アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

| PAGE-SELECT | NEXT >>

>> EDIT

未来予想図~補完~【不登校】

少し前に、とある会の
引きこもりの子どもたちを持つ親の会に
行ってきました。

御両親たちは、引きこもる我が子のことを憂いていらっしゃいました。

と、書いてはウソを書く事になります。。。ごめんなさい


かと言って本当に感じたことを正直に書けば
傷つけることになります。


代わりに10年ほど前に
かつてわが子が不登校になった時、2箇所訪れたことのある
不登校親の会のことを書いてみたいと思います。

不登校親の会・・・1箇所目

独特の閉鎖的な雰囲気を感じたものでした。
同じ悩みを抱える親同士、
一般世間から外れてしまった我が家、そして
どうしてこうなってしまったのだろう・・・

一般を寄せ付けない
親たちの嘆きで満ちあふれ
その重苦しい場所で
そっと呼吸をしている
そんな雰囲気を覚えています。

主催者の数名は、不登校から引きこもりになっていった
二十歳過ぎのお子様のことを
長年の戦いで
自分たちの居場所はここしかないのだと諦めている
奇妙な腰の低さと
丁寧でありながら
その目は誰の存在もなく
どこか遠くを見つめておられる

そんな印象を受けました。

10年前の私は
本能的に、そのメンバーがみせてくれる姿は
やがてくる未来の我が子の姿になるのではないかと
恐れおののきました。

同時に、会そのものが持つ
空虚さが
私自身の空っぽの心を具現化していることにも
恐れを感じていたのだと感じます。


絶望、あきらめ、しかたない、
子供が動くまで待ちましょう

それは、私の両親の姿であり
私のこれまでの嘆きの生き方そのものでした。


そこは、不登校初期の頃1回で行かなくなりました。

しかし、あの独特の嘆きの場所に取り込まれたくないと思わせてくれたことは
私にとってはいい刺激になりました。

もう一つは、民間のカウンセラーが運営している親の会の講演会でした。

そこは荒削りではあったものの親も子も前向きでした。
一言で言うとポジティブ

不登校を脱したであろう親子のリレー発表がありました。

後から来た人に希望を伝えることで自分たちが前にいける
そのオープンさ
親たちだけの活動ではなく
子どもたちも活発でした。

親たちと子どもを連携させる、カウンセラー、療育者たちの細やかな
支えがあったのだろうと感じます。

私はこちらの方に希望を抱きました。
しかし、おそらく、ここでも親の問題が根深いところは脱落していく人も多いだろうと
そんな気がしていました。

二つの対照的な会でしたが
不登校初期の私には
その後のコンパスの指針を貰った気がしました。

その後・・・紆余曲折あった末に
子どもが定時制高校で少しずつ元気になってきた四年後

ふと、前者の親の会に足を運んでみました。

四年ぶりに訪れた会は、
時が止まったように、
四年前と同じままでした。
誰もがそこにとどまっている
嘆きの場所として、閉じた
静々とした場所であり続けていました。

メンバーも数年前に見た方も多かった。

それだけを確認した私は
会が開かれているビルを出て
都会の喧騒の中に戻り、
なぜかほっとした感覚を覚えています。

数回の中で
たくさんの親子の未来予想図を
見せて頂いた。

良くも悪くも、その時のことが頭に残り続けたことは
先の私の方向性を
自然と決める時間にもなったのかもしれないと、そんなことを思う

私はたくさんの遠回りをしたけれど・・・


未来は変えられる

今、変えようと思った瞬間に

未来は変わりつつある

目にしたこと

耳にしたこと

肌で感じたこと

覚えておいて欲しい


そして、死ぬくらいの思いで

これまでの陳腐なプライドを捨て

行動する勇気

きっと、いつか

本当のプライドと希望を手にするだろう

そのプライドは

暖かさと厳しさを持って

誰かを守る力に変わるだろう

そしてきっと誰かの希望になるだろう

りんりん

| 不登校とAC | 11:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

子供のパニックに巻き込まれない【ACと子育てと】

つい先日のことです

大学4年になる息子が夏休み帰省していました。

息子が帰省すると、

とにかく、食費やらガス代や水道代、電気代が軒並み跳ね上がる(笑

ケチって言ってるわけではなく、事実なんで^^;


と、それはさておき、

大学に戻るという最後の日に、

やっと、家族全員の日程をそろえて、焼き肉を豪華に食べにいこうと

なっていました。

子どもも大きくなると、なかなか全員そろうっていうのがなくなるのが普通なんですが^^;



んで・・・当日その時間前

帰宅準備を済ませた・・・はずの息子がパニックしている


「通帳がない!!!」

なんの通帳なのか、説明を聞いてもさっぱりわからない

息子は、探しても探しても、どこにもない「通帳」に、頭が混乱している状態

しばらく、一緒に探しながら、どんな通帳?かを説明してもらったが

要領を得ない・・・(^▽^;)

私が、さっぱりイメージができないのです

段々、こちらも混乱してきて、いらっとしてきたのを感じてきて

*まあ、お決まりのアレ=( ・_・;)⇒ アレですね

「ちゃんと、管理しとかないから」
「どうして、もっと早く気づかないの」
「きちんと片づけておかないから」
「こんな時に迷惑かけて」
という、大魔王の責め責め

あはは(^^;)
これで、昔はよく子供を責めたもんで(滝汗;

娘は、この雰囲気に怯え、イラついている→息子に威嚇モード

息子は、両方からの威嚇に、パニックのフラバ起こしている

実は、これは昔の幻影におびえている子供たち

昔であれば、息子が悪者になり、

娘は、私の片棒を担いで、余計配列を強める

このパターン、なじみの感覚

私はそこに入っている子供たちをよく観察できた

昔と違って、私には時間の配列も、息子を責めるというフラバも、

娘を共犯者にするというルートはなくなっている


全体の状況を感じて、

さて、このパニック状況をどう打開するか・・・・



「とりあえず、焼き肉食って、それから考えよう~」


息子は、「ええ~っ」と疑い深く反応していた。

「いいよ、2人で行ってきて」

しょんぼりと自虐パターン

パニックから焼き肉に行く気分でもなくなってきているのは、よ~くわかる

が、ここが自力のつけどころと、昔のパターンから抜け出すチャンスでもある


「まあね、気分でないのは、よくわかる。

けど、お腹すいた状態で、パニックおこしてもなんも浮かばんよ。

食うものたべて、それから一緒に、記憶をさかのぼったらええよ」

「なかったら、なかったでいいから」


んで、しぶしぶで不穏な空気の子供たちをつれて、焼き肉いきました。


息子さん、あまり食欲なさそうに・・・

まあ、とりあえずたべなされと 笑

ほどよく、食べて落ち着いた頃

「さ、ゆっくりさがのぼってみようか」と

息子の記憶を、ひとつひとつたどる

息子は、飲食店に入っているので、パニックは広がることなく

維持している状態

ビッグバンしている状態では、怯えとフラバでなにもかもが覆い尽くされているので

とりあえず、この状態は脱したというところ。


ひとつひとつ時系列で欠けたところを、じっくり質問していく

まず、形状のイメージ化

それを一致させる


なるほど・・・やっと、聞きこみして、深い緑色布地の通帳入れだということがわかった


何が入っていたの?

それを最終に使用したのはいつ?

スマホのカレンダーを見ながら、さかのぼる息子。

そして、あの時は、手に持ってた

そして、どうした、こうした

以下略・・・

その時は、言葉の中に言い訳はなくなり、記憶の事実だけを集中しておいはじめた息子



あっ


出てきた


車のシートの下に置いた~


記憶がよみがえる瞬間


おぼろな無意識の行動が、意識化され

イメージ化されていく


それ、決定~


ということで、

「あ~、わかったら食欲でてきた。食べ物の味がする!!」

と、再度もりもり食べ始めた。

元気がみなぎってくるのがわかる。


悲しい過去からひとつ解き放たれた



頑張っておいで


そういって、駅で別れた

「うん」と手をふって、笑いながら元気に出かけていく息子


がんばれ

心で再度エールを送る



与えたハンディは、大きい

奪ったのは私

娘も息子も、傷ついた

失ったものを取り戻す作業は、地道で長い・・・・


覚えている人がいること

一緒に、探してくれる人がいること

その連続で、子どもは少しずつ自力を取り戻す



無かったことにはしない



| 不登校とAC | 11:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

暴れる子ども~暴言、物を投げる~

検索でこのブログに来られる方も、かなり多いと感じます。

その検索ワードの傾向性のトップにくるのが、
この題名の「暴れる」というキーワード
次が、お風呂に入らない


子どもが暴れる・・・物を投げつける、暴言を吐く、
そういったことに困っておられるお母さん方が多いのでしょう。

我が家もかつて、壁をたたいたり、やみくもに怯えて暴れたりを経験していますので
その大変さはよくわかるのです。

といっても、その解決方法がすぐに見つかるわけでもありません。
手っ取り早く、子どもに刺激を与えないよう、
お母さんは静かに息をひそめて、子どもさんが不機嫌にならないよう
先回りして、

「ね、ね、暴れないでね」

と、卑屈になって、子どもの不快を取り去るよう、
先回りをしていらっしゃる方も多いのでは?と感じます。

しかし、それで、物事は解決するのかというと・・・

しないんですね。

一時期は良くなったように見えるんですが
あっと言う間に、また、定期的に暴れ出すという
周期があると思います。
この周期は、まるで、ミニDVのように発生します。

ハネムーン期⇒少し不機嫌になりはじめる時期⇒暴れる⇒泣く、反省、弱音を吐く⇒ハネムーン期

なぜこのような繰り返しが続いていくのでしょうか。

子どもが暴れるには、暴れる十分な理由があります。

ハネムーン期では、表面は穏やかですが

子どもは、かなり無理して、お母さんに合わせようとしている時期です。

そこで、我慢が起こります。

お母さんは、子どもの内面を知らず、ほっして、
今度こそは、いい子になってくれると期待します。

その期待が・・・子どもにとってはとても重いのです。

子どもたちは、暴れるようになるまで、15~6年の月日をかけて、
親と子のズレを感じてき、
そのズレを、うまく言葉で表現できない・・・苦しさをかかえてきたこと

その成育歴で与えてきた、何度ものお母さんからの「がっかり」と「矛盾」に
子どもの心は、折れてしまうでしょう。

誰が好き好んで、暴れる選択をするでしょうか。

だれが、大好きな親の前で、狂気をあらわにしたいでしょうか。

しかし、こどもたちは、それほど追いつめられているのですね・・・


もう、無理だ・・・お母さんの思う通りの人間にはなれない
私には、何もこれ以上、お母さんを喜ばせることができないんだよ

もう、無理なんだ
わかって・・・

そういった悲しみと怒りがいりまざったものが、
たまりにたまって、爆発した状態が、暴れるという行為になっただけです。

しかし、当の親側は、自分は普通に接して、普通以上のことを
子どもに与えてきたのに、訳が分からずにいます。
子どもが暴れる理由がわかりません。


ここですこーし、視点を変えて、反対にお母さん側から考えてみましょう

お母さんの交友関係で、友達と激怒、大ゲンカ・・・もしくは、関係を断絶したこと、ないでしょうか。
こういったお友達との泥沼の経験、なかったでしょうか?

そして、もし、あるなら、こう思ったはずです

「あの人は、私のことちっとも分かってない。分かろうともしてない」激怒プンプン
もう二度と、顔も見たくない
そうやって、関係を切ってしまった人はいませんか?
案外と子どもの気持ちは、これに近いものがあるのではないかと感じます。


一生懸命相手のために、我慢し続けたのに、
(私だって、こんなに我慢したのに)
もう、これ以上、無理だわ

一生懸命、相手の心にそって、頑張って無理して合わせたのに
なんか、むくわれなかった・・・

そういう気持ちに似てる気がします。

しかし、親子と友達は付き合いの深さが全然違います。

深さが違う分、ややこしいことになるのではないかと思います。
子どもは、いつもいつも、親から愛されようとします。
自分の意思を曲げてでも。

かつてのお母さん自身も、そうだったはずなんです。
(忘れちゃってるけど)

でも、子どもたちは、自分の意思を曲げるのも限界がくるのです。。。

子どもの暴力、暴言。。。

これが、数十年言えなくて、我慢した爆発。

これが、お父さんに向くとなると
かなりお母さんが高度に、お父さんと子どもを遮断しまくった結果ということもあったりします。
無意識の子どもは、お母さんから操作され、お父さんを敵だとみなして
そこで、自分の本意ではない暴言をお父さんに向けて吐かせられることになります。

こういうパターンも、割に多くみられます。
このばあい、目安となる言葉があります。

「夫は、発達障害です」「夫はACです」というお母さんたち・・・
かつて、私もそのように思っていた時代もあったわけですが^^;
そんなことはちっともなくて、
私が変な人間だったということが、ただひとつの真実です。

ブログ記事ひとつで、子どもの暴力の全てを言いあらわせるものではありませんが

世にいう、重たい母(過干渉、過保護、お花畑スピ、人間関係の遮断、かわいそうで頑張ってる私を見て症状)
子どもさんに、やっていないかチェックしてみてください。

私たちは、物質次元の現実に生きているのです。
子どもたちも、しっかり地に足をつけて現実で生きていけるよう、送りだしていきたいものです

| 不登校とAC | 17:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【不登校本出版します】7月14日発売

この記事は、トップ記事に置きます


本表紙ブログ用   本裏ブログ用


目次・内容抜粋

序 章

第一章 親が変われば子どもは変わるの?

第二章 わが子が不登校になった日
   ・子どもに揺さぶられる親
   ・親の状態が不登校を長引かせる

第三章 「不登校っていったいなんだろう」
   ・不登校が起こる家庭の二つの特徴
   ・お母さんはアダルトチルドレン?
   ・家族をバラバラにする仕組み

第四章 長引く不登校
   ・不登校やひきこもりが長引くプロセス
   ・長引かせる親の7つのパターン

第五章 回復ってなんだろう?

第六章 歩いていこう~回復への道
  みなさんの寄稿文が書かれています
   ・自身の不登校を経験して、今思うこと (当本の”我が子”です)
   ・現在、セッションを受けて下さっている皆さんからの現場からの声
    
最終章 りんりんからみなさまへのメッセージ



監 修  きんたろう
著 者  柊 りん(りんりん)
執筆協力 坂本美登利
イラスト  あいちん
 図    けい

**********************
本のご注文は各地の本屋さんか下記アマゾンにて御注文ください
題名「わが子が不登校になった日」
著者名 柊 りん
出版社名 木星舎
価格:1800円+消費税


アマゾンからの御注文は、こちらからです

新聞広告予定 7月23日  朝日新聞夕刊 一部朝刊(あくまで予定です)

****************************

| 不登校とAC | 16:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【メンバーさんへのお知らせ】シフト送付しました

本日、シフト送付しました。

えらく遅くなってしまいました。

かなり悩みに悩みまして^^;

やっと、「こんなん、出ました~」みたいな感じです。


7月も、どうぞ、よろしくお願いします。


後、請求メール送付がオフ会終わった頃の週明け8日くらいになりそうです。
振り込み期限日数が、9日~12日3時までの4日間なので
今月は、非常に短くなります。
お忙しいところ、大変ご迷惑おかけすると思いますが
どうぞ御協力お願いします<(_ _)>

| 不登校とAC | 15:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

AC思考のベースにあるもの

心の防衛1


上の図は、ACさんの基本思考を図にしてみました。


黄色は、社会、他者だと思ってください、


中心は、「私」


何を言いたいかと言いますと


ACさんの生きづらさの根本にあるものを図にしてみたわけですが


「私」さんは、いつも自分だけが、他者から理解されないと考えています。


人と違和感があるのも、傷つけられるのも


人から拒絶されるのも、意地悪なことを人から言われるのも


信号機が赤なのも、渋滞に巻き込まれるのも


トイレに行きたくなるのも


全部、相手(まわり)が「私」の存在を否定している、理解していないという


ベースで生きています。



え、こんな酷いことしてる?って思った方


そんなことは、ない


私は、親からひど~~いことをされた!と思った方 


実は、その極悪非道の親と自分の長年の共同作業で


このベースを作っちゃったんですね。


びっくりして、ぽっくり逝きそうになること、書いてますが( ̄∩ ̄#




この図は、ACの人からみたら、ごくごく自然なのですが、


実は、一般的な方向からみたら、


実に摩訶不思議な世界なんです。


こんな思考ってあるの?ってくらいの落差があります。


んで、理解されない人たちは、訴えたくらいじゃわかってもらえないと


作戦を練ります。



そうだ、病気になろう!


そう無意識に決意して、自分が非常に繊細で悪くないことを証明したりします。


(怒らないでね、私自身の経験からです^^;)



好きで病気になったわけじゃないってお叱りを受けそうなので、


先にとっとと謝っておきます^^;




んで、この絵をじ~っともう一回見てください。


「私」から発しているのは、


自分が被害者であるってことの状態しか無いのです。


相手が悪い、相手が悪い・・・


「あなたと共感できないわ」


「無理」


「あの人があんなことするから、言うから」



この状態、、自分が被害者に一見見えるのですが・・・



実は、ちゃうんです。



自分が、相手とのコミュニケーションを最初から拒絶しているんです




誰も自分のことを分かってくれない(主観的思考)のは、




実は、相手の問題ではなくて、自分の問題なのですね。




拒絶しているのは、自分




それでも、あなたのせいで、私は平静でいられないんですってことも




まれにはあるでしょう。




あの人とは、気が合わないとか、




反対に、迷惑かもしれないとか、私なんかおこがましいなんて




よく表現しますが、










元々に、人に合わせる気がない自分を意識した方がいいかもしれません。







もしかしたら1000人に1人くらいは、極悪非道の人がいるかもしれませんが・・・







【今日のまとめ】




AC的ベースに




「自分が人を拒絶しているんだ」ということを




頭の隅っこにおいてみたら、いいかもしれません。




自分から歩み寄らないと、コミュニケーションは難しいものです^^



これは、子どもとのコミュニケーションも同じことです。




子どもの気持ちに添う、気持ちを理解するということは




「私」が、子どもを拒絶している状態では、子どもの気持ちを分かるということは




非常に難しいことだと感じます。




結局、拒絶するということは、




他者と共感すること自ら閉ざしているということになります。



| 不登校とAC | 11:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

同じ悩みを持つ方たちのサークルへの参加のすすめ

不登校や引きこもり、アダルトチルドレンもそうですが、

回復していった方のブログを読みながら、

その方向性を考えます。


1.自分で仲間を探す(同じ場所だけではなく、多種多様な場所をお薦めします)

2.自分で色々なコミュニティに参加してみて、気の合う人を探す

3.自分で行動してみる



この3点は、かなりポイントが高いと感じます。


そして、


4.自発的に、自分なりに考えたことを言葉や文章でこまめに表現する


ということも共通ではないかと感じます。


間違ってもいい、自分の意思を持つことが

後の色々な場所での交流につながり、自分を広げ、

変化に必ずつながっている気がします。


こんなことして、誰かに変だと言われないか・・・・

変に思われないか・・・

無難に、無難に、読み逃げだけ・・・・

もしかしたら、こちらが一番やっかいなのかもしれません。。。



どんどん、当たって砕けて欲しいと思います。

他所のコミュで知り合った方たちとオフ会、してもいいと思います。


本気で変わる気があるなら。

他力本願では、閉そく感だけが、積もっていきます。

砕けた分だけ、自由になると感じます。


(余談)

昔、ミクシーで不登校コミュに所属していたとき

近所の方と数人知りあって、何度か会っています。

たまたま、息子と同じ高校であったりしたので

ファックスのやり取りもしたことも。

入学式の時、時間が合わなくて、残念にも会えなかったり
(う~ん、会いたかったなあ、ろ●ひーさん覚えてるかな)

楽しかった思い出です^^

今度、11月に、近所の○○パークの祭りにフリマ出すって、

○○さんがブログでつぶやいていたので

懐かしい人に、会いにいくよ~と思わずコメント。

何年ぶりでしょ^^

娘さん、元気に好きな学校に入学できた様子もブログで知っていたのですが、

おめでとうを言いそびれてしまってました。

ささやかな、楽しみごと。

| 不登校とAC | 16:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【アダルトチルドレン】アダルトチルドレン家庭の不登校

ややこしい題名です。

アダルトチルドレン、元々の正式名は「子どもの頃にアルコール依存症の家庭で育った大人」

という意味で、昨今では、家庭内で子供らしい感情を出せなくて、

大人になって生きづらさを抱えている人 という捉えられるようになってきました。

総じて、ACと言われますが、

誤解されやすいのは、「AC」はその人そのものを表すものではなく、

生きづらいと感じるように育った幼少期の環境があったという事実を

示しているだけなのではないかと思っています。


ややこしい話です^^;


医療用語ではなく、自分がACだと感じれば、そうだという

超あいまいなものです。


たまたま、私の場合は、不登校以前の20歳くらいから生きづらさがあり

子どもを産んでから、非常に緊迫した精神状態が長く続き、

30代前半で、AC自覚をしたのですが・・・

アファメーションや回復ノートなどをやってはみたものの

さっぱり手ごたえを感じることがなく、苦しい氷河期がずいぶん長い間続きました。

思えば、すごい精神力・・・耐久力だったのでは・・・^^;;


不登校になって、子どもを治そうとする中で

同時に自分への疑惑もかなりありながら

同時並行の手探りで、やったところもあります。


そして、ネットが定額制になった頃

(昔は、定額制などなくて、使った分だけご請求という時代だったのです
油断すると恐ろしい金額になってしまうので、あまり長時間出来なかった)

ネット情報が、爆発的に普及し始め、

同じように、AC的な生きづらさで苦しみ、

子育てに行き詰ったお母さんたちとの交流が始まり

本当に救われる思いでした。


そこで分かったことは、私たち母親が十分に気持ちを受け取ってもらっていなかった幼少期が

子育てや家庭、対人関係に影を落としていることをお互いに学びあった気がします。

そんな歴史から、ACと不登校の関係を考え始めたわけです。

恐らく当時、40代後半の方がほとんどで、

自分に対して深い問題意識を持っていた方が多かった気がします。


最近の不登校の家庭の傾向としては、

先に不登校があり、それから自分の生きづらさに行きつくまで、

かなり時間がかかるか・・・

あるいは、気がつかないまま、子どもだけの不登校に取り組まれているか・・・

というパターンが多い気がします。(あくまで私見です)


これは、恐らくスクールカウンセラーの配備というのも

影響しているのかもしれません。

スクールカウンセラーに子どもを任せたら、大丈夫、みたいな感じでしょうか。

スクールカウンセラーが、親にまで入り込んで

カウンセリングが出来るか?というと役割上、難しいところだと思います。

スクールカウンセラーの役割は、

学校や医療機関と子どもをつなぎ、子どもを復学させるという位置づけです。

その役割を越えて、なかなか親の内面には手を出せないということもある気がします。

また、親の方も「任せているから」という課外授業的な気持ちもあり
(実際、SCを受けると、出席扱いになります)

お任せ的な気持ちを余計長引かせてしまうという一面もあるかもしれません。
(SCには、SCの役割があるので、良いとか悪いとかを言っているのではありません)


不登校問題が発生した時に、母親の内面まで行きつかれた方は

ほんとに、勇気ある方たちだと感じます。


SCから、医療機関に繋がれ、困った医療機関は、

色々な症状名を付けざるをえないという

てんやわんやの状態の過去10年の間に

OD、小児うつ、睡眠障害等、適応障害、などなど

病名をどんどん作りだしてしまったのではないかと感じます。

そして、病名別に特殊な世界を作り上げる。

宗教化しているのではないか・・・とさえ感じています。


私の言ってることは、ある意味

精神医療への冒涜なのかもしれません。

間違っているのかもしれません。

しかし、誰かが口にしなければ、また新しい流行り病名が作られていく

危うさを感じています。

また、数は非常に少ないのですが、

同じような危機感を持っていらっしゃる存在に出会ったら

安堵する思いがしたりします。

大切なのは、病名なのか、それとも人の心の本質なのか・・・

問いをなげかけていきたいと思っています。


しかし、医療への挑戦は、誰もが納得する心の的確な理論の構築が必要だと思います。

ネット全体を見渡せば、それは今、始まったばかりのような気がします。

そして、私たちもまた、100年先に通用する

誰にでもわかる心の仕組みを探し続けていっているところです。

| 不登校とAC | 15:53 | comments:9 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【アダルトチルドレン・不登校】自分の意思を決めることを妨げているもの

いつの間にやら、8月も終わりに近づいてきています。
既に学校が始まっている地域もあるでしょう。
不登校のお子様をお持ちのご家庭は、
子どもさんが、今学校へ行ける心の状態であるのかどうかを
見誤らず、焦らずに過ごして頂ければと思っています。

お子様の「心の状態」と「表面に出ている状態」は、違うことが多いと感じます。
お母さんの心の状態をフラットにして判断する必要がありそうです。

*あなここでは、お母さんの心をフラットにしていくお手伝いをしています。


今日のお題・・・「決める」ということについて考えてみたいと思います。

何かを選ぶ時、人は自分の基準で、物事を決定していきます。

しかし、決めるという作業の時に、選ぶという状態があるかと思います。

行くか、行かないか。アイスか、かき氷か。

牛丼か、天丼か。

電話をするかしないか。家を買うか、買うまいか。


生活のあらゆる所で、小さなことから大きなことまで

「選ぶ、決定」するということを私たちはしていますね。

その時、どっちにしようか??と迷ったり、悩んだり、苦しんだりすることを

心理学用語で「葛藤」と言います。

「葛藤」の状態にはいくつかの理論上のパターンがありますが

あなここでは、心理学用語を出来るだけ使わずに説明することを行っています。

心理学用語を使うと、あたかも分かった気分になってしまい

用語に症状を当てはめて終わってしまう(安心してしまう)ことを恐れます。

「AC」という言葉も、便宜上で使っているだけですので、
「生きづらいと感じている人」「親と上手くいかない人」
「人間関係がうまくいかないと感じている人」「子育てが難しい」などを
簡単に表す言葉だと思って下されば助かります。
自分が「ACであるのかどうか」に捉われる必要も無いと思っています。
また、実際の当人の悩みと、症状名である「AC」や「発達障害」「うつ病」「アスペ」なども、
かけ離れている場合もまた多いと感じています。
あなここでは、生身の人間としての苦しい状態を
良い方向になるよう、共に考えていくだけです。


「事件は、常に現場で起こっている」ってことです(笑)


さて「決める」に戻ります。

物事を決める際の葛藤の状態をちょっと考えてみました。


①やりたい

②やりたくない


多くの場合の葛藤のベースはこれだと思います。

しかし、このシンプルな事を「自分で決める」ということが意外に出来ない方が

多いと感じます。

出来ない・・・というより、それ以前の問題で

そもそも、自分の意思がよく分からないという状態があります。

この不可思議な現象が、一体なぜ起こるのか、

可能性として、考えてみました。


①親の過干渉によって、自分で決める練習をする機会が無かった


②自分で決めた事によって、嫌な体験をした




①の場合は、身近なところから自分の意思を決めて行く練習を地道にしていくことが必要だと感じます。
自分で決めていいんだ、という体験を積むってことですね。

例:今朝の朝食は、パンがいいか、白ご飯がいいか。
  (家族は、どっちが好みだろうという決め方ではなく
   自分はどちらを食べたいのだろう、と考えていくのがポイントです)

しかし、たったそれだけでもかなり抵抗が起こるのですね。
決められないには、決められなくなった背景というものが存在していると感じます。


それが、②という状態ではないかと感じます。
主に、幼少期の体験がベースになると思ってください。

例:習い事を始めたが、段々嫌になってきた。

子「やめたい」

母「途中で投げ出したら、ろくな人間にならない」
 「自分でやりたいと言い出したんでしょ」

子「だって、先生が厳しいんだもん」
(自分は行きたいが、先生が厳しいということで自己防衛の言い訳)

母「あなたは、何をやっても続かないのね。夏休みの宿題だって、いつもそうだわ
  あの時だって#%&#&%×△□ 」

子「・・・」

子には、やりたいという意思は持てても、

やめるという意思は存在してはいけないことになります。

そうすると、何かをやり始めることが、止められないのだという

恐怖を呼び起こすようになっていきます。


子は自分の意思を出すことを恐れるようになり、

「やめたい」という自分の意思よりも、もっと辛い状態の

母親の延々と続くお小言の針のムシロから脱出するために

「やらなければならない」という結論を得ることでしょう。


この繰り返しによって、子は、自分の「やりたい」「やりたくない」という意思に付随してくる

母親の責める、泣く、無視、怒り、から逃れるために

「ねばならない」と自分を納得させるしかなくなるのだろうと思います。


やがて、大人になっても、思考の癖として、

何かを選択したり、決める時に

主軸に「ねばならない」=「~~しないと、○○と言われる(思われる)」ということが

ベースを占めることになります。


この連続性の中で

例:「ほら、みなさい。お母さんの言った通りでしょ」

何かをやりたいと選択し、失敗した時に

このような言われ方をしたら、

自分で決めること=失敗する=ダメな自分

という流れが、自分の心に刻まれていくことでしょう。

成功体験もあったはずですが傷ついた心が深いほど

成功体験はかき消されて、ダメな自分がクローズアップするのではないかと感じます。

自分を守るために、次第に自分で決めることを恐れていくのでしょうね。



子どもがどろんこ遊びをして大きな山を作っている時に

途中で、崩れてしまって泣いてしまった時があるとします。

もし、夢中で何かをやって、失敗した時

「よしよし、頑張ったんだね、上手くいかなくて悔しいんだね」

と悲しい気持ちを存分に受け取ってくれる存在があったならば

ダメな自分も、受け入れることが出来たのではないでしょうか。



以上のことを不登校の子供の状態に重ねてみます。

学校へ行きたいのか、行きたくないのか、

それとも行けないのか、という問題が発生するとき、

自分で自分の気持ちを決められない状態であるかもしれないと

考えてみてもいいのかもしれません。

自分で決められない成育歴があったからこそ、

終わらない葛藤で苦しんでいるのではないかと感じます。


子どもたちが「学校へ行かなくちゃいけなんだ」「働かなくてはいけないんだ」

「このままじゃ、だめだ」と考えている時、

子ども自身の意思なのか、成育歴から強迫的にそう思っているのかを

分けて考えた方がいいかもしれません。

もし、子どもたちが 強迫的に思っていることであるのなら

子どもたちから奪った意思を、返していく所から

始めなければならないのではないでしょうか。

どうやって?

それはセッションでお伝えしています^^

| 不登校とAC | 11:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【AC】相手の気持ちが読めない不安

子どもは、思っているかもしれません。


「どうしたら、両親が気に入る自分になれるのかな」


と・・・



そうやって幼少時代を過ごした経験のある人たちは、

他者の気持ちを読み取り、

他者の気持ちにフィットする言葉を選んできました。


しかし・・・

もし、読みとれない人がいたら・・・

どうしても読みとれない!

なぜに読みとれない??


次に、確認作業をやり始めます。

「怒ってるの?」「私のこと見てる?」

確認作業がとれると、ほっとします。

依存症的操作的確認行動です。


そこで、確認が取れないと

何か問題を起こし始めるかもしれません。

怒ったり、いじけたり、泣いたり、落ち込んだり・・・


多くの人は、なだめたり、慰めたり、話しを聞いてくれたり

ここでなんらかのリアクションを起こします。


しかし、何も起こさない人もいます。



もっともっと不安になりますね。


今度は、証拠集めをしながら、心理的ゆさぶりをかけてきます。

さも相手が悪かったかのようにストーリーを組み立てるのかもしれません。

まるで、私を嫌いになれと言わんばかりに。

ある時は、私が悪かったとわけもなく謝ってくることがあるかもしれません。


さらに、へとへとに疲れて離れて行く人、

それでも残る人に振り分けられるのかもしれません。


辛抱強く?残った人たちは、さらなる心理的揺さぶりに対して、

「見捨てないよ」と言わされます。

もしくは、「別れよう」と言わされるかもしれません。

いずれにしても、シナリオはどちらも幸せにならない方向へと導かれます。


すべて共通しているのは、本人は何一つ動いていないという事です。

まわりの人だけが、動かされていきます。


いずれにせよ、相手の気持ちが読めなくて

操作をしてきた人たちにとっては、

「心が読めない」ということは、とても面喰う非常事態なのかもしれません。

心を読めない事への不安の種類に


・相手に調子を合せることができない

・嫌われるツボが分からない

・好かれるポイントが分からない

・言葉の方向性が何を指し示しているのかの、ニュアンスが分からない

・求められている事がわからない

・褒められることも、嫌われることもできない


次第に蛇の生殺しの状態に陥り、狂乱した心の状態になっていっても

不思議ではありません。。。





人の心を読もうとし過ぎて混乱していき、

やがて、自分の意思を失っていくのかもしれませんね。

この行為は、幼少の母子関係から引き継いでいる

心の癖ではないかと考えます。

ある種、恋愛依存症の仕組みに似ているのかもしれません。


参考記事:恋愛依存症と現代の母子関係【証拠を探す貴方に・・・】(byきんたろうさん)
↑↑記事中リンクも、続けて読まれたら参考になると思います。

| 不登校とAC | 22:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT >>