチでは、

根本回復にはならないと考えています。

| 未分類 | 14:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【不登校とAC】鎖をはずした象(加筆あり)

卒業、進学の季節がやってきましたね。
今まで、じっと引きこもっている子たちを引きずり出したくなる衝動に
かられますね。

気をつけないといけないことに、
子どもの気持ちとお母さんの気持ちに一致が無ければ
無理に引き出したとしても、後が続かないということが多い気がします。
そのことを頭の隅に置きつつ、親ごさんには
子どもたちを見守って頂きたいと思います。
要するに、子どもの行動に、一喜一憂するんじゃないよってことですね。
親に一喜一憂されるのが、子どもにはすご~~く、プレッシャーなんですね。


さて、今日の記事は、心の鎖についてです。

過干渉にしろ、ネグレクトにしろ

どちらにしても、圧倒的な支配力がかかった場所で育った人たちは

自分の自由な感情や言葉、行動を奪われていきます。


大人になり、自分でお金を稼ぎ、

親元から離れ、自由を手に入れても

今まで抑圧してきた感情を、さて、出せるか?

と問われれば、否です。


こんなお話があります。

ある一匹の象がいました。
その象は、小さな頃から足に鎖を繋がれて
育ちました。

大人になった象は、鎖を外された時
どこへ行ってもいいはずなのに、
自由なはずなのに・・・
鎖に繋がれていた範囲しか動かないのです。


ずいぶん昔に、この話を聞いた時に

まるで自分のことのように思ったことでした。

「こんな家、嫌だ」と家を飛び出し、

自由を手に入れたはずだったのに、

この象のお話のように、心の鎖はずっと私自身を縛ったままでした。
自由に、生き生きと、抑圧されずに生きていくことは長い間の夢であったはずでした。
しかし、体は自由になっても、心が抑圧されたまま育ち
自由であるという感覚が皆無であったことが致命的でした。
誰かの顔色をみて自分の言葉を決めていく癖は治りませんでした。
人の言葉に必要以上に傷ついたり、びくついたりする癖も治りませんでした。
言いたいことが分からなくて、自分を誤魔化し続ける癖も治りませんでした。
自分が何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、
人に確認する癖も治りませんでした。
寂しいとき、寂しいと思えませんでした。
悔しい時、怒った時も、そう思えませんでした。
ただ、漠然と理不尽な思いだけを抱え続けていました。
そういう世界しか知らなかったのです。
もがいてもがいて、最終的には、「私はいったい何者なんだろう」と
自分の希薄さ、虚無感を悲しみ続けるはめになりました。

鎖の呪いのようですね。


不登校でも、引きこもりでも

これだけ学校を休ませ、お母さんが気を使い、

子どもの好きなことをさせているのに、どうして動こうとしないのだろう・・・

そう思われる方も多いのではないでしょうか。

そして、つい子どもの足を掴んで、一歩を前に出させようとしてしまう。

象の足に再度、鎖をつけて散歩させるようなものですね。

人が苦しんでいるのは、表面的な鎖ではなく、心を縛る鎖なのではないかと思うのです。


象を歩けなくさせてしまったのは、最初につけた鎖のため。

象は鎖がなくなっても、鎖がある世界しかないと思い込んでいる・・・

鎖をつけなおして、歩かせるのがAC・不登校回復ではないと感じます。


鎖はもう無いんだよ と心の自由を取り戻すことと同時に、

一歩を踏み出せる応援、支え、励まし・・・安全な場所(家庭・仲間)が

必要なのではないかと感じます。

そして、何より、鎖の意味を深く理解し、

前に進もうとするプロセスをしっかり見ていてくれる人の存在が

不可欠なのだろうと感じます。



「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ」
             星の王子さまより

| 不登校とAC | 17:02 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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苦しい時は

もし、今、苦しいと思うならば

それが、本気の苦しさであるならば

1~2カ月後くらいに

心に変化が現れるよ。

苦しいと思える時がチャンスの時。

| 雑記 | 15:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【不登校とAC】子どもへの罪悪感(3)

3連発罪悪感シリーズ記事になりました。

前回の続きです。


2.自分の気持ちで動く場合

罪悪感を感じていない自分、よくあったのが
「罪悪感に浸る」というものがありました。
酔っていると言い変えてもいいかと思います。

そのようなブログには、慰めの言葉の同調コメントなどで、
「私もそうだよ、がんばろう」なんてよく見かけます。

母一言多い→子どもが不調になった→自分が落ち込む

ですね。


ここで見落とされがちなのが子どもの側の心の痛みです。
子どもとだけではなく、人間関係でも同じ事ですね。

悪口を言われるから謝る。
仲間はずれにされるから謝る。

自分を守る行為の延長で謝るという行為に及びますね。

しかし、相手の心の痛みをどれほど感じているのか・・・
そこが重要なポイントではないかと思います。

自分の中にある同じ痛みとして相手の傷を感じているのか?
相手の傷の深さをわかり、気持ちを分かろうとしているのか?

実は私、分からなかったんです。。。

なぜなら昔は、AC特有の「私ほど、不幸な人はいない」と思っていたので

そう思っている限り、子どもにやってしまった傷を軽く考えてしまう思考の癖があったんですね。

ということは、

罪悪感を感じない状態は、

「私の方がもっと傷ついているんだ」という

無意識の状態を示しているのではないかと感じます。


子ども(相手)と自分の傷の深さ比べをしてどうするw( ̄▽ ̄;)w

って感じですが、それは逃し行為にしか過ぎません。


罪悪感を感じる、謝るという行為は

相手の痛みを 自分のどの部分で 受け止め

自分がどれくらい 感じる力を 育てていくか


という事に尽きるのではないかと思うのです。


自分の感じた痛みと相手の痛みを客観的に公平に

計ることができる状態を作るということが課題になります。

やった方の痛みを感じる力と、された方の痛みが一致したところが

「わかってもらえた」という安堵感、緩和を誘うのだろうと思うのです。

これが出来て、はじめて 本当の罪悪感・・・、申し訳なかったという気持ちが

子どもたちや、相手に伝わるのではないかと感じるのです。


さて、自分が口にしている罪悪感は、

どういう罪悪感なのでしょうか?

意識して、日ごろの自分の気持ちを点検していきましょう。


| 不登校とAC | 17:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【不登校とAC】子どもへの罪悪感(2)

前回の記事の続きです。

もし、あなたが心無い一言で誰かを傷つけたとします。

「申し訳ない」「ひどいことをしてしまった」
そういう気持ちが後悔とともにわきあがりますね。

ちょっと、ここで、その時の気持ちを分別してみましょう。

1. 相手の反応で、自分の気持ちが動く場合

相手が、しょんぼりしていると、その姿を見て、
自分がひどい事をしてしまったのではないか・・・
しょんぼりさせてしまった自分を責めるという場合もあれば

相手が激怒する姿を見て、自分が怯えてしまい
「私が悪かった」「だめな私」となる場合ないでしょうか。

これは、罪悪感というより、

「自分がやったことに対する相手の反応に対して

自分が怯えている状態」


これは、長年の成育歴により、理不尽な怒られ方、納得できない気持ちを
ずっと抱え込んで、自己肯定感が低い方にかなりの高い頻度で見られる
心の反応ではないでしょうか。

これは、怯えの反応であって、罪悪感とは呼びません。

怯えや萎縮から「私が悪かったのだ」という一般的な反応をやることで
「ごめんなさい」ととりあえず謝るという行為に及びます。

不登校の子に、謝る親ごさんも多いのですが、これをやり続けても、

親は、偽の罪悪感に突き動かされて謝っているので

また、同じことを(失言・いらつき・聞かれてもいないアドバイス)やることで

子どもは期待した分、がっかりした失望を感じ続けるはめになります。
そして、謝ったはずの親は、また、我慢の勘忍袋が切れるたびに
がっかりし続けていくのですね。
そんな親を見続けていく子どもたちの心情はいかばかりかと・・・思います。
不登校が改善しない理由もここにある気がします。


「あの時、私が、子どもにひどい事を言ったから」

「勉強、勉強と言ったから」

「感情に任せて叩いたから」

「否定してしまったから」

「話を聞いてやれなかったから」


これは、ただの 行為 にしか過ぎません。

そして、「申し訳なかった」「かわいそう」というすごく
もっともな言葉で逃していくのです。

あるいは、子どもが泣いている姿・落ち込んでる姿が
まるで母親である自分を責めるように感じてしまう事も
あるんじゃないかと思います。


このような場合は、子どもの反応に怯えている
     ↓
怯えながら、自分を抑圧している
     ↓
そして、子どもの様子から自分が責められているような気がする
     ↓
腫れものにさわるような態度をとる←ここで偽の罪悪感で自分を抑える
     ↓
我慢状態が続く
     ↓
耐えきれなくて爆発・操作をしかける


このような構図があるのかもしれませんね。


繰り返される、我慢とイライラの放出を繰り返している・・・

不登校のお子さんをお持ちの家庭が余りにも多い気がします。

しかし、「申し訳なかった」という言葉で、事実をあいまいにし
親が子供に「ごめんね」と謝って、めでたしめでたし。

うちは、上手くいってます、という普通の状態が戻ってきます。

この行為自体、DVの仕組みとなんら変わらないと考えます。

(謝る→我慢の時期・萎縮時期→怒りを貯める→爆発→)


家庭の中に母性を備えたヤーさんがいるのと同じこと。

もちろん、母親がそうならざるを得ない背景は十分知りつつも書いてみました。
(すみません、口が悪くてm(__)m 私自身が経験した事ですのでご容赦を)

以下エンドレスにこの繰り返しになります。
もし不登校の方がここをお読みになっているなら
ご自分のブログを読み返してご覧になったらいいかと思います。

客観的に、繰り返されている事実がわかるかもしれませんね。

こうして考えてみると、
謝るという行為は、罪悪感と深く繋がっているように思えます。


さて次は 2.自分の気持ちで動く場合

を書いてみたいと思います。


~次に続きます~

| 不登校とAC | 16:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【不登校とAC】子どもへの罪悪感

罪悪感について、書いていきたいと思います。

まずは、罪悪感について書くまえに、偽の罪悪感について言及してみます。

以前、インナーチャイルドのエクササイズを行っていた時
一番の難関が「怒りを出す」「自分を許す」という課題でした。
怒りを表現するに至るまでの過程は、
こちら 「歩いていこう」インナーチャイルドエクササイズ
カテゴリを最初から読みこんで下されば、当時私が感じていた事は多少は、
分かって頂けるかもしれません。

さて、当時を思い出せば、子どもが不登校になったことに対する事への
罪悪感は、ほぼ無かったと言っても過言ではありません。

確かに私は困りはて、悩んではいたのですが、
それは「不登校になった子どもに対して困っていた」のであって
私自身が果たして本気で困っていたのか?という疑問はかなりあります。

「私自身は、困っていなかった」と言うと、誤解を招きそうですが・・・
当事者にしてみたら、自分が困っているつもりで、
子どもをどうにかしたいとぐるぐる渦中なので、
当然自分が困った状態であるということになんの疑問も持たないのが
当たり前だったと思います。

どうしたらいいのだろう?
その答えをずっと探していたと思います。
これが、罪悪感の無い状態を示していると思います。

特に理論武装に走った最初の一年は、そういう迷走の時代でした。

その根拠となるものは、私の想い描いていた偏った空想ではなく
当時の事実を検証してみれば、歴然とします。

・学校に行ける行けないという表面の事にこだわっていたこと
 
・子どもの気持ちを受け止めているつもりだったけれど、
 つい、一言多く言ってしまって、子どもを不安定に突き落としたりイラついたり、 
 反対に、萎縮して子どもを腫れものに扱うように守ってみたり
 学校に行かなくてもいいと豪語しながらも、行くように仕向ける自分がいた事実
 自分の思い通りに子どもを動かそうとエネルギーを密かに費やしていました。
 

・世間から自分を守ることにこっけい過ぎるほどに必死だったこと。
  *私は大丈夫!と世間に必死に取り繕って見せる
  *不登校になって良かったと、正当性を主張して気持ちの逃しをしていたこと
  そのくせ、制服の子たちを見たら、自分がみじめに思えて自分を憐れんでいる

   (ポイントは、「うちの子にも制服を着て欲しい」という母親の欲求と
    子どもが制服を着ない現状に、母親の想像で子どもを勝手に憐れんでいること)← かわいそうな子思考

          
以上の事は、子どもを荒れさせないために、ただ我慢している状態を示します。

子どもに申し訳無い事をしたから「我慢」して、言わないでいる

この状態は罪悪感というより、ただ、自分の気持ちを抑え込んで、
ひたすら苦行僧のように耐え忍んでいる状態ですね。

子どもが昼間寝てる→ 「私はこんなに働いているのに」
           (でも、文句を言ったら子どもが不調になるから言えない) 
朝方までネットしている→「私は、こんなに我慢しているのにあなたは遊び放題」
           (でも、文句を言ったら子どもが荒れるから言えない)
家にいるのに手伝わない→ 「私は、家政婦じゃない!」

なんてね、ないでしょうか。

これらの行為がたまりにたまって、結局、
「いい加減にして!お母さんは、こんなに心配しているのに
 あなたは、一日中ぐーたらしている。お手伝いくらいしてよ」

となるか、

家族の当てつけられる人に(主に夫)当たり散らすという
構図が見られるような気がします。
だんなさんは、不登校の子のことは、奥さんに任せっ切りという負い目から、
ある程度は我慢して受け皿になってくれるでしょう。
そのぎりぎりのバランスを本能的に見ながら
(これ以上言ったら逆切れするスレスレの場所)
奥さんは、旦那さんに当たっていくことでしょう。


閉じこめ、抑え込んだ我慢は、どこかに出してバランスをとってるのが
人間のさがというものだろうと思います。

もし、このような事実が多ければ、それは偽の罪悪感であると
思っていいのではないかと思います。

本当の罪悪感があれば、ただ、自分がやってきた事を反省し
認めて修正すれば良いだけのこと。
本当の罪悪感があれば、自分のやっている事に自然にストップがかかるのが、
人間として当たり前な事だろうと思います。

では、本当の罪悪感とは、どういうものでしょう。


~次の記事に続きます~

| 不登校とAC | 15:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【アダルトチルドレン】無限ループは自分で作られる

悩みで脳内がグルグルになってしまって、

全く出口がないように思えてしまう事があるよね。

どう考えても、解決策がない

どうにもこうにも八方塞がり。

そういう時は、自分の脳内会話に耳を澄ませてみてください。


「でもね~」(反転)

「わかってるんだけど」(言い訳)

「そうなんだけど~」(納得したくない)

「出来ない~」(停止)

「だって」(抵抗)

「難しいなあ~」(出来ない理由)

「どうしたらいいかわからない」(丸投げ)

「無理です」(変わりたくない)

「遠いなあ~」(目標を遠くに置く事で、途方にくれるふり)

「そうなんだ~」(私はそう思わない)
  ・
  ・
  ・

これらを「元に戻す言葉」として認識してみてね。

「元に戻す言葉」=解決したくないという無意識の言葉なんです。

解決したくない自分がいるということ、

選択することに恐れを抱いていること、

だからこそ、前に進みかける自分をマイナスに引き戻す力となって

「最初に戻る」スイッチの言葉として

心に留めておいて欲しいと思います。

グルグルしている時こそ、

新しい扉を見つけるチャンスなはずなのに

失敗が怖くて、扉を見えないようにしたいもの。

自分の壁を越える恐怖から

自分で無限グルグル状態を作り出しているのだろうと感じます。

やがて、疲れ果てて「もうやーめた!」と投げ出すことになります。


こうして、最後までやりたくないのは、自分と向き合うってこと。

向き合いたくないために、無限に続くループを作り出しているのかもね。


| AC | 18:41 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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YELL

昔、ブログを始めた頃、ブロ友さんに
「昔は、ひざを抱えてうずくまっているように見えた」
そう言われていました。


料理もダメで、人間関係もさっぱりダメで
人としての思いやりもすっぱりなくて
家庭は、実家も合わせて、ずたボロで
子どももまともに育てられない
趣味もなく、楽しいってなに?
かわいいもの?それは意味があるんですか?
母性?それは、日本語ですか?
見守るって、どういうことですか?
愛情ってなんですか?
憎しみと怒りと誤魔化しだけが心を占領していた頃
そんな自分を欠陥人間だと思っていたよ。
生きている価値さえないと思っていた。
(対極に誰か認めて欲しいと強烈に渇望していた)


そういう時代が私にもあったのよ。


そして、その時必要な人に出あい、言葉に助けられ
人の存在に助けられ
回復に一歩、一歩 遠回り、道草 気の遠くなるような長い年月をかけてきた。
今思うと、歩いてきた人生に何ひとつ無駄なことはなかった。

こんなどうしようもない、最低の私が、回復できたのだから、
きっと あなたにも 光はある
誰にも、平等に チャンスはある
そう思っています
チャンスがあると思えば、チャンスが見える。
あの人は、運がいいからと よそ様の夢物語に思えば
チャンスは見えない。
出来ない理由は、無限に自分で作れる。
人のせい、自分のせいにすればいいのだから。


ゴールは、ない。
今も私だって、ゴールにはいない。
まだまだ、途上。
先は遠い。
でも、一日一日が、成長の証
だから、人生は面白いのだ。
変化、成長、し続けるのが人というものだろう。



今日、息子がセッションに初参加させてもらいました。
彼もまた、結果ではなく途上。
今回のセッションで出会った方たちと過ごした時間が、
今後 どのように彼の人生に影響していくか 
それは彼の受け取る力次第になる。



互いに、出会いが人を変えていく。
今日の出会いを、忘れないで欲しい。
そして隣の誰かに伝えて欲しい。
誰もが回復できる可能性を秘めていることを。


ご縁があって、お話して下さった方たち、心から感謝します。

ありがとう。

| 日々のこと | 02:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【AC・不登校】自分の過去を語る

不登校のお母さんが、よく悩まれることに
「子どもを責めてはいけないことは、分かっているのですが
つい、一言多く言ってしまうんです」という悩みがあります。

わかっちゃいるけれど、改善できない。
つい言ってしまう、やってしまう。
言いたい衝動を抑えられない。

悩ましいですね。

今の時代は、ネットや本などで不登校のノウハウは
山ほど出回っているのですが、
それでも、適切な対応ができなくて悩んでいらっしゃる。
そんな親御さんが多いような気がします。

不登校の仕組みも、親の対応もわかった、
でも、わかっちゃいるけど、やめられない。
ここが問題の焦点。

これは、なぜなのでしょうか?

それは、親御さん自身が満たされない気持ちを
持っておられる事が非常に多いのです。

「私の子ども時代は、こんな甘えは許されなかった」

「私の時代は、こんな事くらい我慢した」

特に、理不尽な思いをさせられた子ども時代があればあるほど
AC的要素増大し、親ごさん自身の本来あるべき健全な情緒的成育を阻みます。
親御さんの中に眠る傷ついた幼心が、
無意識に行動や言動として立ち上ってくるのです。

たとえ、自分の子どもであっても、
親の傷ついた幼心は、あの手この手で、
アピールしてきます。

これは、本人が望むと望まざると
怒り、嫉妬、憎しみ、が自然とわきあがってくるのでやっかいです。
いくら傷ついた幼心が、無意識の中に眠っているとはいえ
やはり、自分の一部であるので、自然とその人の生き方に
影響を与え続けます。
仕組まれた人生脚本の中で、嫌がおうにも踊らされている状態ですね。

私たちのセッションでは、
かつて、傷ついたまま眠っている幼心を
無意識から顕在意識に引き出し、
傷を手当てすることをお勧めしています。

その方法の1つとして、
「自分の過去を語る」ということを推奨しています。

自分の過去を語るって、どういうこと?

自分が閉じ込めてしまった過去の辛かったことを
言葉にして語ることで当時の生々しい感情と向き合い
感情を解放してあげるってことです。

これらは、もう一度、過去にさかのぼり
傷を受けた時の、悲しさ、悔しさ、怒りを出していくことで
自分の人生を取り戻すという効果があります。

もちろん、過去は変えることはできませんが、
言葉にし、語ることで、長年閉じ込めていた感情が動き出していくのです。
感情が動き出すと、「わかっちゃいるけどやめられない」無意識の人生脚本から
少しずつ脱することができるようになります。

そして、重要なのは、自分が語ったことを誰かにしっかり受け止めてもらう。
これが、大前提です。

受け止めるにも、それなりの力量が当然のことながら必要ですね。
(同調と共感の違い)

自分の辛かった幼心の過去を語ることは、
地道ではありますが、回復への近道だろうと感じます。

| 不登校とAC | 03:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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今、目の前にいる人を

よく、一途だと言われる。

でも、ほんとは違う。

移り気で、飽きっぽくて、いいかげん。

だから、一途であることは、きっと良い事だと思ってきた。

一途なふりをしてきただけ(笑

移ろうもの、変わっていく自分の心。


そんな私でも、

今、目の前にいる人を大切に思うことができる、

そんな位置には、いるのではないかと思う。

これは、単純なことで案外と難しい。


いつも変わらず同じ場所で笑っていたい。

それが、願い。

| 日々のこと | 03:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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