アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す~

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律するな、感じろ

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律するな、感じろ


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その罪悪感は迷惑です

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けっこう、大事なとこです

その罪悪感は迷惑です

| AC | 16:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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怒りという感情と訴え|歩いていこう@アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す

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怒りという感情と訴え|歩いていこう@アダルトチルドレンからの回復~

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承認欲求~ ACの欲求は終わることなく尽きることなく

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承認欲求~ ACの欲求は終わることなく尽きることなく|歩いていこう@アダルトチルドレンからの回復~失ったものを取り戻す


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不登校の典型事情を見る

昨年不登校の本を出したせいか、
本を読まれて不登校初期のお母さん方からの問い合わせが
ぽつぽつとあります。

読んでくださってほんとにありがとうございます<(_ _)>

不登校初期の特徴として必ず共通する事情

旦那様との不和

ダントツ一位の栄冠に輝いています

「不和」と書けば、お互いにかみ合わないことで
悩まれているのかと思えば・・・

違うのですね

お母さん方が、一方的に
夫を責めたい

あの夫を変えたい

あのな~んにもしない夫を動かしたい

そんな思いが切実に伝わってくるのです


相談内容は、もちろん 不登校のお子様のことですが

そちらが問題ではなくて、夫が問題に・・・



夫を憎む仕組み

「私」は、子供や家族にイライラする
という設定で図を描いてみました。

まず、左側の「私」と「他者」から説明します

イライラするということは、
イライラさせられると言い換えてもいいです。
他者が存在しなくて、イライラは起こりません。

夫(子供)が理解してくれない、私の言うことを聞いてくれない

くれない→腹が立つ→思い通りにさせようとやっきになる→でもならない

イライラ~

では、どうして、イライラするの?

夫が悪い?
子供が悪い?

それで、矯正をしようとして、矯正できなくてイライラ

ということは、矯正をとても焦って急いでいるってことになります。

このあたりでは、すっかり自分がいらいらさせられていると思い込んでいるので
とにかく聞いてくれる人を求めます。

アドバイスは必要としていない状態
でも、子供や夫を矯正するアドバイスなら受け入れる

という、身勝手な状態でもあります。

初期のころの課題としては、とにかくこの思考からいかに早く抜けるか

アドバイスとしてはそれだけです。

自分のイライラが、外部からくる不快によって作られると
信じて疑いません。

ぞくにいう、聞く耳を持たないという状態です

私もこんな時期がありましたよ
もう、今となっては、笑い話ですが
本やカウンセラー巡りをやりました
食費にはケチなクセに本を買うお金は惜しまないという
本末転倒な時代でした
得た知識をつぎはぎして
次々技を繰り出しては、撃沈して余計イライラを貯めていました


私はこんなに頑張ってるのに!
            ↑
はい、これは、やはり、みなさんに共通するキャッチコピーです



さて、「イライラ」ですね

どうして、そんなに、焦っているのでしょう。
イライラのイメージは、急いでるのに、バスが来ないとか
じりじりしているのに、のんびり仕事やってる奴がいる

とか、自分の内面はすご~~く、せっぱつまっているわけです。

しかし、これは、起こった物事に対して、せっぱつまっているわけではありません。

ここで、登場するのが、右側の方

「母」

背後霊のように、「私」をチクチクと追い立てます

「あんたは、何をやらせてもダメなんだから」

「あ~あ」「はあ~~~、だめねえ」

「いい加減にしなさい」

という細やかな洗脳操作によって

この人の愛情を失ったらいけないと子供が焦るように仕向けます。

そこは、「母」の思う壺なんですね


ツボにはまった子供は、

背後から、常に監視している

母の、ため息や、がっかりした姿や、怒鳴り声におびえおののきます。


だから、期待に応えようと必死に何か、その~

自分が思う素晴らしいものに、すがりついて

母のため息を振り払おうとします

逃げ切ることができるのか?



一人なら、身軽なので、できるかもしれません

しかし、結婚して子供ができると


二倍三倍、「母」のため息から逃れるために頑張らないといけません


もうね、どんどん、負荷(我慢)はのっかってきますね。


もう、もちきれませ~~ん

ギブアップとなった時に


「あんたたちが、ちゃんと言うこと聞いてくれないから、私の評価が下がるじゃないの!」

とばかりに炸裂してしまうんですね


まあ、こんな風にダイレクトに言ってくれたら、家族は

「なんや、おかあさん、自分の評価が大事なんか~。そりゃ、大変やなあ」とくらいは、

言ってくれるかもしれません。

が、そんな明確なことは、「私」は言いません(;'∀')


「ゲームをしたら、目が悪くなるじゃない」
「野菜を食べないと、健康に悪いじゃない」
「炭酸なんかのんだら、骨がとけるじゃない」
「背が伸びないじゃない」「馬鹿になるじゃない」
と、

なんだか、正しいことのようで、どこか支離滅裂な、ほころびが見えるんです


ゲームをしても目が悪くならない子は、ならない

ちなみに、私が近眼になったのは、
本を読みすぎたら、目が悪くなるじゃないという教えを守って
夜中に豆電球で朝方まで、こっそり本を読んだからです(笑

というのは、ほんとかどうかは、わかりません・・・が


でも、「イライラ」の元は、

背後にいる「母」をがっかりさせたくない

という怯え、恐怖から出た焦りなのではないかと

そんなことを思います。


不登校初期の皆様、もし、心あたりがありましたら、
その「イライラ」は、どこから来ているのか?

を、外部に原因を求めずに、自分に聴いてみて頂きたいなあと

感じる昨今です

ここに気づくまで、実は長い年月がかかりますが

時間短縮を目指すあなこことしては、

少しでも早く気づいて親子ともに楽になってほしいと

心から願います







| AC | 17:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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究極の信念はどこから生まれるのか

生きづらさを抱えている方に多い
信念ともなっている信条について感じたことがある

その信念は、心の中で固く硬化し
重石のように重厚に存在する

それは、いつ作られたのか
そして、いつこのように強化されたのか本人もわからないまま、
まるで、生まれたときから、
そこにあったように
「信念」が見えるときがあります

その信念は一人一人
微妙に違うのですが
形成するまでの、プロセスは
どれも同じようなプロセスに見えます

例えば、

「裏切ってはならない」

この信念は、かつて無力だった自分自身が

大好きな人からの裏切り(と思われるもの)に合い、

自分の傷の痛みを
強い信念に変えていったと感じる

私自身も、かつて
「お母さんが笑ってて欲しい
お母さんを助けたい」
と、願い願って、
その方法を社会に出てから
探し、放浪し、スピリチュアルに傾倒し
宗教に求め、
場所に求め、外を放浪旅をした

しかし、よくよく考えてみれば、
お母さんを幸せにしたいと思っていたことは、
自分が満足したいという欲求からきている。

そして、お母さんと自分の存在がここで入り乱れ交錯しはじめている

(これが、後の矛盾を生むことになる)

最初はお母さん、だったかもしれないが、母を幸せにしたいという望みは、
言い換えたら子供にとっては、自分が幸せになりたい、愛されたい

そのためには、母を幸せにしなければ、母は私を愛するどころではない
という、
子供ながらの計算が
働くのではないかと思い当たる。

「守りたい」

「愛したい」

「見て欲しい」

「役にたちたい」

それらは、程度の差はあれ
強くその人の生き方に影響を及ぼしていく

その究極の欲求を満たすことができる人を自然と求め、
そして、それぞれが、
自分が求める信条を強化することに
熱中し
自分が幸せになることを
すっかり忘れてしまう

結局、自分が選んだ信条は、

自分が最もしてもらいたかったことだったのだと、自分のエゴに気づくとき

もっとも、闇が深く

もっとも、抵抗が走る

なぜなら、自分自身が

少しも誰も自分の信条をもって
守れていないことに
気づく瞬間だからだ

例えば裏切りを信条とすれば
裏切らせようとするささやきが聞こえる

相手が裏切ったら、
自分の信条は、実は最高のシチュエーションで、
自分の信条に酔うことができる

相手を責めることができる
相手を拒絶する正当化を自分の壁にできる

信念、信条とは、人と人の間に
壁を打ち立てるものにしかならない

そして、孤立感を深めていく

打ち立てられた壁の輝きとは別に
闇もまた、深くなる

この矛盾に人は苦しんで
もがいている気がしてならない

信念、信条は、神格化しやすい

かつて、少年Aも心の中で内に神がいた
そんなあやうい事態は、
常に誰の心の中でも起こりうる可能性がある

自分自身の自由と笑顔と

言葉の開放は

ある意味、自分の持っている
信念との向き合い方にかかってくる。

いくらりっぱなうそっぱちの
信念を打ち立てても
誰にも触れられないものであるならば
そして、孤独であるならば
一緒にくだらないことを
笑いあえないなら
楽しめないなら

弊害こそあれ、もういらないのではないかと思ったりする

| AC | 10:39 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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しのごの言わずに、分ける

頭でいくら細かい予定を立てても

予定を立てるだけで

嫌になったりします(´д`|||)私もそのくち💦

どれほど失敗しない完璧な予定を立てたとしても

現実は失敗するものです

同時に成功もします

自分が変わりたいなら、

しのごの言わず、潔く

やってみることをおすすめします


でも、これにはコツがあります

不安や恐怖から追いたてられるように

衝動的な行動していないか?

自分の意志で動いているか?

この違いは後々の結果の受け止めかたに

大幅に差がでます。

不安からの行動は、ベースが不安にありますので

いくらやっても不安になる方向しかいかないのです

怒られるから、
将来大変になるから
世間さまに顔向けできないから、
これくらいやっとかないと
嫌われるから

などなど・・

自分の本当の意志なのか、

外部からの不安からの行動なのか

分けてみるのは大切なことです


ん~、でも自分の意志と思い込んでいるとすれば、
一人で分ける作業は非常に難航します。

しかし、何か行動を起こしたとき

満足がいかない、

あるいは次の不安に襲われる

あるいは、記憶がすっぽりない

という状態があるなら

元々が、不安から発したものではないかと、

自分の気持ちを「分ける」

そして、振りかえってみることを

おすすめします。

はっきり分ける(問題の明確化)

という作業は

まわりにいる家族にも

とても分かりやすく

案外、負荷が軽いのかもしれない

次は、そんな具体的事例を紹介してみます

| AC | 13:48 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑

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ダブルバインド~前も後ろも塞がれる苦しさ




お久しぶりです(^o^)/

最近、機種変して写メ画像の美しさに夢中になってます。
スマホアプリに凝ってまして
一眼レフ風に加工してみました。

一眼レフ買う勇気はないけど
「もどき」なら無料(^∇^)

さて、本題です。

最近、セッションしてよく感じるのは

親からの、前にも進めない、

後ろにも進めない、

いわゆるダブルバインドという呪いで思考が前にも後ろにも動けなく、
固まってしまっている方の多さを感じます。

また、御自身も息子さんや娘さんに
ダブルバインドを仕掛けているかたも多い(T.T)

ダブルバインドは、日本語でいうと
二重に仕掛けられた罠とでも言いましょうか…

例えば、

子供が、学校での進学の悩みを
お母さんに話したとします。

「あなたのやりたいとこ、
好きな道を選んだらいいのよ」


もちろん、ありがちな物わかり良さげな口先ばばあです・・・(^_^;)

それから、子供が進路を口にします

「そこは、お金がかかる」

「そこは、就職に不利」

「家から遠い」

「あなたは、気が弱いからそこは合わないんじゃない?・・・」

「親戚の○○ちゃんは、医大にいった」


だの、

結局、先に進もうとする子供の意欲を
根こそぎ、そいでいってるんですね


「あなたは、お母さんの言うことをきいてたら間違いはないの」と

言ってるようなものです。


でも、でも、子供って放っておいたら、道を外れることするわ

と、言いたくなるなら

それは、自分が親から奪われたものを、子供で満たしたいという投影ではないでしょうか。


最初から自由に自分の道を生きなさいなどと言わない方が

ずっとましではないかと思います。


⚫自由に生きて欲しい←自分のなし得なかった夢(アクセル)


⚫私のいう通りに生きて←自分が奪われたものを子供を使って知らしめたい(ブレーキ)


この相反する気持ちを
子供に同時に伝えるので、
子供たちは前にも後ろにも動けなくなるのだと思います。

これは、ほんの一例ですが
生活の中では日常茶飯事に起こり続けているのです。

考えてもみてください。

相反することを同時に
メッセージとして与え続けられたら
私なら1000日後には、怒り狂います。←割に我慢強い(^_^;)

そして、1001日目に、

「じゃ、どうしたらいいのよ!」と

怒りたくなりませんか?

最後には気力もなくなります。

結局、どちらにも動けない状態を

常に作られ続けているわけですから

その心に及ぼす影は、かなり大きいと思うのです。

ダブルバインド、

相反することを同時に受け取った側の人間は非常に混乱します。

ダブルバインドを起こす人の回りの家族は混乱しっぱなしなのです。

しまいには疲れ果ててしまいます。

久しぶりに、
ダブルバインドのことを書いてみましたが、

子供や家族が混乱していくさまを見ながら、

これは家族がおかしくなったのでは?と、あれこれ奔走するのですが

案外、親の側が自分の無意識に気づいていないだけだという

そんな事例がますます増えてきてると感じます。


| AC | 20:13 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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ACの回復

回復する一歩

遊べばいいんだよ(^^)

一生懸命

無我夢中で

ひたすら、今を遊べばいいんだよ


それができないから、困ってる?

うん、そりゃそうだ

無理に顔を引きつらせて

遊ぼうとするから



ACの病は、


遊んだらいけない


無駄なことをしちゃいけない


我慢しなくちゃいけない


で、できている


だから、

遊んでる人が羨ましい

無駄なことを楽しんでる人を
馬鹿じゃないかと思う


我慢しない人に腹を立てる


これをやってる本人だけの問題で

苦しくないなら構わないけど

まわりには、この上なく迷惑をかけている(^_^;)ことに気づこう

とうの昔にまわりに迷惑をかけているのに、

迷惑かけちゃいけないと

自分だけの我慢幻想に浸るのは

矛盾がある



遊べばいいんだよ

笑えばいいんだよ

泣けばいいんだよ

わがまましたらいいんだよ


怖いは幻

罪悪感もお母さんの幻影


今の人生を遊ぼう



先のこと?


ん~、わかんないよ(≧∇≦)

わかるわけもないじゃないか

そこは、諦めてください

わからないから、工夫する

失敗する、成功する

どちらでも人は成長する


成長する満足の連続が、自分を満たしていく


満足感のない世界こそが

恐ろしく空虚だと

私は思うのです



| AC | 12:45 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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感情・・・このやっかいなもの【アダルトチルドレン】

小さなころから、いつも私は怒っていました。

物ごころついた頃から、ずっと怒っていました。


しかし私がやってきた過去の「怒ってる」は、一般の人の「怒る」とは全く違うものだったのです。。


そもそも感情とは、一部だけ突出して出るものではないのです。

嬉しい、楽しい、かわいいー、おいしーい、

好き、愛している、これらもまた人を通して、

内面からわきあがってくる自然な感情です。

が、ACさんたちは、これらはなかなか出てこない。

しかし、怒りや悔しさだけは驚くほど簡単に出てくる。


ここで、感情の矛盾が起こっているのが不思議でならなかったのです。

最近、怒りや悔しさは、

過去に蓄積された感覚であり、

怒ってきたのではなく、ただ消化されない理不尽に対して
憤りを感じてた時代の名残が
今、目の前で起こっている出来事により、
心に貯め続けた理不尽に反応しているのだと理解したとき、
なるほど!と膝を打ちました。

そもそも他者から理不尽を受けても、基本、超我慢強いので

かなりな我慢期間(潜伏期間)

を経て、発症するシステムがあるのです。


これを、タイムラグと言います。

タイムラグといえば、幼少期のころ言えなくて閉じ込めた

悲しさ、悔しさ、怒り、あるいは

楽しささえも閉じ込めていった結果、

大人になっても、タイムラグをし続け、

他者からの何かの刺激によって

過去に起きた理不尽を受けた時の気持ちが無意識に

こぼれでる、ひとつの反応だと思えば、

感情の欠落、あるいは感情の抑圧、抑圧されたものが

無意識からわきあがり今の自分の行動を操作しているのではないかと感じます。

タイムラグを幼少期の頃から

何万回と繰り返していれば

それが何十年も続いているとすれば

タイムラグという、今現在も過去の幻にずっと脅かされていることになります。

何万回ものタイムラグに心を奪われていれば

今現在の気持ちは

感じるすべはわかりません。(余裕がない)

今、ここの感情を感じようなんて、悠長なことができるはずもありません。

常に、過去に気持ちは存在し、幻の中に心は存在しているのです。

タイムラグを起こし続け
幻に固執しつづけ、怒り(もどき)で、

タイムラグで発生した自分の空虚を埋めようとしているだけということになります。

これをタイムラグが起こした

疑似的怒り

と、私は感じます。

これは、身近な人が怒って身を守るという行動を目にし、学習し

そして、怒りを撒き散らせば、身を守れるという成功体験の積み重ねがなせる技です。


では本当の感情とはどういったものでしょう。

なんらかの感情が発生するとき

そこに、必ず「人」の存在が必ずあります。

一緒に、笑った

一緒にケンカした

一緒に、泣いた

一緒に、「おいしいねー」「まずいねー」と言い合った


お母さんが赤ちゃんのおむつを替えるとき

「あらあら、気持ち悪かったねー」と言葉をかけ

おむつを替え終わったら

「さあ、気持ちよくなったねー」

と微笑みかける。

こんな些細なことで

赤ちゃんは、

これが、気持ちいいことなんだ、これが不快なんだ

と言葉と気持ちを一致させていくのです。

このとき、感情の交流が親子におこり

にっこりと笑い合うことで

子供は快不快からはじまり、

複雑な感情を親から学んでいきます。

もしお母さんが「めんどくさい」と思いながら

むすっとして

荒々しくおむつを替えるという行為だけで終われば

子供は、お世話される自分は

お母さんを不快にさせる悪い子なんだとインプットしていきます。


そこで何万回もくりかえされる、一致のない親子のやりとりで、

子供は感情を育てそこなっていくのです。

感情とは、コミュニケーションの中で、互いに育てられていくのではないかと思います。

この場合、伝える側の母親も、与えることで思いやりを育て

受け取る赤ちゃんも母親からのフィードバックを受け取り、

二倍、三倍に、互いに感情が膨らみ成長していきます。



これは、大人同士でも同じです。

言葉と感情の一致のない関係は

表面上の付き合いで終わります。

この段階で、
 
「信じてよ」「信じてる」とか

究極の言葉の契約はあまり意味を成しません。

それは、信じる、という究極の状態を作りやすく、

裏切ったら許さないという

狭苦しい鎖を相手に ひとつつけてしまうことになります。

AC的な傾向の強い人によくみられるのですが

「私のこと愛してる?」という確認と似ていると思います。

相手に「愛してるよ」と言わせることで

「愛してる」って言ったじゃないと・・・相手を「愛」という言葉で

狭苦しいところに封じ込めようとします。



このような究極の関係は

一般から見ると、異様です。


しかし上記の母子のように、深く一致していく関係であれば

ずっと、大切にし合う関係が

「自然に」育くまれます。

大切にしあう関係は、

いろいろな粗があったとしても、一致している感覚が育っているので

「好き」を選択できる力を育ててていける関係なのです。


感情、このやっかいなもの・・・

まずは、タイムラグによる擬似感情であるのか

お互いに一致した感情であるのか、区別をつけることをおすすめします。

| AC | 15:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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