アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

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お知らせです(あなここ便り)

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        【お知らせ(その1)】

最近、人間関係のトラブルを経験した当事者や、
それに関わってらっしゃる援助者のために
(当事者兼、援助者の方も)
それぞれの気持ちを整理し、互いに語り合う場、
あるいは、トラブルを通して人間関係を修復する場として

「トラブルリカバリー・グループセッション」を行います。

うさんくさい命名ですが(^▽^;)
ようするに、
「あなここ部の人間関係のもめごとを整理整頓してみましょ。」
って感じに思って下さればいいかと思います。
なので、整理整頓したい方が対象となります。
参加希望者は、りんりんまでメールで申し込んでください。
当日直前まで受け付けます。


日にち:5日(日曜)
時間:21:00~00:00
料金:各自1時間1,000円
0時超えた場合は、追加料金を5分ごとに設定しています:5分100円
人数制限は特に設けていません。

なお、セッションの一環ですので、時間厳守お願いします。

また、今は、特に関係者ではないけれど、
自分のために参加してみたい熱意のある方も、
ご自由にどうぞ^^
ただし、どうしても整理整頓したい方々のお話が中心になりますので
そこんところはご了承ください。

質問がありましたら、K、R、どちらでも
お問い合わせくださいませ。


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      【お知らせ(その2)】


本日、2月のシフトをメール送付しております。

どうぞ、ご確認くださいねm(__)m

今月は、どうにか間に合った~(汗


| あなここ便り | 06:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【ACの思い】ACの作られ方

まるで、いらないと言われたような気がした。

一週間も無視され続けることは日常茶飯事だった。

息を殺して、母親の氷が解けるのを、今か今日かと待ち続けた。


あの時、まるで、そこにいないかのように

幽霊のように扱われたこと


母親の瞳には、子どもの私は 映っていなかった。

まるで、おまえは、いらないと言われたように。

いつしか、私は子どもの心を失った。

5歳のころ、

私はもう一度、赤ちゃんから生まれなおして

母親に必要とされる子どもになりたかった。

でも、それは、かなわぬ望み。

その頃から、死を意識しはじめた。

死に、あこがれた。


いらないと言われた私は、

今度は、大切な人たちに向かって、

「あなたたちは、いらないの」と

そんな嫌悪の目を向けるようになった。


それは、あの日・・

いらないと言われた日の悲しさを

同じように分かち合ってくれる人を

ずっと探す方法だった。

「私は、いらない子なの。だから、あなたもそんな気持ちを味わって。
そうしたら、私の気持ちがわかるから」


そんなことしなくても、

よかったのにね。

人を巻き込んでも、何も変わらないのに

そういう方法しか知らなかったんだ。

自分と同じ思いを、わざわざ他者に思い知らさなくったって

わかろうとしてくれる人は、そばにいたのに。


大人になって、数十年過ぎて

やっとわかったよ。


私は、いらない子じゃなかったって。

最初から、ずっと。

(過去回想)


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆


もし、ACを作ろうと思ったら、

まるで、そこにいないかのように

無視をしたらいい。

愛情の反対は、憎しみじゃない。

無関心

相手の心を無視して、

自分の歪んだ気持ちのままに

都合よく物事を受け止めて、

自分の非を認めず、

顧みず、

反省せず、

批判的で

訴え続ければいい

物事を表面しか見ず、

不平不満で満たされ

自分が安全であるためだけに気持ちを注ぎ

人の気持ちを一ミリたりとも、受け取ろうとせず


そうしたら、その人の周りには、

殺伐とした気持ちで、どんよりとした目をした

人たちが出来上がるだろう。


そうして、そこは、墓場のようになるだろう。


それがどれほど、子どもたちの人生を奪うことになっていくのか

知ろうとしなければ、そうなるだろう。

| AC | 14:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【不登校】子どもからの伝言~ゲームをする理由~

となりのあいつ こと、となりんに、伝言を頼まれました。

自分の記事を不登校のお母さん方に読んで欲しいと。

「理由を知っても、理由ができた根拠って知らないことが多いよね」


となりんは、現在20歳になる元不登校の私の息子です。
かつて、中学二年の6月に不登校になり、自傷まで追いこんでしまいました。
一番、多感で、一番楽しいはずの中学時代を、
私は、彼から奪ってしまいました。

ここまで回復するのに、親子ともに、長い長い時間がかかりました。
*それでも、昨年の今頃、この5年でここまで回復したのは、
 非常に珍しい事例だと主治医のお医者さんに驚かれました。
 それほど、不登校という問題は、こじらせたら、短期間での
 修復は難しい問題だということを知っておいてください。
 

私は、彼から愛情を奪うばかりでしたが、
彼はいつも与えるばかりだったことを、改めて痛感します。
そして、今も、誰かに自分の経験を与えながら自分を満たそうとする姿は、
我が子ながら、敬服しています。

私が「普通」の暖かい家庭で育ち、
子どもたちも、普通に育っていれば、人生はもっと違っていただろうか?
時々、そんなことも思います。
が、今、私たちが、ここにいられるのは、長い長い連鎖の旅をしてきて
終結をむかえた結果であるのは確かです。

子どもたちを見ていて思うのは、
子どもは、本能的に 「自分を満たすことは、人に与えること」だと
わかっているような気がします。
今、不登校や引きこもりである子どもたちでさえ
惜しみなく親に愛情を伝え続けているのだろうと感じます。
暴れている子どもさえ
親に感情を取り戻させようと、身体を張って親に挑んでいるのだと思います。

本来、人は、他者と心を共有し、繋がり、たくさんの感情を
経験するように作られているのではないかと思います。
しかし、私たちは「個」というものを重視しすぎてきました。
「個」を重視しすぎるあまり、
世代に受け継がれてきた美しい流れを断ち切り(人と人との分断)
細切れにして、「自分だけのもの」にし過ぎたのでしょう。

「自分だけのもの」は、やがて「家族の閉塞感」、1人1人の「心の閉塞」となり
人の本能や感情を閉じ込めることになってしまったのでしょう。


私たち大人には、次世代の子どもたちに、
失わせてしまった本能、感情を再度伝えなおさなければならない義務があります。
そして、子どもたちには、本能と感情を取り戻す、権利があります。
それらを子どもたちに取り戻す事が出来るのは、
「お母さん」と呼ばれる人がキーマンだと息子は、知っているようです。

彼の文章に、「自分が可哀そう」とか恨みがましい訴えはありません。
自分が失った時間を後悔している姿も無いと感じます。
彼が苦しんできた20年は、これから出会う誰かと分かち合う20年に変えていける。

これからも、そんな人生を歩いてくれる気がします。
たとえ、今の彼女に振られる日がくるとも(笑)

  


子どもたちは、こんなに真剣で、一生懸命なのに、
大人たち「~された」「~してくれない」ばっかりで、恥ずかしくないのって
そんなことも、ちょっとだけ思ってくだされば、記事を上げた意味もあるってもんです。

| 不登校 | 05:08 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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受け取る

いつ死ぬなんて、誰にもわからない。

だから、精一杯心を込めて、伝えてみたらいいんだよ。


だから、心をまっすぐにして、受け取ったらいいんだよ。


相手に 伝わるか、伝わらないか

受け取るか、受け取らないか

そんなことは、どっちだっていい。


気がついたら、いつか言えなくなってしまっていることが悲しい

気がついたら、受け取れない自分になっているのは、もっと悲しいね。



プライドを越えて、人と人をつなぐ言葉

「ごめんね」

「ありがとう」

あなたの生き方を子どもたちは、じっと見ているものなのだよ。

恥じない生き方を選択して行きたいね。

| 雑記 | 03:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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予告(^^)

元不登校経験者、となりん(息子)が、どや記事を書いているので

次回、ご紹介しながら、

リレー記事を親子で書いてみたいと思います。



お楽しみにね。

| 不登校 | 18:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【AC】なぜDVになるのか

非常に、残念ではあるのですが、

たとえ、夫がモラハラであろうと、アルコール依存症であろうと
ギャンブル依存であろうと、DVであろうと
その子どもは、必ずACになるとは限らない。

経験上、父親の子育て中の子どもへの影響というものは、
それだけでは、あまり無いような気がする。

「グータラで、しょうがない親父だ」

とは、思うのでしょうが、大人の複雑な事情など、人生経験の少ない子どもには
理解不能なところも手伝い、少々暴力的であっても
「手のかかる父親」というイメージを持つだけのこと、
それだけであるような気がするのです。


たとえば、もし、夫のDVが理由で離婚し、その別れたDV夫が、再婚した場合
また、DV夫になるか・・・といえば、ところが、そうとも限らない。
むしろ、仲むつまじくやってる場合がよく見られたりします。

ということは、DV、モラハラという状態は、
お互いの関係性の中(共依存関係)で作られるということを示しているのではないか?
と考えてみるほうが、解決しようともがいている方たちのヒントに多いになるのではないでしょうか。


このことは、多くの妻という立場の方には、すごく納得いかない話になるのかもしれませんね。

「そんなはずは、ない!」
あの夫からは、言葉の暴力も受けたし、殴られもした。
私を家政婦のように扱い、大切にしてくれなかった。
私は、長い間、散々我慢を強いられもした
という声もあるかもしれません。

が、この「我慢した」という状態がポイントかもしれませんね。

「我慢さえすれば、うまくいく」

私が我慢さえすれば。。。

もし、奥さんの「我慢できない」ゲージが、普通の人よりかなり高い場合、
夫の言動のあらゆる所が気に障り、地雷になり、
過去に傷ついた慢性的なフラッシュバックが起こり、相手を受け入れる容量が少ないと
考えてみたらいいかと思います。

そうしたら、
妻は、夫に対して、我慢に我慢を重ねて、爆発、あるいは、八つ当たり、
皮肉を言葉に含ませる、という行為を、重ねていくのではないでしょうか。

この行為には、「私のことをわかってよ」という訴えが含まれます。

しかし、夫側としては、妻の我慢も、地雷の存在も、爆発も
一体、何が妻を怒らせたのか、さっぱりわからないわけです。

このゲームが何度も繰り返されていくうちに、次第に夫側も妻のゲームに巻き込まれ
お互いに、憎しみと怒りの感情に巻き込まれていくのかもしれませんね。
そして、妻は、夫がDVを行うことによって
より、一層、「我慢している私」「可哀想な私」をアピールできるようになります。

アピールとは、ひどいことをされている私、可哀想な私を前面に押し出せる
自分に許された唯一のチャンスでもあり、最大の復讐なのでしょう。

では、どうして妻は、そのようなことを夫にしなければならないのでしょうか。

妻が一番自分の気持ちをわかって欲しいと願っているのは、
じつは、自分のお母さんだったのです。

幼い頃、お母さんの言動、雰囲気、顔色を伺う事をし続けた結果、
他者の言葉や行動に、異様に繊細になるということになったのだろうと思います。

その行動パターンが、夫にシフトしただけのことなのだろうと思うのです。


以上のことをふまえて、
次は、ACになる、ならない分岐点について、書いてみたいと思います。

| AC | 00:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【AC・不登校】偏ったこだわり

人間というものは、

あまりこだわらないところがあるかと思うと、

自分のこだわりをとことん追い求めていくところもある・・・

そんなものだろうと思います。


問題は、こだわらないところと、こだわるところの強度、と

比率のバランスでしょうね。


しかし、それが、自分ではわからない。

これは言い切っていいかと思いますが、1人では、わかんないんです。

こだわりは、信念となっているので、強く信じて疑わないわけだもの。



もし、どこかの某独裁国の首長に、「あなた、ちょっと偏ってますよ」と

進言したところで、頑なに拒絶されたり、

怒りの犠牲になり、脅され、排除されてしまいます。


家庭も、ある意味独裁国に、なりえます。

いえ、私ひとりが我慢し続けた人生と思われるかもしれませんが、

家族は、誰ひとり そうは思っていません。


独裁国の首長は、常におびえています。

自分のウソが暴かれることを・・・

だから、恐怖と不安を国民に与えて、真実から目をそむけさせ、

国民に隠し続けていきます。


もし、あなたの家庭で、

誰かが、慢性的に元気をなくしたり、人生に立ち止まってしまったり

感情を失って、下を向いているとするならば、

家庭でも同じことが起こっていると考えていいかと思います。



人間関係でも

自分が一番の犠牲者であると・・・もし、心密かに、

そう思いこんでいるならば、気をつけてください。


こだわるところと、こだわらないところ

それが、もしも、相手を苦しめるものであるならば

緩めていきたいものです。


では、一体だれの進言を受け入れるのか?

人を遮断していたら、恐ろしすぎて、誰も進言なぞ出来はしませんね。

「これを言ったら怒るよね」と自分に相手が遠慮(配慮)をすることが

すでに、本音で付き合えない位置を示していると思います。


遠慮されず、配慮されない関係が人の許容量を広げさせることになるでしょう。

人との関係こそが、自分のこだわりを壊すハンマーになるでしょう。


かわいそうな私・・・

実は、自分で作り上げた虚構の自分の姿。

裏切られた・・・

こだわりの強さがあればあるほど、裏切られたと思う回数、大きさはエベレスト級。

裏切られた私も、かわいそうな私も、自分が作った幻のようなもの。


しかし、それを突きつけられた時

当人のショックは、生半可ではありません。

ガラガラと、今まで信じて疑わなかった人生が崩れていくように感じます。

だから、こだわりが強ければ強いほど、

人との関係を遮断していくものなのです。


しかし、不登校・生きづらさが家庭にあるのならば、

自分のこだわりを、手放す時がきたのではないでしょうか。

あなたの虚構のこだわりのために、子どもたちが苦しんでいるとするならば・・・

| 不登校とAC | 15:50 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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