アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

・°☆”Core Rebirth あなここ”オフィシャルブログ☆.。アダルトチルドレン(毒親・機能不全家庭・コミュニケーション不全・喪失感・依存症)から失った自分を取り戻すブログ

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返事の仕方【不登校】

不登校記事、連打です。

先日のGS(グループセッション)で、相槌の打ち方の話が出ました。

「うんうん」「うん」

↑頷きの言葉ですが

案外と、返事しとけばいい的な

「うん」や

興味があって、しっかり聞いてるよ、受け取ってるよの

「うん」

いろんなバリエーションがあります。

その返された返事の
抑揚で子どもたちは
お母さんの内面を感じて

もっともっと、話したくなったり

もう、いいやと去っていったり

いろんな、態度を示すのではないでしょうか?

この「うん」の中にも、いろいろなコミュニケーションの伝達が行われているのだと思います。

特に、感情が薄いお母さんだと

「うん」にも、感情的抑揚を
入れにくいのではないかと思います。

かといって、大げさな女優になって
返事が上滑りして
内面と言葉が一致しないのも

これも、すぐバレてしまいます。


「うん」の返事ひとつの中には

大まかに分ければ

楽しい、うれしい~という喜びの伝達と


悲しいね、つらいね、
という悲しみの伝達があるのですね。

「うん」という言葉は、結構深いのです。

感情を伴った「うん」は
ダイレクトに子供に伝わっていきます。

案外と分からないのは、お母さん本人だったりします。

ちゃんと、返事をしてるのに…

どうして、子供から

「おかあさん、話を聞いてない」
と言われるんだろう

そんな経験のある方は、

他人がどのような

「うん」

を、使い分けているか

意識して、
見て、体感する練習も必要だと感じます。

返事ひとつで、子供が変わることだってあるのです。

「うん」に自信のない方、

コミュニケーションのうまい人の「うん」を意識してみるのもいいと思います。

反応があると、人は嬉しくなるんです。

どんなに気持ちが悲しくても、

ここにいるよって、

言ってもらってるようで

安心するのです。

それが、「うん」の役割なのだと思うのです。




| 不登校 | 17:42 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ガソリン切れ【不登校】

「見守っていきたいと思います」

「ガソリンが切れてるから、充電しているのだと思います」


うん・・・これは、よく不登校相談で見かけるフレーズです。

私は無責任アンサーと感じています。


見守ってて(つもり)、自然にガソリンが満タンになることありません。

もし、そうであれば、不登校や、引きこもりは、増えることもなく、

ゼロになるんでないでしょうか。。。

ところが、増え続けている現状があります。


では、ガソリンってなに?

私は、人とのコミュニケーション力だと考えます。

コミュニケーションで、「満足」する積み重ねがガソリンではないかと。


親子のすれ違い、ずれがあること

それがそもそもの、ガソリンが低下する大元ではないだろうか


ところが、多くの親たちは、

コミュニケーションを勘違いしている


さとし、教え、しつけ、一方的思考のおしつけ

新しい考え方、ぐうの根も出ない理論、

子供をねじまげ、

兄弟を比較して、分断し

閉鎖的孤立を作っているのは、家庭。

そうやって、意思を奪われ、領域を散々荒らされ、洗脳された子供たちが、自家発電で

ガソリンを製造できるわけもないと感じるのです。

その事実さえ隠ぺいして

子供が不登校や引きこもりになると

とたんに、いい親やってますモードに豹変し、

証拠隠滅に走る

奇妙な話だ・・・


かといって、ガソリンを作れるようになるようにと

何もせずに、手をこまねくというのは違います

ガソリン製造機器を、子どもから奪ってきたものがあるという自覚があるのなら、

ガソリン製造機器を一緒に、組みたててやる作業が必要

しかし、子どもは、ネジを持っているのに

親も、ネジを手に持って、子供の拒絶に合い、呆然としていたりする

子供がネジを持っているのなら、

親は、ネジに合わせたナットを自然に差し出せるのが

普通の感覚だろう

ちぐはぐな、親子のコミュニケーションのズレが

子供は、ネジを持ってがっかりする。



子供が手にしているネジをしっかり、見てますか?

子供から奪ってきたプロセスを振り返ることができますか?

もし、できるなら、子供に何を返せばいいか

行動も自ずとわかるのではないかと思うのです

そこから、本当のコミュニケーションが始まるのではないでしょうか

| 不登校 | 23:30 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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夏休み後半の子供の葛藤を知る

長期に引きこもっている子供さんが、

かすかに自分の部屋からリビングに出てきたとき

今までと同じ対応をするべきではないと感じます

より一層の微細な感覚でもって

子供さんへの言葉かけや(怯えや卑屈なしに)

本気の励まし(子供だけ動かそうとしても通じません)

より一層の繊細さが望まれます。

繊細さといっても

「腫れ物に触るように」
ということとは、全く違います。


しかし養育者が、ノウハウ法で対応しようと今までと同じ対応をしていては

子供さんは、またもや元の木阿弥となる場合もかなり多いと感じます。

根本に、ただ動き出すのを、
「待ってる」だけでは何も変わりません

それは、子供が変わってくれるとを打つ手もなく待ってる状態です。

子供と親御さんの関係では
それはこれまでも何度となく繰り返されてきたことだろうと思います。


今までの養育者側のやり方が不備であったから
子供たちは、引きこもってしまったことを忘れてはならないと思います。

子供たちが、一歩を踏み出すとき

親もまた、自分の臆病さや
傲慢さ、無神経さ、を見つめ

そして、自分には、
何があって、何が欠損していたのかを
勇気をもって過去と現在を検証する必要があると思うのです。

その向き合い方で、
子供への対応は自然と変化していきます。

子供さんの不登校、引きこもり、
自分のアダルトチルドレンの回復に必要なのは、

事実を認めていく、という作業の連続だと感じます。

事実を認める、ということは
実は超難しいことなのです。

1日の講演会や、1回のセラピーで解決できるほど
生易しいものではないことは確かです。

子供さんも、今まで
やったことのない一歩を踏み出すとき、
やはり同じように苦悩しながら動き出します。

今まで部屋の中で守られていたのですから
そこから一歩を踏み出すことは
相当の勇気、苦しみ、怯えと戦っていると思ってください。

その時、親側が、自分の親としての不備のために
子供をひきこもりにしてしまった事実から目をそらすか、

それとも子供と共に自らを
変化させようと
子供たちと共にもがきながら
子供の苦悩を受け止め、
押し出し、根気強く寄り添うことができるかということに
尽きるのではないかと思うのです。

夏休みもそろそろ終盤に入りました。

不登校、引きこもりの子供たちの心がざわつき始める頃です。

子供がもがいているのなら、←親にはそう見えないかもしれません(この感じられないことに多くの問題が含まれているのですが)
少なくとも身近な養育者も子供とともに、子供の葛藤を感じられる感性を持ちたいものです。

感性と書きましたが、
これは、親側の勝手な「妄想、卑屈になる、我慢する、不安、恐怖」を押し付けるという意味の言葉ではありません。

あくまで、主体は子供の「感じる」です。

この辺は、本の中に詳しく書いてありますので、
ご一読くださればいいかと思います。

| 不登校 | 09:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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やれば出来る子ちゃん

やれば、できる子なんだ

息子はむかーし、そんなこと言ってました。

そして、かつて私も似たようなことを

思っていました。

根拠のない自信

幻想の中の自分


出来ない自分の現実から

逃れるように

やれば、できる子と

自分に言い聞かせ、

他の人とは違うんだ

という、傲慢さを肥大させていく


誰しもそんな一面はあるね


出来るってことは、

一生懸命やるってことだね

だけど、一生懸命やることを人から見られたくない

そう言ってたんだ。

一生懸命って、

とってもこっけいなことと

人の一生懸命さを笑っているから

そう言えるんだよ

笑ってるってことは、

自分は何もしないで、人を笑って

やれば出来る自分幻想に逃避して

いつ、やるの?

今でしょ(;・∀・)


いやいや、私はまだ

やる時期じゃないんだよ

誰も私の考えを理解してないんだよ

なんて…

ほんとは臆病な自分を隠して

本心を見ないように、

うそをつき続ける、

現実を誤魔化し続ける。


やってもいないのに、

やり続けることもできないのに

やれると言えるのは

クジャクの羽をつけたカラス


最近の息子との会話より

そんなことを思うのでした。

息子の分岐点

今、精一杯もがいて欲しい

ちゃんと、見てるから

| 不登校 | 11:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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子供の気持ちがわからない

「子どもの気持ちが分からない」
こんな時どうしたらいいの?

この問いをこれまでたくさんの人に問われてきた。

多くの人の焦点は、「どうしたらいいの」に置かれる。

子どもの気持ちが、分からないのは
分かろうとしないから。

シンプル

方法と解決策のマニュアルには
あなたの子どもの対策は書かれてはいない。

なぜなら、あなたと子どもの関係は、
唯一オリジナルな関係だから。

答えは自分の中にあるよ。

自分の中とは?

自分に不足な部分があることを認める。
自分の不足な心で、子どもを見ているから
見えるところが、狭いだけ。

不足の部分とは、なんだろうね?

自分のずるい保身
私は悪くない
傲慢さ
狡猾さ
疑心
言い訳のつじつま合わせ
被害者意識に埋め尽くされた言葉たち

いつの間にか、ウソばかりついている自分。
誰も信用しようとしない臆病さ。

ウソつきな自分を一体誰が信頼してくれようか?

矢印は、他者のせいにだけに向いている。

自分の失ったものを、認めず、見らず、聞かずに
子どもの気持ちは、分かるはずもない。

子どもの気持ちが分からない・・・

ウソばかりの親に、子どもはもう、うんざりしてるんだ。
自分の真実を分かることから、始めよう。

自分を誤魔化し続けている限り、

どうしたらいいの?

は、永遠に分からない。

まずは、自分の失ったものをとりもどそう。

| 不登校 | 12:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】留年になってしまう

久しぶりの不登校ネタです。

必要があって書いています。

先日、高校一年の子どもさんを持つ方からご相談を受けました。
あと、もう少しで留年になるということでしたので
この時期、そのような状態になる子どもさんが多いのかもしれないと
参考になれば・・・と書いています。


高校での頓挫は、中学での頓挫より
難しい案件になります。

ご相談が、早ければ早いほど、子どもさん達は
それぞれに適応指導教室やフリースクールなどに生きやすい。
その間、親子関係を緩やかにして信頼関係を作りなおせば
どうにか、通信制、サポート校などに、進学されています。

難しいのは、高校での頓挫です。

事例として、40日近くぎりぎりの状態で、
留年になる可能性の方が奇蹟でも起こらない限り、
大きいと感じます。

①高校で先輩にいじめられる・・・これはよく聞きます。
  
 これは、ACの親はガチガチの思考で固まって子育てをしてきたことにより
 子どもは家では、いい子です。
 いい子ですが、そのガチガチの枠の中の自由でしかありません。

 そのため、学校へ行けば、ふまじめな人たちや態度の悪い先輩なんかも
 いるわけですが、自然とそういう人たちを「がん見」してしまうです。
 嫌悪感が、表情や行動に現れるんですね。

そうしたら、相手は見下された感じをうけて、いちゃもんをつけてくる
そういうことも可能性として大いにあります。
一度ダーゲットになったら、高校は先生の目の届かない場合が多いので
そこを仲裁するのは、かなりの力のある先生、カウンセラーが必要かと感じます。
かなり運がいい場合は、首の皮一枚で、どうにかそこに在籍し続ける可能性もあるかもしれませんが、
本人は何も変わらず、そこに居続けることは、再発する可能性もかなり大きいと思います。 

②次に、人とうまく接する事ができない

これは機能不全家庭、あるいは、すごく気力が余っているあるお母さんに多いのですが
子どもの先回りをして、子どもの「選択する意思を」奪っていった結果
いま現在の不登校という状態が発生していると考えてください。


このことから、40日以内に学校復帰できるのか?
明日には、行ってくれるのか?と親の気持ちは「留年」という
恐ろしくも避けたい気持ちで動揺してしまい
子どもの本当の気持ちをみることはできません。

「子どもがはっきりしない」
「子どもが、答えを出さない」ということで
お母さんがのほうが、じりじりと子どもを監視している状態を示します。

これでは、今までの対応となんら変わっていません。

なぜでしょう。


お母さんが見ようとしている子ども像と

子どもさんが考えている気持ちが

全く一致していないということを示しています。



たとえば

「怪我した~」と子どもが泣いている時
「ばんそうこう!」と子どもの痛い気持ちを放り投げて
ばんそうこうを張る事に一生懸命のようなものです。
お母さんは、痛いと言う子どもの気持ちよりも、
ばんそうこうで傷を見えなくする事に安心するんですね。


ご相談の子どもさんは、
あと、もう少し学校へ行けなかったら、留年ということでした。

子どもさんに任せてみませんか?


私の過去のクラエントさんで、進学校を目的もなく入学して
そこから、学校が自分に合わなかったり、友達とうまくいかなかったりして
出席日数が足らなくなって、やめられました。

私は、それでいいと思います。
その時の、その子の状態は
まるで、生気の抜けた亡霊のような感じの子でした。
こんなにボロボロになるまで、行かせる必要性・・・あるのでしょうか・・・

この時は、お父様の協力があり、釣りに出かけたり、旅行したり、
ブログを書いたり
自分の部屋を作ったりして、一年後、歯科衛生士のバイトをはじめ
通信制の高校に、翌年の四月から生き始めました。

今は元気に、自分のなりたいものの為に頑張っています。


一本の道しかないと思い込んで
ここで失敗したら、他でもやっていけないだろうとか
考えがちですが・・・

すでの30日以上休んでおられるカウントダウンの状態は
学校へ行くということに対しての、「拒絶」を示しておられるのではないかと感じます。
その「拒絶」をまわりに言えないがために、苦しんでおられる気がします。

明日こそは、行ってくれるだろう
それは、親の枠から見た、勝手な妄想です。
そして、行かなくて、がっかり・・・

上がったり下がったりする様子で
ますます、子どもさんは、自分を責めていかれるのではないでしょうか。

この先、養育者側が変わらずに同じ事を繰り返していけば・・・

子どもは、次第に引きこもるか、暴れるかのどちらを選択するように
なっていきます。

その前に、お子様との信頼関係を作りなおすことが
大事なのではないかと、思いました。


経験的に、ここまで、拒否をされているお子様を
無理やり出席日数のために、学校へつれていくことは不可能です。

「拒否」することが唯一の子どもさんの自己表現だったのではないでしょうか。

拒否した反動として、「お母さんの期待にもう、添えない。もう力尽きた」

そんな自分を責めていきます。

それが、本人が示す、あいまいな決められない態度として出ている気がします。
(どっちかはっきり決めなさいと詰め寄っても、本人の本意が自分でもわかりません)

親としては、どこかの高校を卒業して・・・と思うことが、
子どもの幸せだと思うのですが、
子どもの幸せは、案外違うんです。

辛い時に、つらいね・・・と寄り添ってもらえる
苦しい時に、よしよし、苦しかったねと
失敗したときに、「大丈夫だよ。また、やればいいんだよ」

受け止めてもらうことが、ささやかな幸せだと感じます。
それが、自己肯定感を育てていく子どもの力、自分の意思を育てていく力になります。


さて、どうでしょうか・・・

それでも、今の高校にしがみつきますか・・・?

高校は、行こうと思えばいつでも行ける場所です。
人格を壊してまで、行くところだと・・・私には思えません。

親と子、心の思いのズレ。
親が「留年は、避けたい」とこだわればこだわるほど
子どもは、恐らく、反対の行動をしていくでしょう。

もし、手を打つのなら、

もっと早くに、子どもは、SOSをいっぱい出していたことだと感じます。

もしかしたら、中学の時に・・・トラブルありませんでしたか?
小学校の時に、行き渋りありませんでしたか。

置いてきた問題が、今出ているだけのことだと思います。

お母さんの視野のコペルニクス的転換が起こるよう、願っています。
子どもの至らなさで、苦しむお母さんは、きっと自分の問題を
子どもに投影しているのだろうと感じます。


親自身の問題を、子どもに投影、重ね、子どもを
不自由にするかしないかは、お母さん次第なんですよ。

頑張って、みてくださいね。

もし、私たちのサポートが必要な時は、声をかけて下されば
もっと、たくさんのことをお伝えできると思います。


りんりん

| 不登校 | 08:58 | comments:15 | trackbacks(-) | TOP↑

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ブログの紹介です

先日、ブロ友申請を頂いた方のブログをご紹介します。

takuyaさんです。

「不登校から次へ行こうよ。!!」

ご自分が不登校経験者であり、今、自分の経験をブログに書かれ、

支援する側になろうと頑張っている方です。

若い人の力、未来がとても嬉しいです。

是非、読まれてください^^

私たちも、親もぼんやりしておられません。

頑張って欲しいと思います。


| 不登校 | 22:29 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校ひきこもり】お風呂に入らない

お風呂に入らない・・・という話をよく聞きます。

私も経験しているので

ちょっと、昔とは違った観点で分析してみます。


「入らない」と拒絶しているわけではないのです。

気力がないのです。

頭が苦しさで一杯になってる状態なのです。


だから、わざと入らないことを選んでるわけではないのです。


明日こそ入ろうと心に決めています。

しかし、明日になれば、明日こそ、となります。

そして、いつのまにやら、一カ月たってしまっていた・・・


なぜ、そのような現象が起こるのか?


ひとつの自傷の一種ではないかと感じます。

本人には、我慢しているという感覚は全くありません。

しかし、生活の中で、自分の感情を止めていたり

意思を奪われている状態の時、

心が苦しくてしょうがないんです。

この我慢状態が連続している時、

心の苦しさが主体であり、身体を清潔にするという感覚が

次第に欠如していきます。


「自分なんて、どうでもいい」

自傷的な感覚が強いと感じます。

ここに、アピールがあるのかないのかは定かではありません。

(私の感覚では、アピールよりも我慢している状態の連続の先に
身動きできない状態が起こっていると感じます)

恐らく、自分をないがしろにしている、あるいは

ないがしろにされていると感じている時に

お風呂に入らない状態があるのではないかと感じます。

これは、私の感覚ですので、

間違っているかもしれません。

また、幼児の場合、これが当てはまるかどうか

よく分からないのですが、

思春期以降は、ひとつの要因ではないかと感じます。

| 不登校 | 12:18 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校・ひきこもり】暴れる子ども(暴言・暴力・自傷)

暴れる子どもたちの気持ちを書きます。


「閉そく感」これに尽きます。


親に暴言を吐いて訴える、物を投げる、殴る、壁に穴をあける

色々な訴えを子どもたちは家庭で行います。


過干渉の場合、母親の先回りで

自分(子ども)の意思を奪います。

子「今度、カラオケ行っていい?」

母「誰と行くの?お金はどうするの?どこに行くの?宿題やったの?」

何気ない会話ですが、

母の応答の本心には、言葉の表面の意味あいは、ありません。


自分の管轄外に子どもが行くことを阻止したいための言葉です。

家で自分の監視下の中に子どもを置いておきたい。

自由にさせたくない。

子どもが自分の監視下から外れることを阻止するための言葉です。


このような事が日常、生まれてからずっと行われていると

間違いなく、家庭の中で子どもは身動きできなくなります。


身動きできなくなった子どもに残されている行動は

自分の意思を閉じ込めて、沈黙するほかありません。


その度合いによって、

独り立ちしたら、とっとと家を出て、家に近寄らないという状態になるか

意思を奪われたまま、

社会に出てから周りとの違和感に挫折し、

家から出られない状態になることも多々あります。


家から出られない状態が続いていくと

意思を奪われた子どもは、次第に怒りを親に向け始めます。

自分の力と、世間の同年代の子たちとの差にいらつきます。

自分はダメだと感じます。

ダメにしたのは、親だと憎しみを募らせていきます。

「おまえらが、俺をこんなにしたんだ。責任とれ」と迫っては暴れます。

親にとっては、今までこんなに大切に育ててきたのに

自分たちに怒りを向けられる事は、晴天の霹靂でしょう。


ここで、親子の逆転が起こります。


親は、子にあたふたと気を使い、怯えます。

今まで、自分の上に君臨していた親が、慌てふためいて

自分のことに怯えて、こそこそしている・・・


それを目のあたりにすれば・・・

子どもは、情けなくなります。


今まで、親の言う事をきいて、自分のやりたいことを阻止され

意思を奪われ続けてきた当の相手が

自分にかしずくように、気を使い始める。

そんな親を見て、子どもは自分が情けなくなります。

そして、自分を責めます。

自分を責め過ぎた子どもは、耐えきれなくなり

ついには、暴れ始めます。

一度暴力、暴言を吐いてしまえば、

親が怯えて、気を使っている間は、この逆転現象は、

定期的に起こります。


暴力は、閉そく感を壊す為だったはずですが、

自分の暴力で昨日まで王様だった親が情けない状態になっている。

自傷をすれば、「かわいそう」と憐みの目で親から見られる。


これらの対処法は、一回目が大切です。


動揺しない、おびえない、あわてない、気を使わない

暴れる子どもに対処する、大原則です。


そして、子どもの閉そく感、家庭の窮屈さに母親が気づくこと。

子どもから奪った意思を返してやること。

丁寧に、子どもの気持ちを受け取ること。



親から、怖がられるという行為は、子どもにとって

最大に悲しいことです・・・

今まで、自分の意思を捨て、良い子をしながら守ってきた大切な親から

拒絶されるのです。。。

世の中に、こんなに絶望的なことがあるでしょうか・・・


子どもは、自分のやっていることが、理不尽な行為だとも分かっています。

それでもなお、自分の意思を取り戻そうと

あがいている究極の行為が、暴力、暴言です。


しかし、残念ながら、親自身は、子どもの意思を奪ってきたものの重さを

考えることができません。


親子のズレです。


では、暴れる子どもをどうすればいいのか?という疑問。


意思を少しずつ返してやること。

大切に、丁寧に、子どもとの歴史を振り返り

親が子どもから奪ってきた重さを感じること。

私は、それだけでいいと思います。

口先だけで謝る必要はありません。

重さを感じることができるならば、

子どもには、自然に伝わっていきます。


親が上で、子どもが下?

親の方が経験があるから、親の言う事に従いなさい?(監視)

子どもが、不都合な問題を起こしたら、子どもが上で親が下?(怯え)

こんな都合のいい話はありません。

(ふざけるな!と言いたくなる子どもの気持ち、よくわかります・・・)


親と子は、人生は別物。

親子の歴史を振り返ってみてください。


とある回復ブログには、「親が上であることを示そう」など書いてありました。
私には、???でした。
力で抑えて、何になるというのだろう。
それを忠実にやって、挫折している人のブログも知っています。
なんともやるせなさを感じました。

| 不登校 | 11:54 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

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【不登校】不登校解決のために(3)~私が変わりたい~

◆「私が変わりたい」と


★「私が変わらなくてはいけないんでしょ!」


上の二つの言葉のニュアンスの違いを感じてください。



どちらが、自立的思考でしょうか。

被害者意識、しぶしぶ感、やらされ感があるのはどちらでしょう。



子どもが不登校になった時、親は自分が講演会に足を運んだり

本を読んだり、ネットで交流したりして

次第に親自身の生き方の問題が、子どもと不登校と関係していることを

ぼんやりと分かり始めます。

しかし、長年の自分の生き方の癖を本当は崩したくない。

今までの私の人生は、一体なんだったのだと

被害者意識の強さから、

「変わらなくちゃいけないんでしょ!」と表現されるのではないかと感じます。

その気持ちもすごくわかります。。。


不登校の家庭は多かれ少なかれ潜在的な被害者意識の比重が大きいので

渋々状態になるのも分かります。

(私もそうでした)

強制的に山を登らされている感覚もあるのだろうと思います。

しかし、潜在的被害者意識を気づき、認め、修正していく作業は

家庭の機能を回復させるには、必要不可欠なことなのです。


また、自分は崖の下にいて、登っていく人を見て

「そうやって登るのね~」と

頭でわかっても、一時の知識としてだけで終わってしまい

自分は一歩も動いていない状態が多発している気がしています。

そうなると、

何か事が起こるたびに、あたふたして、

根本的に何も解決されることなく、ぐるぐる状態が続きます。

多くの1回~数回の相談で終わってしまうカウンセリングも

その瞬間は、わかったつもりで心地よくなり

問題は一旦解決されたに見えます。

しかし、次に何か起こると同じところで行き詰まり

根本は何も解決されていないということが

あからさまになったりします。


付け焼刃では、不登校から、引きこもり、あるいは、

社会に出てからの子どもたちの精神的苦しみは、

解決されないのではないかと思っています。


実際、ACの回復は、5~10年単位と私は思っています。

それでも5年なら、かなり早いほうだと思います。

が、10年カウンセリングに通っても、回復する保証もないと思います。

それほど、子どもも待ってくれません・・・

待っている子どもがいることを思えば

悠長なことを言っておられないのが現実です。

もし、自分が子どもの立場だったら・・・

変われるなら、親が一刻も早く変わってくれるにこしたことはないと

考えると思うのですが、いかがでしょう。

しかし、回復というものは

知識だけではどうしても出来ない部分があります。

実際に、自分の手と足と体を使って登ってみないと

崖を登るという感覚も体力も身につくことはありません。

崖を登る大変さ、苦しさをもがきながら

自分で感情の痛みを体験してはじめて、

心を閉じた子どもの心に触れることができるのではないかと感じるのです。

受け身でカウンセリングに漫然と通い続けても根本回復は難しい。。。

この部分だけは、カウンセラーに心の熟知、許容量が必要とされるところだと感じます。



自分の中にあるのは、「させられ感」なのか「しているつもり」なのかを

確認する1つの方法として

「もし・・・子どもが不登校にならなければ、こんな思い悩む必要はなかったのに」

「子どもが学校に通ってくれさえすればいい」と

昔を懐かしむ思考や、相手の状態に気を取られている思考があれば

「つもり」かもしれません。

これはまだ、崖の下にいる状態ですね。


もし、「よし、自分が変わろう」と決意して、

崖に登り始めたら当初は、自分が何をやっていて、

どの方向に登っているのか、よくわからない状態があります。

それでも、心の羅針盤だけは上を示している。

がむしゃらに登ろうとする。

体はきつい、心もめげそうになる。

そんな時もあるでしょう。

そんな時、ナビゲーターや、先に登っていった人のロープをたよりに

愚直に登り続けることが大事だと感じます。


そして、ある時、ふと体が軽くなっていることを感じる時がきます。

振り返ってみたら、

「ああ、こんなに登ったんだ。そうだったんだ。そうなのか~」と

理論と心が一致し、

自分が、がむしゃらにやってきたことの意味とロープの意味が

分かる時がくるのですね。


ひとつひとつの意味が、面白いように、つながってくる。

同時に、こっけいな姿で登ってきた自分の姿も見えます。

しかし、がむしゃらでこっけいな自分も、愛おしく思えてきます。


回復は、ここまででいいと思ってもいいと思いますし

ここから先も登って行きたいと思ってもいいと思います。

その人の選択ですね。

途中で、休んでもいいし

回り道を選んでもいい。

しかし、羅針盤を手放さないでおいて欲しいと思います。



羅針盤は「私が、変わりたい」を指していること。

これまでの思考を手放すということですから

かなりな抵抗が心に湧きあがります。
(怒りや憎しみ、八つ当たりとして出る事が多いです)

きっと、この抵抗に打ち勝つことが、崖を登る、登らないの

分岐点になるのでしょう。

「変わらなくちゃいけないんでしょ」という選択も自分で選択していることになります。


誰もあなたに選ばせていません。

あなたは、どんな選択をしてもいいのです。

ただし、自分の選択の責任は、

選んだ自分自身にあることを知っておいてください。



選ぶのは、自分そう思うのですよ。



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